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なぜ整体が必要なのだろう?

整体とは状態である

整体というのは状態です。ということは「整体を受ける」とか「整体してもらう」というのは本来はまちがった使い方です。整体は状態なのですから、整体なのか?そうでないのか?ということです。そして整体の状態を目指すというものです。
状態なのですから、整体であるときもあればそうでないときもあります。そして言わずもがなですが整体の状態が望ましい。
わたしは整体を生業にしていますし、整体操法に来ていただきたいと思っています。整体の状態でいることが難しい世の中だからこそ整体を求めてほしいと思います。
心と身体はつながっています。ずいぶんと認識されてきた概念です。これまでは心と身体は別物として扱われてきました。医学の世界でもずいぶんと変わってきたように思いますが、整形外科と精神科が存在しているところをみると一緒にできない部分もあるのだと思います。
心と身体はつながっていて、身体だけでなく心も病む人が増えています。


心を病む人

メンタルの重要性が言われています。メンタルを心を病んでふさぎ込んでしまう人もおられます。人間というものは悩みが原因で胃に穴をあけることもあります。悩みが原因で身体を傷つけるのが人間ですから心を病むというのは現代においてはとても重要なことです。
どうして心を病むのかという理由はさまざまだと思いますが、追い詰められてギリギリのところで踏ん張っている状況があるのではないと思います。心が強靭な人ってわたしは見たことがありません。誰もが心は弱く、もろく、揺れ動いています。うれしいことがあると喜びますし、イヤなことがあると腹を立てたり、悲しんだり、落ち込んだりします。感情が重しをかけてきますから、心の傷もなかなか癒されることもない。そうこうしている内に感情が揺れ動き、心が痛む瞬間はやってきます。交通事故に遭って病院に運ばれることなんて一生に何度もあることではありませんが、心を痛める機会は一日に何度も訪れる。心を傷つけたくないと思うとふさぎ込むのも当然かと思います。
大阪弁で「神経が鈍い」ということがあります。これはメンタルが強いとか図太いというときに使いますが、「神経が鈍い」ようにならないとやって行けないのが現代社会。
「鈍感力」という言葉も流行りました。心も鈍くしないと今の社会は生きにくいようです。


身体を病む人

一方で心は病んでいないという人もおられます。
そういった人でも慢性的に肩が凝っているとか腰がいつもだるいと言っておられます。これくらいの肩凝りや腰のだるさ、腰痛なんていつものことだからどうってことないって毎日を過ごしておられる人も多いかと思います。「どこのマッサージに行っても整体に行っても治らない」と豪語している人もいます。「強くしてもらわないと効かない」という人もいます。
痛みというのは本来敏感なものです。たとえば骨折したらとてつもなく痛いです。腫れますし、熱を持つ。足を骨折したら足を動かすのも痛くて歩くのなんてできない。よく聞く話ですね。別の例で言うと手術を受けるときに麻酔が効いてて痛くなかったけど術後に麻酔が切れたら痛くてしかたがないというのもよく聞きます。
強くしてもらわないと効かないという人は麻酔の状態です。身体に麻酔がかかっている。ですので強くしてもらわないと感じない。身体を日常的に鈍くしているのです。なぜか?身体を鈍くしないとやって行けないほど過酷な毎日なのだと思います。鈍くないとやっていけないんです。だから身体を鈍くする。それでも慢性的に肩が凝ったり腰痛を抱えている。その程度の麻酔じゃごまかし切れないんです。


健康の仕組み

心も身体も傷つきやすいわたしたちは健康になりたいと思います。ここで健康について考えたいと思うのですが、健康というのは病気がない状態ではありません。痛いところがない状態でもありません。血液検査やレントゲン検査の結果で異常がないことでもありません。筋肉が隆々であることでありませんしマラソンが走れることでもない。
整体は背骨を基にしていろいろなことをしていきます。背骨というのは実は動いていて上に動く骨もあれば左右に動く骨もある。上に動く骨は上に、左右に動く骨は左右に動くのが正常です。上に動く骨が左右に動くと問題ではありますが、動く骨が動かないのがもっと問題です。人間は息をしています。息をするたびに胸や腹、肩などが上下、左右に動きます。酸素が入ってきて出ていくわけですから、その分膨らんだり縮んだりします。身体が膨らんだり縮んだりできないとすれば単純に息がしにくくて息苦しい。当然ですね。それと同じように背骨も動いています。上に動く骨が左右に動くことは問題ですが、動くはずの骨が動かない方が問題です。
背骨は動いています。心や身体に異変が起きると背骨に現れます。背骨が異常な動きを示したり、固まったりする異常を発見するわけですけれど、背骨がその動きを確保できている内は問題になりません。たとえば背骨が右に動く、右に動いた背骨はある一定以上に行き過ぎると困りますから左に戻ろうとします。そして元の位置に戻ったら、また右に動こうとする。左に戻ってこよう、また右に行こうという働きが生きる力であり、健康な状態です。心に傷を負っても背骨は傷を負った風に動く。身体が疲れてきたら身体が疲れてきたように動きます。鈍くて何も感じないのは健康とは言えないのです。


先の見えない時代

心も身体も鈍くしていないと生きにくい世の中が本来であれば異常なのですが、世の中ばかり憂慮していてもはじまらない。先の見えない時代だからこそ正しく病んで正しく復帰してくることが大事なのだと思います。
心も身体も鈍くしていますとほんとうの危険がわからない。危険がわからないのに何かしらの判断と決断を要求されます。情報が判断や決断を左右しますから情報を集めようとインターネットを検索しますが、真逆の回答が書いてある。レビューも閲覧数も信用に値するのだろうか?先が見えない、一寸先はどうなるかわからない世の中ですからむやみに危険を感じることもむやみに大丈夫だということも危険だと思います。
これまで心も身体も鈍くしてきました。それが健康とか丈夫、タフさの条件でした。でもこれからの時代はそうではありません。
繊細さも正しい繊細さがあります。むやみな繊細さは過敏でしかない。過敏も鈍さと変わりはないのです。察知しているのか妄想しているのか見極めないといけません。何となく感じる・・・それを察知しようとすると整体な状態がとても有利です。

まとめ

整体とは状態を表す言葉です。整体とは過敏でもなく鈍いわけでもない。正しい危険を危険を感じ、正しい大丈夫を大丈夫と感じることができるのが整体です。先の見えないこの時代にこそ整体が必要なのだと思います。

読んでくださってありがとうございます。とてもうれしいです。