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身体が作り出す世界観

誰にでも癖というものはあります。
もちろん私にも癖があります。
一言で癖といってもいろいろあります。
たとえば身体の動作や行為である箸を持つしぐさの癖もそうですし、頭の中、思考の方向性という癖もあります。
ネガティブな捉え方をしていまい「いかんいかん」と思うのも、ひとつのルーティン化したような癖といえるものなのかもしれません。

癖はわかっていてもついついしてしまうことですし、癖を無理やり矯正しようとするとかえって窮屈さを感じます。
他人に迷惑をかけるような癖だったり、自分から見て心地よくない癖なら、窮屈さを代償にしてでも改善した方がいい。
ただ、癖というのは自分ではわからないことが多いので、なかなか改善しにくい面もあります。

整体の考え方に体癖というものがあります。
体癖は背骨を中心に判定するものですが、背骨の動きによって、その人のものごとの捉え方や性格、体格や顔の形までもが分類される。

同じ体癖の人は同じようなものの考え方をするし、なんとなく体格や顔の形も似てくる。
「この人と氣が合う」と思っても単に同じ体癖だったということもある。
「親子なのに似ていない」というのも体癖が違うというだけのことも多い。

よくあることですが、兄弟の片方がお父さん似で片方がお母さん似というのも、兄弟の片方がお父さんと同じ体癖で、もう片方がお母さんと同じ体癖だからという違いに他ならない。
体癖も遺伝するから、基本的に親に似てくることになる。
「長男は宇宙人」って言ってても単に自分と違う体癖だから宇宙人に見えるだけだったりする。

体癖も癖という文字を使っているからには、どちらかというと意識に上らない上での行動や標榜になります。本人は認めたくないけど、容姿が親に似てきたり、ふとした佇まいが親を彷彿させる。

ある体癖のバイオリニストは強調してバイオリンを奏でるときも身体を横に倒しているし、ある体癖のピアニストはやはり伸び上がるようにして鍵盤をたたいている。
それもまた体癖だと思うと、無意識というものが意識的状態の自分を作るのだ。

身体を左右に振るバイオリニストが現わす世界観はどこか抒情的であっち行ったりこっち行ったりひらひらしているが、演奏後の笑顔は欠かせない。
その世界観を体癖を客観視しながら味わうとバイオリニストのサービス精神やプロ意識が垣間見える。ある種の自己犠牲と言ってもいいような世界観もバイオリニストの体癖が作り出す世界であり、それはそれで味わい深い。

自分が持たない癖に出会うことは新しい世界に自分を導く、世界を広げることにも繋がるのだなと思いました。

つくづく、出役というのは丸裸になって身も心も削られる職業だなと。それだけで尊敬に値する。

読んでくださってありがとうございます。とてもうれしいです。