見出し画像

赤羽岩淵暮らしから国立暮らし。

赤羽岩淵での生活。

 8月、1年と半年過ごした赤羽岩淵から引っ越しをした。

画像1

 同棲をする初めての東京暮らし。二人とも初めての仕事をしながらの東京暮らしには不安が大きかった。部屋を決めるのも相当こだわりが強く、満足のいく環境を探すのは難しいのではないかと思っていた。結論から書くと、赤羽岩淵での生活を選んだのは大正解だった。

 住んだ部屋はワンルームだが、DIY可能の物件だった。赤羽岩淵の街づくりをしている会社が運営している。赤羽岩淵という町の中心になって活躍している人がいる環境、色々な人と話せる環境というのが魅了的だった。
 生活をする上で、色々な施設があったのも良かった。部屋の真横にあるコーヒー屋さん、部屋から出て見える銭湯の煙突、散歩道にちょうどいい荒川の河川敷。普通の日常を味わう中で、東京だなと思う場所や、懐かしいと思う生活の中に刺激を与えてくれていた。自分としては、玄関から出た時に見える景色が好きだった。

画像2



 多くの場所に魅了に感じる町で、生活をすることはとても楽しかった。

 ここ最近は、COVID-19 のせいで家の中で過ごしてきた。平日は在宅勤務、休日はできるだけ自粛と。生活の中心地は部屋の中だった。DIY可能賃貸のおかげで自分が好きな部屋を作ることができて、好きな場所にいるということはストレスがかなり軽減されていたと思う。

 それこそ、コロナ禍の影響で想像していた日常とは違う日常が訪れていた。赤羽はセンベロの町として有名であるが、緊急事態宣言などの影響でお店もやっていない。赤羽の大きな魅力へ触れる機会が減ってしまった。労働環境もそうだ。リモートワークは自室で仕事ができるという面は最高だか、人との交流は少なくなってしまう。家族以外の人と話すということは、自分が思っているよりも気分一新させてくれていた。

 赤羽岩淵での生活は、コロナ禍の不安を軽減してくれていた。引っ越しの前夜、感染対策に気を遣いながらも送別会が開かれた。本当にありがたかった。送別会の中で、自分は神出鬼没な人だったと言われた。住人の中で、街中で一番よく会う奴。一週間で一番会話する奴。よく言われてみればと思った。お昼休みなどの自由時間は赤羽の町を飽きずに散歩し、特に用もなく共用塔に顔を出していた。引っ越して見て感じる。こんな環境は中々に無い。上に住んでいる人と近くの温泉に行ったり、同じ建物に住んでいる人が集まってご飯をするなんて、すごい素敵な場所だなと今更ながら思う。


 部屋のことも話す。DIY可能賃貸ということで、前の人が改修した部分を引き継いで生活することになる。これは、僕らの次に住む人も同じだが。自分たちが引き継いだ部屋は、なかなかにシンプルでした。部屋に入ってすぐの壁に漆喰が塗ってあり、いろいろなものを置ける棚が付いている。収納は少ないながらも、どうやって物を置くか工夫されている物置。これからどうしようという想像が沸いた。1年半、二人で少しずつだけど付け足した。キッチンに立つことが多かったので、キッチンを大幅に変えた。壊してしまったが、キッチンカウンターを素人なりに作り。キッチンの色は、彼女が色々探してくれたものを塗り、雰囲気が大幅に変わっていった。他の賃貸には無い、自分たちだけの部屋というのが好きだった。二人が住んでいた部屋を抜けた人は、幸せな理由を持って抜けている。面白いジンクスができているのも興味深い。次に住む人も、好きに自分の部屋を作ってくれればなと思う。

画像3

赤羽岩淵卒業。

 別の機会で、引っ越しをしたくなった理由、引っ越し先の国立市のことをまとめようと思う。
 色々と楽しい思い出もある場所だったが、引っ越し先も東京都内である。いつでもふらっと遊びにいこうと思う。これからも色んな進化をしていくであろう場所に住めたことはとてもいい経験だった。
 次の住人も楽しく過ごせるはず。どんな人が住むのかを楽しみしています。



この記事が参加している募集

スキしてみて

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?