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手前味噌に、彼のくれた恋文のこと

彼から恋文をもらった。

彼から手紙をもらうのは、実は2度目だ。
前回は中学3年生、卒業記念に同級生へ手紙を書く企画でもらった、感謝の手紙。

今回、15年ぶりにもらった手紙は、来週にひかえた私の30歳に誕生日に寄せたもの。

ハガキでも便箋でもカードでもない
縦書き明朝体、B5サイズ
コンビニで印刷、自分で製本した、
手作り小冊子の恋文だった。


***


M-1の決勝は、本格的に年末に突入するためのスイッチのようなものだ。
世間ではクリスマス、大晦日、年越し。私にとっては誕生日。彼にとっては1年で1番仕事が忙しくなるから色々とそれどころではない。

去年までは家でひとりみていたM-1も、結婚前提の同棲を始めた今年、初めて彼と二人でみることができた。感想を言い合いながら、結果に一喜一憂しながら、ビールを飲みながら、ふるさと納税返礼品のイチゴを贅沢に食べながら。3時間はあっという間にすぎた。

10時を過ぎて少し酔っているところ、そういえば見せたいものがある、といって1冊の本を渡された。
小冊子?
白い紙に白いテープで綴じてある。紙にはハサミの跡がみえる。


人に贈り物をするとき、言い訳のようなことを言ってしまうのはなぜだろう。わたしにも身に覚えがある。照れ隠しかな、いろいろ予防線を張ってしまう。

彼の言い訳と状況説明がこのままでは一生終わらないので、いったん遮ってその小冊子を全部読んだ。

それは、わたしへの愛がめちゃくちゃに詰まった恋文だった。
9ページにわたる大傑作に、彼の言葉で、愛が綴られていた。


***


読んでいるとき、すごくうれしいけれど少し気恥ずかしい、胸がきゅんとなるのが世の恋文文化だろう。

だが今回もらった小冊子の恋文は少し違った。

全然気恥ずかしくならずにページをめくっていけるのは、論文調で書かれているからかな。
きゅんという刺激ではなく、心がじんわりあたたまる。
いっぱいの愛を伝えようとしているのがわかる。
彼の文才と言葉選びの妙と、彼自身の魅力にあふれている。

ああ、これはわたし宛の恋文であり、また彼の分身なのだ。
わたしの大好きな彼が、この恋文にはつまっている。

恋文をもらうということは、彼の一部をもらうようなものだ。彼から分かれた血と肉がこの恋文だ。
そしてこれからわたしは、彼の時間、人生、気持ち、それらをもらって、また同時にわたし自身をわたして、共有しながら生きていくのだ。
これほど幸せでうれしいことはない。


***


翌月曜日の夜、恋文の詳しい解説を聞いた。
構想、構成、言葉の選び方、推敲の経緯。書き始めたら筆が止まらなかったこと。
彼はもう作家先生である。

どこか直した方がいいところとかある?
前向きすぎて笑ってしまったが、嬉しさでいっぱいのわたしに添削などできそうにない。

先生は小冊子形式の恋文作りに楽しさと手応えを感じたようで、次の作品作りも考えたいと言っていた。唯一の読者として第二作を楽しみに待つ。


***


タンスの奥に、実家からもってきた「大切なものBOX」がある。
中学時代に彼からもらった手紙は、実はこの箱の中に入っていて、数年に1回読み返しては、なつかしい気持ちになっている。

今回もらった恋文はどうしようか。
宝物だけど、箱の中にしまい込むのはもったいない。

来年の日めくりカレンダーを買ったから、
その隣を定位置にしよう。

彼の作品として、いつでも読み返せるように、
愛を補充したいときにすぐ手に取れるように、
飲みながら一緒に解説や感想を言い合えるように





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