しあわせを求めるために
最近、働き方改革の文脈で、「残業せず、休暇をしっかり取る」という切り口で紹介されることが多いドイツ。実際、2018年のOECDのデータでも、38カ国中、ドイツが最も短い労働時間となっている(日本は22位)。なぜ、短い労働時間でも経済がまわっているのだろうか。
最近の働き方改革は「早く帰れ、残業するな、でも仕事はちゃんとしろ」っていうふうに感じられる。
残業なしでこれまでの仕事がこなせるなら、これまでの仕事はなんだったんだ?って言いたくなる。そして、こういった制度が守られているのは多くは公共団体とか大企業。中小の企業ではそうはいかない部分もあるし、サービス業でも「かきいれどき」っていうものがあって、シーズンで左右される商売だとそういうわけにもいかない。フリーランスなどもそうだと思うし、けっきょくのところ上から押し付けられた制度なんでしょ、ってくらいに思っていた。
記事ではドイツの現状などが、まず書かれている。
国として、置かれている状況が全く異なるため、単純比較はできないが、確かに言えるのは、ドイツ人も働かないというわけではない、ということだ。
まぁこういった断り書きはひつよう。単純比較はできないよ、ってことですね。国として、置かれている状況、というのもそうですね。ただ、戦後からの復興という意味ではドイツも日本も歴史的には敗戦国としてスタートしている。
ドイツ企業ではマネジャー職は仕事内容で給料が決まっていて、1日の労働時間は決まっていないし、残業代も出ない。しかし、ガツガツ仕事で上を目指す人間は進んで残業するし、家に仕事を持ち帰ることもあるという。
このあたりは日本もドイツも同じですね。仕事の責任と内容がたいへんだからって、昇進を拒否する人もいるくらい。マネージャーならいいかもしれないけど、平取りみたいな役職だとつらいっていう。
一方、時間で給料をもらう職種の場合、1日で働く時間の上限は原則8時間と決まっており、上限を過ぎて働いた分は残業代ではなく時間で補償される。つまり、その分他の日に早く帰ったり、貯まった残業時間で休暇を取ることで還元されるという。
時間が返ってくるのはうれしい。子どもが参観日があるからとか懇談会があるとかでも、労働時間を貯金できるのはたいへんありがたいし、はたらきやすい。
家族のことをほっぽらかして仕事にいかなきゃいけないのに、情熱を持てない仕事だったら、何のためにはたらいているのかわからなくなる。
ただし、個人経営の花屋勤務では、クリスマス前には店員総出で深夜1時2時に及ぶまでクリスマス用の商品作りに追われるという。ドイツの法律では従業員を10時間超えて働かせることは法律違反となるため、サービス残業の扱いとなっているようで、日本と同様に中小企業ではサービス残業も横行しているようだ。
こういうのはどこでもありますよね。
クリスマスのような「かきいれどき」にはそのとき集中的に仕事をしないとならない部分もある。
だまっていて、口をあけて待っているだけで、仕事が来るようなところはいいけど、そうでないところは必死なんだよ。
ドイツにも確かに残業は存在している。ただし、「長時間働く人ほど評価が高い」という文化的背景はなく、雇用契約で仕事内容が決まっているため「それは自分の仕事ではない」という意識が徹底しており、他の人が帰らないから帰りづらい、といった空気はないという。
ぼくが以前、つとめていた会社が「残業が多い人ほどえらい」っていう雰囲気がありました。最近は働き方改革でそういうことはなくなったみたいですが、「残業したらいけんですから、残業代が減って困ります」って言ってた人がいたけど、定時で帰れていてもあなたの仕事はまわっているんでしょ?じゃあ、これまでの残業はなんだったの?って思います。
そういう空気感とかありますね。
だいきらいです、ぼく。
よくある言い回しだが「日本人は課題があれば完璧に仕上げようとして結果間に合わない。ドイツ人は雑な仕上げだが期限に間に合わせる」という言葉は正しい
・ドイツ鉄道は悪評高く、遅延はしょっちゅう、指定席券を購入したが予約した車両が来なかったため空席を探す羽目になることも。
・自宅の暖房が壊れたので修理の予約をしたが、来たのは約束の時間の6時間後。
・クリーニング店に預けた服の一部が返ってこなかった。
・宅配便が来ず、追跡システムで調べると配送済みになっているが近隣の人に預けられてもいない。ふとベランダを見たら、投げ込まれた荷物がそこに(なお住居があるのは2階)。
・引っ越し業者に頼んだら引っ越し中に高い食器類を入れた箱だけ紛失。
ドイツ・・・雑な仕上げにもほどがあるぞ!って言いたくなるのは日本人のわるいところでしょうか。
こうやってみてみると、日本のサービス業がどれほど優秀で、それを維持するのにどれほどの対価があるのか、っていうことですね。
その分、どこかで泣いている人がいるのかもしれない。
その分、どこかでつらい思いをしている人がいるのかもしれない。
サービス砂漠と呼ばれるドイツの実情だ
サービス砂漠とはおもしろい言い方ですね。はじめて知りました。
ただ、経済活動をまわすだけなら、サービス砂漠でもどうにかなる。じゃあ日本の過剰なサービスは如何なものだろう?
ドイツに旅行した人なら身をもって体験したこともあるだろうが、ドイツには「閉店法(Gesetz über den Ladenschluß: LadSchlG)」という法律がある。州ごとに細かい規則は異なるが、特定の日を除き日曜日および祝日は完全閉店という点では共通している。
これも日本では信じられない話ですね。とくにサービス業では日曜日や祝日は大勢の人が来店してくれるチャンスですから。
鳥取県に移住してきたときに、おどろいたのが日曜日というのにガソリンスタンドが休みなこと。飲食店が休みなこと。
これは近所の個人経営の店舗にかぎったことで、ある程度大きな町に行くとお店は開いている。でも、地元のお店がやすみなのにはおどろいた。
「そうはいっても開いている店舗もあるだろう」という考えは甘い。
ガソリンスタンド、キオスク(ドイツのキオスクは街角にあるスタンド)、中央駅などの駅店舗、空港店舗など一部を除けば本当にやっていない。日本におけるコンビニ的なものはない。 「閉店法」は飲食店には適用されないのでレストランなどはオープンしているが、クリスマスの完全閉店ぶりは徹底している。
小さな町のホテルでクリスマスイブに、開いている数少ないレストランにあぶれ、開いているキオスク1つなく、手持ちのポテトチップス1袋をクリスマスディナーとしたのは紛れもなく我が一家だ。
交通機関のストライキもしょっちゅうあり、不便さを助長する要因の一つになっている。
やっぱり受けられると思っているサービスが受けられないのは不便なのか。
たしかに、いつまで待っても電車が来ないのは不便そうにも思える。
ドイツでは休暇も取れるようで、そのシステムは完全にだれかがサポートしてくれるからやすむというものではないらしい。
だから、担当者不在で相当待たされることもあるようだ。
そう思うと不便なのかな?
誰だって担当者不在で物事が前に進まなければいら立ちもする。だがそれが許容されるのは、次に休暇を取るのは自分だからだ。お互いに迷惑を掛けあい、不便をかこちあいながら生きる社会なのである。
結局のところ、我々日本人は便利さを享受することに慣れている。それがお互いに首を絞めあいながら達成したものだとしても。そして、誰かに迷惑を掛けることには慣れていない。
お互いに迷惑を掛け合うことをよしとしない社会では、自己犠牲ばかりがもてはやされる。それもつかの間、すぐにそれを強要するようになる。
寛容ではない社会そのものが、息苦しいのは当然のことだ。これは働き方改革とかで、押し付けられて変わって行くものではない。わたしたち日本人が寛容ではない証拠だ。
そういったことは、国民が一体になって、なにかを成し遂げるためにはひつようなことなのかもしれないが、わたしたちが個別サイズの幸せを求めるにはひつようないことなのかもしれない。
本日もお読みいただき、ありがとうございます。
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