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【5分で読める】中田敦彦のエクストリーム世界史② 古代ローマとアレキサンドロス大王

内輪揉めするポリス同盟にアレクサンドロス大王が襲い掛かる!

こんにちは!なでしこ大和(@Yamato_7d45)です⚔
歴史を人類が歩んできた壮大な物語として楽しむ中田敦彦ことあっちゃんのエクストリーム世界史を5分でまとめるnoteの第2回目です!

参考動画:【世界史①】古代ギリシャ 〜天才アレクサンドロス、東へ〜
(24分あります)
【世界史②】ローマ帝国 〜笑うカエサル、ふりむけばブルータス〜
(22分あります)

前回のあらすじ

ペルシアの脅威からギリシャを守ったアテネとスパルタのポリス同盟が今度は内輪揉めを始めた!
その隙に台頭してきたアレクサンドロス大王率いるマケドニア王国がギリシャに襲い掛かる!

前回をまだ読んでいない人はこちらから↓

止まらないアレクサンドロス大王

 アレクサンドロス大王は戦いの天才と言われています。
と言うのも、当時の主力は重装歩兵でしたよね。重い鎧をまとった兵士たちが戦っている間に、アレクサンドロスは大王自らが馬に乗って戦線を迂回し、相手の本陣に突入して親玉を討ち取る という感じでギリシャは征服されました。
親玉が自ら攻めてくるなんて、ギリシャは思いもよらなかったのでしょう。
その勢いのままマケドニアはさらに東へ進軍し、あのペルシアまで征服します。
さらに勢いはとどまることを知らず、とうとうインド手前まで進みます。

黄色いところがアレクサンドロス大王が征服した場所です。前回出てきたギリシャ世界を全て征服したことになりますね。

面白いことに、アレクサンドロス大王は征服したペルシアをボコボコにしたわけではありませんでした。
むしろペルシア世界の文化を尊重し、ギリシャ人とペルシア人の結婚を促進させる東西融和政策を行ってきました。
それによってギリシャ語がペルシア側に普及し、ギリシャとペルシアの文化が融合したヘリニズム文化が生まれます。
エジプトの都市にアレクサンドリアという名前が付いたのはこの時だったんですね。

 一方その頃、インドはインドでアレクサンドロス大王の大進撃を察知します。これをキッカケに団結力が増してインド初の王朝 マウリヤ朝が誕生しました。
マケドニア VS インド 始まるか!?

…と思いきやアレクサンドロス大王に異変が!?

大王 死す

 怒涛の勢いでギリシャとペルシアを制圧するだけでなく、ギリシャとペルシアを融和して新たな文化を作ったカリスマ大王のアレクサンドロスですが、インド手前まで来たところで
「さすがに遠くまで攻めすぎてきつい!」と思い
一度ギリシャに帰ろうとするのですが、その途中でマラリアにかかり病死してしまいます。

若きトップを失ったギリシャですが、後継者を決めていなかったことでさらなる悲劇を生みます。アレクサンドロス大王が死に際に放った
最強の者が俺の後を継げ
この一言により、マケドニア・ギリシャ内部では最強者争い = 内輪揉めが起きて弱体化していく
…というお話でした。

一方その頃、当時のイタリア辺りでは共和政ローマが栄えていたのでした。

ローマ VS ハンニバル

 そもそも共和政とは何なのでしょうか?
ギリシャは直接民主制という形態をとっていました。市民が直接集まって物事を決めるのです。
当時、参政権が与えられていたのは成人男性でした。女性に参政権が与えられるのは歴史上もっと後のお話。

ギリシャが直接民主制を取れたのはポリスだったからです。街単位の小さい政治だったのでみんなで集まれることができますが、ローマはでかかったのでそれが困難でした。そこで生まれたのが共和政という考え方です。
要は、「代表をみんなの投票で決めて政治をしてもらおう」というのが共和政。現代の政治に似ていますね。

そんな共和政のローマにもライバルがいました。カルタゴです

※誤字:共和制ローマ→共和政ローマ

共和政ローマはアフリカ大陸のカルタゴと地中海の島々をめぐって争っていました。しかしカルタゴには戦局を変える名将ハンニバルがいるのでした。

ハンニバル

彼の戦略はローマの意表を突くものでした。なんとイベリア半島を経由し、陸路で攻めたのです。しかもゾウに乗ってアルプス山脈を越えるという荒業によってローマを追い詰めることに成功します。

しかしローマも黙っちゃいません。天才スキピオの活躍によってカルタゴの本陣は叩かれ、戦争は終結。共和政ローマは地中海と奴隷を手に入れることができました。これで更なる繁栄がもたらされる!
…と思いきや、意外にも共和政ローマは没落の道を進むのでした。

共和政ローマの勝利と没落

名将ハンニバルのカルタゴを倒し、無事に地中海と奴隷を手に入れた共和政ローマ。
お金を持った貴族たちは奴隷たちを働かせます。大規模農場で安く農作物を作ることに成功しました。
しかしこれによって、今までローマでやっていた個人農民たちが価格競争で勝てなくなりました。貧富の差が広がります。社会は不安定になり、やがて内乱が続くようになりました。

一体誰がこんな展開を予想できるのでしょうか。何が起こるか分からないのが歴史の面白いところ!
さて、こんな情勢を立て直すべく3人の男たちが立ち上がります。

英雄カエサルの登場


 共和政ローマを3人のトップで治める三頭政治が始まりました。
特に、そのうちの1人カエサルが結構なキーパーソン。別名シーザー。後に帝王と呼ばれる人物です。エジプトに行ったときにクレオパトラと子どもを作ったことでも有名です。
実は「帝王切開」の語源はカエサルから来ていると言われています。カエサルは難産だったらしく、母親のお腹を切って生まれたことから帝王切開と呼ばれるようになりました。

そんなカエサルは優れた軍人でもあり、ガリア(当時のフランス辺り)を攻めては勝利していました。

勝ち取ったお金は部下に撒き、軍人としての演説もうまくてとても人気が高かったようです。
市民にもパンを配る政策をしたりして、けっこういい感じに内乱を抑えることに成功していました。

ただ、戦争によって三頭政治の1人が死んでしまうことでカエサル・ポンペイウスの2トップ態勢になり、バランスが崩れ始めます。
と言うのも、内政を担当していたポンペイウスに比べて、戦争に勝っては帰ってくるカエサルはみんなの英雄扱い。3人でうまいこと保っていたバランスが崩壊し、カエサル1強になることを危惧したポンペイウスはカエサルを追放しようとします。カエサルはこれに対抗するのでカエサル VS ポンペイウスが今始まる。 
「賽は投げられた」とはまさにこの時に生まれた言葉!

しかし実際に戦争していたカエサル勢力は強大であり、ポンペイウス勢力は敗退。共和政は事実上崩壊し、カエサル1トップ状態へと変貌するのでした。

ところが共和政を望む市民たちは次第にカエサルに不信感を抱くようになります。あんなにも英雄扱いだったのにも関わらず次第に裏切り者は増えていき、
そしてとうとう最も信じていた友人ブルータスにも裏切られ
「ブルータス お前もか」
という有名なセリフを残し、カエサルは幕を閉じるのです。

何が起こるのか分からないですね!
やがてローマは立て直ししていきますが、次回をお楽しみに!

今回のまとめ

・マケドニアからギリシャ・ペルシアを征服し、東西融和政策とヘリニズム文化を生んだアレクサンドロス大王

・やがてマラリアで病死 「最強の者が俺の後を継げ」と言い残し後継者争いでギリシャは弱体化

・一方その頃共和政ローマがハンニバル率いるカルタゴに勝つ
・奴隷が作る安くて大量の農作物により国内の農民が価格競争に負ける 貧富の差が拡大 内乱発生

・三頭政治とカエサルのガリア遠征、勝利により国内安定化

・戦死で2トップ態勢になりバランス崩壊 英雄カエサル1強を恐れたポンペイウスはカエサルを追放しようとするも返り討ち カエサル1強状態に

・共和政を望む市民たちの裏切りによりカエサル死亡

最後まで読んでいただきありがとうございました!