一流のオーディエンスを目指して~ノット×直球ブラームス~名曲全集177~ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団
先週の日曜日に、またまたミューザ川崎に。ずっとずっと、予定日が立てにくい仕事をしていたフラストレーション解消にコンサートに行き始めたら止まらない(笑)。
今回は、川崎市のフランチャイズの、東響をその音楽監督のジョナサン・ノットが振る。フライヤーには直球ブラームスということで第三楽章が大好きな交響曲3番。前半はドビュッシーの牧神の午後への前奏曲、デュサバンのオルガンとオーケストラの為の二重奏曲WAVESというプログラムでした。知らない曲に、知らない作曲家、大丈夫かしら、という気分。
19世紀末のフランス近代の柔らかく自由なドビュッシー。同時期でありながら、ベートーベンの直系と言えるブラームスは全く違う世界感。デュサバンはドビュッシーの流れをくむ現代作曲家で、1955年生まれとのことで、この曲は日本初演だそうです。アンコールはマーラーの花の草で、ノット曰く、一連の物語になるプログラムだそうです。ちょっとわかってない私です。ごめんなさい。
ドビュッシーの牧神の~は、夢にまどろむ中に行き来する妖精が舞い降り、匂いたつ花の香りにむせる自由な恋を連想させる、さすがフランスという曲ですっかりとりこになりました。
デュサバンはドビュッシーより更に更に、決められた調整やリズムや形式から解き放たれで華々しくも勇壮に、安易な安定を求めない苦しくもさ迷う様。寄せては砕ける波のように、まさに音が寄せては砕けていました。WAVESなんですね。
トランペットのソロが客席後ろにいて、パイプオルガンも鳴り響き、打楽器も波の美しさと恐ろしさを表現していました。
なんだか打楽器がたくさんあり、とても面白かったですね。金管楽器も多用されていて、迫力がありました。
自然とは、美しくあるも、恐ろしいです。それを音楽として表現する試みは成功しているでしょう。でも25分は、長いかなー(笑)。
ブラームスは最近大好きになって来ましたので、とても嬉しかったですね。ノット節と思われる、感情を込めて余韻をたっぷりと楽しめる表現。穏やかだったり劇的だったり、哀愁があったり、大きく盛り上がる第4楽章で完結するストーリー性も、私の中にはストンと落ちます。
ノットの左手から繰り出す思いは、オケの一人一人に届いていて感情がひとつに集約されて伝わりました。すごい左手に見惚れました。
全体としては、ドビュッシーの牧神の午後への前奏曲に酔いすぎて、ふわふわと約10分を無為にすごしてしまったかもと後悔。あ、、、しまった。終わってしまった。という感じでした。でも、あれを眠くなる音楽と感じる人もいるかな?
私の大好きな19世紀末のフランスで、時代の大きな変わり目に、音楽はより、形から離れて理論的ではない感覚の世界を目指していたのかと、感じました。時代性って必ずありますね。その19世紀末の世界を21世紀の日本で再現して、20世紀に生まれた私が聞いているわけです。時間軸の中に、人と音が響きあう雰囲気を楽しみました。
正直、デュパサンは私には難解でいかにも重苦しく、長い。もちろん、他の方には違うでしょう。あくまでも、私には。
で、ブラームスに救われるわけでした。ブラームスの交響曲は圧倒的に一番が大好きで、特に第一楽章の出だしは有名なだけでなく、いきなり胸に飛び込んでくる、ブラームスが満を持して出してきた交響曲!という気持ちが迫ります。3番は、そこへ行くと気負いがなくなり、自分らしさをのびのび表現しているように思えます。もちろん、ドラマチックなストーリーを織り込んで最後には天に昇るような輝きで終わるのは見事としか言えません。ノットが、最後の最後の響きを響き終わりの終わりの終わりまで大切にしていたのは、切に胸に染み入ることでした。テレビではわからない、生でしかわからない、そんなひとときをいただきました。