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読むべき本が終わらない

読まなくてはいけない書籍が増えて困っている。
手元にあるのだけれど、まだ読めない書籍もあれば、読まないといけない、読むべき書籍なのにもかかわらず、手に入らないものもあります。

普段から書籍に目を通さないわけではない。
つねに書籍はカバンの中に持ち歩いていますし、どの書籍を持って行こうかと厳選している内に、とうに出発しなければいけない時間を過ぎてしまうことだってある。どうせ自分でクルマを運転して移動するから、たいていの場合、読んでいる時間なんてあるわけがないのに、カバンで持ち運ぶ書籍を選んでいる。

読むべき書籍のほとんどは師匠からおすすめいただいたものであり、手に入らないのも師匠からのおすすめ品だ。
「おすすめの書籍はありませんか?」と自分から聞くのだから、そりゃ増えることになる。
おすすめいただいたのになかなか手に入らない書籍はインターネットでは欠かさずチェックするようにしているし、師弟会の誰かが手に入れたとなると読み終わったら借りようと心に決める。でもできたら良書は手元に置きたいものです。

師匠からおすすめいただく書籍のほとんどが一回通読しただけでは終わらないものが多い。読んで、おもしろかったなとか、為になったなとか、新しい知識を得たな、ということもあるけれど、それからしばらくして、もう一回通読してみたら新しい発見がある書籍がほとんどなのだ。

ということは、いつまでもその書籍を読み終えることはない。
つねに新しい自分として書籍は迎えてくれるのだ。
一度目や二度目には気が付かなかった、読んでいるはずなのに頭の中に入って来なかった一文が心を掴んで離さない、そういった経験も一度や二度ではない。あの頃、まじめに一生懸命になって読んでいた私はどこへ行ってしまったのだろうというくらい新しい気持ちで読めるのが不思議である。

ところがすべての書籍がそうであるかと言ったらそうでもない。
一度読んだだけで「もう読まないだろう」「もういいわ」って思う書籍もたくさんある。
その多くは師匠からおすすめいただいた書籍ではなく、以前購入したもの。流行っていた書籍やCMに乗じて購入したノウハウもの、ハウトゥーものというやつだ。この手のものを何度も何度も繰り返し読むことはあまりない。

一時期はビジネス本やノウハウ本、ハウトゥー本、自己啓発系の本などがよく売れていたみたいだけれど、最近ではどうなんだろう?ノウハウやハウトゥーという世界観の限界が近いのかもしれない。

ところでノウハウとハウトゥーってどういう意味だろうと思って調べてみました。

ノウハウ(Know-how)とは、ある特定のタスクや分野において、実践的な知識や技術、経験的な知恵のことを指します。ノウハウは、長年の実践や試行錯誤によって蓄積されたものであり、その分野のエキスパートが持っている暗黙知のようなものです。
一方、ハウトゥー(How-to)とは、ある特定のタスクや活動を行う際の具体的な手順や方法を示したものです。ハウトゥーは、ノウハウを体系化して分かりやすく説明したものであり、初心者でも理解しやすいように書かれています。
つまり、ノウハウは"知識"の側面が強く、ハウトゥーは"手順"の側面が強いといえます。
ノウハウは一般的に、特定の分野で長年経験を積んだ専門家が持っている知識や技術のことを指します。一方、ハウトゥーは、そのようなノウハウを分かりやすい手順として表現したものといえるでしょう。

ノウハウににしてもハウトゥーにしても、あるタスクがあって、それに対する最適な回答をいかに間違いがないように導き出すかという点では優れているのかもしれない。

具体例を引用します。

例えば、ある企業の営業担当者の場合を考えてみましょう。
この営業担当者は、長年の営業経験を通して、どのように顧客と良好な関係を築くか、どのようにニーズを見極めるか、どのような交渉術を使うと効果的かといった、様々なノウハウを身につけています。これが彼のノウハウです。
一方、この営業担当者がそのノウハウを整理して、「営業活動の7つのステップ」のようにマニュアル化したものが、ハウトゥーにあたります。つまり、ノウハウを具体的な手順として文章化し、初心者でも理解しやすいように説明したものがハウトゥーです。
別の例としては、ある料理人が長年の経験から培った"うまい料理"を作るコツがノウハウです。そして、その料理のレシピや作り方を詳細に説明したものがハウトゥーに当たります。
このように、ノウハウはエキスパートが持っている暗黙知であり、ハウトゥーはそのノウハウを体系化して分かりやすく表現したものだと理解できます。ノウハウとハウトゥーは密接に関連しながら、異なる側面を持つ概念なのです。

ノウハウもハウトゥーも必要なものであり、すべてのノウハウやハウトゥーを知っているということではない。実際にお金持ちになる方法や人間関係がうまく行く方法、健康になる方法、幸せになる方法を謳うコピーには事欠かない。

ノウハウやハウトゥーだけでは一般化され過ぎて、私個人的なものには対応しきれないから敬遠されてしまったのかもしれない。多様性とも言うが、価値観が多様化したからこそ、単なる成功哲学というものがつまらなくも見えるのだろう。

私たちは本当の私たちを真剣に探し始めた。
それは風水の暦、三元九運でいうところの第九運氣に入ったからでもある。
私たちはこれまでの成功哲学ではなく、本当の私たちに出会うためのノウハウやハウトゥーを新たに求めているのかもしれません。

人生の究極の目的
それは光に目覚めること。
目覚めれば、そこには「安心」と「幸せ」が待っている。

「瞑想」から「明想」へ   山本清次著


読んでくださってありがとうございます。とてもうれしいです。