彼の詩と、アンサーのエッセイ
恋人への手紙を書いたことがある。
言葉を目に見える形にすると、どこか本心ではないような、本当に思っていることが伝わっていないような、そんな気がしてしまう。
でも自分が受け手になると、そんなことは全く気にならず、手紙というだけでただ単純にうれしい。そんなものか。
これは、手紙ではないけれど詩を見せてもらった日の出来事。
***
昨日の夜、彼から「今日書いた詩をみてほしい」と持ち掛けられた。
詩?ポエム?なぜ…?
隣にいるけどすぐにLINEが鳴って、
そこには10行くらいの言葉が、歌詞のように並んでいた。
読んでみたけれど、かなり抽象的な言葉たちで、
これは、、、何かに追い詰められてるのかしら?
こんなことしか言えなかった。
お、やっぱ着眼点いいね
なぜか褒められた。
次になんて感想を言おうか迷っていると、
解説が始まったのでおとなしく相槌をうった。
まずこの単語が思い浮かんで、
それからこう遷移してったんだよね
最後のところは寿命ってことだと思う
ほう・・・ほう・・・
***
正直、詩に関しては半分も理解できたかわからない。
ただ詩は彼自身のアウトプットであり、またアウトプットを共有できることをとても喜んでいた。
彼は今回みたいなお互いのアウトプット共有を、定期的にやっていきたいという。一緒に文化的にも成長していこうと。
すごい提案をされてしまった。
私も文章を書きたいとは思っているけど、詩でも小説でもないエッセイというか日記だしな。
それ以前に、自分が生んだ文章を身内に読んでもらうって、私には、かなり恥ずかしい。一切の恥じらいなく、むしろ誇ったように詩を解説してくれた彼、やっぱりすごい。
彼といるとこうやってふとしたきっかけで、自分が今まで思いもしなかった方向に巻き込まれ、人生が進み、新しい自分になっていく。
少し大げさだけど、今回の提案にのったら、またひとつ自分が新しくなる予感がする。
***
彼がいきなり詩を書いたのは、昼間暇だったことに加えて、前に私が言った「人生で1回は本を出したい」という言葉が頭に思い浮かんだからだという。
どうしようか、最初の引き金を引いたのは私らしい。
彼の素敵な詩と、素敵な提案へのアンサーが必要だ。
そうだな、この記事をみてもらおうか。
彼の詩とはジャンルが違うけど、内面とむきあったアウトプットという点では同じかな。ああでも、やっぱりちょっと恥ずかしい。
決心がつくときまで、推敲に推敲を重ねてみよう。
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