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これからの時代に備える整体

落合陽一氏の著書「超AI時代の生存戦略」という本を読みました。

この本は以前から所有していて、前にも読んだことがあったのですが、こういった良書は何度も読み返すことで、その時々にあった自分にひびくことが異なります。まぁそれだけ、ぼーっと生きているのかもしれませんが、どうやらぼくは本の中のすべてをただ一度読んだだけで、自分の中に落とし込めることができるような都合のいい頭は持ち合わせてはいないようです。

この著書の副題として「シンギュラリティ(2040年代)に備える34のリスト」とあります。

これから訪れるであろうコンピューターの時代に、人間はどのように「これから」を過ごしていけばいいのか?といったことが書かれています。

もしよろしければ、手に取ってみてください


この中で、著者はほとんどの労働はコンピューター、AIがやるようになり、人間はその意味を考え直すことになるだろう、ということを言っています。

その中でストレスのコントロール、ストレス管理がたいせつだ、と述べています。

ストレスというものは現代社会において重要なキーワードになっています。


健康面でもそうですね。

ストレスフルな状態ってあまりよくない。できるだけストレスフリーでいたいものです。

ストレスから解放されるためにある場所に行く。

ストレスから解放されるためにある行動をする。

ストレスから解放されるためにある人に会う。

いろいろな工夫をして、われわれは何とかストレスから逃れようとしていますし、それができない状態が長期間にわたり続いていくと、病気というかたちを現し、ストレス活動を無理にでもストップさせ、強制的にストレスから逃れる手段を選ぶのです。

もしストレスを感じない人になれたとしたら、すごく理想的だと思っていて、すべての悪習はすべてストレスが溜まっていることが原因で起きているのではないかとさえ感じる。
それなので、なぜストレスが溜まるかについて僕なりに考えてみたら、それは「主体性」というキーワードにつながった。つまり、主体性を追い求めすぎるとストレスフルな状態になる、ということだ。

NHKの番組ではないですが、ボーっとして生きていけるほど安泰な世の中ではないでしょう。大きな企業に勤めたから将来が安心だ!そんなことは今や昔の話。

それゆえに、これからは個人として、他の人とは違った自分というものを如何にして表現していかなくてはいけないのか?そういった風潮が強くなっていくのかな?と思います。

もちろん、汎化しないかけがえのない自分を感じたいし、かけがえのない友人や恋人、家族を感じていたいと思います。


しかし、そういったものを主体的につくりあげていこう、自分からすすんで探そうとすればするほどストレスフルな状態になるようです。


どうやらこれからの時代に求められるものは、これまでのやり方ではなかなか難しいようです。

じゃあ、どうすればいいの?


手っ取り早く答えを求める、そういった競争社会的な部分も違う、ように思います。


さて、高度な人工知能がわれわれの生活に入りこんできたとき。

われわれの仕事を楽にしてくれて、われわれの生活を豊かにしてくれるとき、われわれが今している仕事を人工知能に譲らなければいけなくなったとき。

さまざまな場面で今後、われわれは人間としての価値を見出す努力をし始めるでしょう。

その中の拠り所が心とからだです。心とからだはロボットやAIとは違う。心とからだを持つものが人間なのだ。


そういった部分を信じようとします。

しかし、心は今後AIによって解析され、解明される関数に過ぎませんし、からだもその機能面ではいつか凌駕されるでしょう。

愛光流では心というものとからだというものに対してひとつの答えを持っています。

単純に言うと、からだの手入れというものは心の手入れにもなり、その人自身にある様々な要素、厚みや時間をも手入れすることに繋がります。

あらゆるものを享受するものがからだであるとするなら、そのからだを観ることはその人のあらゆるものを観ることにつながります。


心とからだは別なものではありません。それが別々に存在すると思っている時点が間違いの、混乱のはじまりです。


われわれが普段使っている知覚や認知というものを今後は独占できなくなります。いろいろなテクノロジーがこの領域に踏み込んでくるでしょう。すでに知識の分野ではとっくにその地位を明け渡しています。

われわれは本来いたところに立ち戻らなければいけません。

それはわれわれが無視し、拒否、否定し続けてきた本能というものなのです。

整体が一番大切にするのは感受性の回復です。

感受性の回復は人間が本来持っていた本能をみがくためには不可欠です。

本能がみがかれた人間とテクノロジーの融合がこれからの新しい社会のスタンダードになっていくことを願います。


それが新しい時代の全生なのかもしれない。


本日もお読みいただき、ありがとうございます。

読んでくださってありがとうございます。とてもうれしいです。