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時間の価値:パフォーマンスに囚われない日常の選択と気づき

 愛光流からだと心整体 隅田真人がここ数日のできごとの中で感じたことや思ったこと、考えたことを書いています。なるべく日常的なことを書いています。


 普段から会っている人と少し時間をとって話をするのがうれしい。
 いつも会っている、普段から会っている人って自分の中でとても大事な登場人物でして、それは家族でも同僚でも先輩でも後輩でもいいのですが、他の特別な登場人物を大事にするあまり、ついつい流されてしまいます。そうではなくて改めて話をする時間がうれしい。

 こういうときって意外と一方通行だったり、立場や役職の関係で縦方向のコミュニケーションになりがちなのだけど、それをなるべく回避するように心がけてみる。わざわざレストランに出かけたり、プレゼントを用意したりもいいかもしれないが、そこまででなくても、いつもの人といつも以上にゆっくり過ごす。

 意外と相手のことを知らないものだし、相手も当然ながらアップグレードしている。そういう人と普段会っている、いつも会っていると思うとうれしくなります。

 人間ってもちろん成長するものだし、ほんの数日合わないだけで変わります。「男子、三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ」という慣用句があります。

人間だれもが能力を持っている。外見からはわからないほど、色々な能力をもっているのである。この慣用句も、三日間というわずかな時間でも人間は変わることができるということを言っている

https://www.nohkai.ne.jp/tyorei/?p=2090

 身近な人の意外な一面や隠された能力、道の力を見つけるとうれしくなります。一緒にいる時間がキラキラして見えるのが不思議。ワンピースシリーズで新世界に行く前みたい。


 体調が悪いとき、これをやったら体調改善にいいんだろうなっていうときに限ってやっていない、やれていないことってあります。だから体調を崩したんだよって結果的になっている。即座に対処していればよかったのに、って思っても後のお祭り。

 限って、できない、やらないことっていろいろあると思うんです。今日に限ってってやつです。「この時に遅刻したらまずいだろ!」いままで毎日ちゃんと来ていたのにっていう。大事な会議、大事な商談、プレゼンの前にやらかしちゃうっていうやつですね。風邪をひきかけたときに早く寝ていればよかったのに、ZOOMなんて退席してしまえばよかった。

 体調を崩しかけたときに限ってプロテインやビタミンが摂れない、摂れなかったことが多い。きちんと栄養を摂っていれば、寝込むまでにはならなかっただろう。身体の修復や回復が遅れて、寝込むきっかけになってしまった。わかっていてもできないものなのだから、わかってなかったらもっとできないのだろう。

 あぁやっちゃったなと思っても、いまできることしか結局できない。


 風水をやっていますと方位というものを観ることが多いです。南とか北東とか8方位だけでなく、本格的に鑑定をする場合には、さらに細かく24方位を観ます。北の方位とかではなく子の方位とか癸の方位、丑の方位とか坤の方位とか。干支や八卦で表現されている方位も観て行きます。

 干支や八卦の方位にその建物に住む人の干支や五行も関係してきますから観ないわけにはいきません。ちなみに今年は寅の年ですね。ですので申の方位は注意すべき方位です。申の方位に玄関があるとか寝室がある建物や家はあまり運がよいとは言えません。申の方位と言いますと南西の方位ですが、南西の方位と一言で言っても、申以外に他にも南西の方位はありますので一概に言えません。

 そうなると同じ南西でもきちんと申なのか?その他なのか?というのを観ないといけません。風水における対策も変わってきますので、きちんとした方がいい。

 方位にまつわる神さまもおられるようで、方位の神社に行ってきました。本殿の奥の方は閲覧できませんでしたが、資料によりますと方位盤がおさめられているとのことでした。

 都の時代、天皇や公家の時代、貴族の時代、それから戦乱の武士の時代とそれぞれに方位をとり、吉を味方にしてきました。

 たしかに時の権力や命、自分のものだけでなく一族の命をも賭けて戦った時代ですから「方位くらいいいんじゃね?」「迷信でしょ?」「科学的じゃない」なんて言っていられなかったんだろうな。方位もそれまでの成功体験や失敗事例などを積み重ねて伝えられてきた歴史的なもの。神社にまでなっているんだから。


 四柱推命の研鑽会をしました。お題をいただいて、みなさまと鑑定というか命式を読んでいきます。単に命式を立てるだけでなく、検討事項も事前にいただくようにしています。研鑽会でお題を進めていく内に感じたことは、自分に向いている職業とか今後の健康、どういった風に人生が動いていくのか、という検討事項が多いように感じました。参加者さまではなく参加者さまの向こう側にいる人たちが知りたいと思っていること、興味を持っていることです。

 このような時代だからなのか、これからどうなっていくのだろう?ということに興味があるようですね。「この人にはこういうことが向いていますよ」「こういう風にこの人の人生は動いていくでしょう」ということは机上では考えることが可能です。

 しかし、本人さまの望むことや向かって行きたい方向というのは本人さましかわかりません。「ダメです」ではなく「どうしたらいいんだろうか?」ということを考えていくことが大事なのだと思います。


 何となく世界が動いて来ていて「もうそろそろあかんのちゃうかな?」っていうくらいの波が来ている。どこに逃げても逃げるところがなくて、知らないふりをしても、誰かのせいにしても乗り越えられるものではない。ただ、いま思うことは迎える準備はできているのだろうかと。


 今回も日々起きていることの中で日常に即した形で書きました。いまこの時間をどのように使うかというのを単にパフォーマンスで測るのは危険だと思っていて、「コスパ」とか「タイパ」を数値化するのは誰かがやってくれることだから、数値化しない部分を集めていようと思っています。

 本日もお読みいただき、ありがとうございます。


読んでくださってありがとうございます。とてもうれしいです。