高校生、母の話をする
『なんとかなるよ、大丈夫』
母は私によくこう言う。
小学生の頃から母の愉快さというか
なんだかおかしな所には薄々気づいていたが、
最近はもう母といれば必ず笑いが起きる。
『うちのおかん、やばい』
と思った1番古い記憶はと言うと、
当時やっていた習い事で不貞腐れた態度をとって、
隣の公園に逃走した私を
(そもそもこれも奇行)
全力疾走で追いかけてくる母に、ある意味恐怖と
何だこの人、
なんかわーおと幼いながらに感じたことだろうか。
加えて驚きなのが
この1件以降、母が走っている姿を見ていないことである。
さらに私の年齢が上がるにつれて、母のおもしろさは
加速していく。
(おもしろさを感じ取る私の勘も、磨かれていったのかもしれないが)
最近母はじゃんけんを両方の手で挑むようになった。
私の家ではゴミ捨てじゃんけんなるものが開催される。
初めは普通のじゃんけんだったのに、
母が負ける日が続くと
3回勝負にしようと提案された。
しかも普通の3回勝負なのではなく、
母が1回目で負けた時の3回勝負なのだ。
いやこれは不公平すぎると心の中では思ったが、
このルールがしばらく続いた。
それでも母が負ける日が続いたある日、
事件は起こった。
『じゃんけんぽん』
母は両手でじゃんけんした。
その手はパーとチョキだった。
いくらなんでも、
両手出しちゃったらもう成り立たないじゃないか。
これには一瞬、2人で顔を見合わせ時が止まったが、
よく考えてみるとこの状況がおかしすぎると気づき爆笑。
ちなみにこの日の勝者は、母だった。
こんなやりとりが日常茶飯事だ。
ああ、愉快だなと今日も思う。
『明日学校で小テストなんだった、忘れてた』
と焦る私に
『なんとかなるよ、大丈夫』
『大学落ちたらどうしよう』
と悩む私に
『なんとかなるよ、大丈夫』
(なんとかならないやろ)ってツッコミたくなる時も
今日までいっぱいあったが
なんだかんだ、おまじないのようなこの言葉は
私の中でお守りになってくれている。
母よ。
なんとかならなかった時は、ぜひ、半分こして欲しい。
それと、最高だよ。