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『ポエトリー アグネスの詩』イ・チャンドン監督が描く人生の美しさと厳しさ

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抑制された演出がいい。劇的なる場面を極力描かず、中学生の孫息子ジョンウグと二人で暮らす66歳の女性ミジャ(ユン・ジョンヒ)の心に寄り添うように静かに厳しく描いている。イ・チャンドン監督は、『バーニング 劇場版』しか観ていない。ただ『バーニング』は面白かったので、今回の「イ・チャンドン レトロスペクティヴ4K」特集の過去作品の1本を観た。

イ・チャンドンは高校教師として教壇に立つ傍ら、小説を執筆。作家として高い評価を得たのち、43歳の時に映画を撮り始めたらしい。文学的、的な世界を描いているようにも思えるが、とても映画的でもある。この映画は、音楽を使わずに自然の音を強調している。川の水音から始まり、風の音、鳥の鳴き声、自動車や街の騒音、さらに朗読する人の声などがいつも画面から聞こえており、その音が人びとの心のありようと共鳴している。また、夜のアパート前のバドミントンのシーンがいい。夜の木々の緑、バトミントンの音。バドミントンやフラフープなどの運動、ミジャが帰ってくる部屋の描き方や食事シーン、介護する老人の風呂場など同じカメラポジションからのショットを繰り返し使っているのも効果的だ。

この映画は「を書くこと」というテーマが据えられている。66歳の女性ミジャがふとしたことで作教室に通い出す。ミジャは「見ること」の大事さを先生に教えられ、日常で心に響いたことをメモし出すのだが、なかなかが作れない。「どうしたらが書けるんですか?」と自作を朗読するサークルに参加して何度もまわりの人たちに問う。目に見える美しいもの、鳥のさえずりや花を詩にしようとするが、なかなかうまくいかない。詩の朗読サークルでは、卑猥な言葉ばかりを口にする刑事もいて、ミジャは「彼は詩を冒涜している」と怒ったりもする。

「詩を書くこと」とは何か?人生を美しく感じる瞬間を探すことでもあるが、ミジャには現実的に厳しいことばかりが起きる。アルツハイマーの認知症だと診断されるが、孫の母親である娘には何も相談せず、「運動しなさい」と医者に言われたとだけ電話で話す。子育てを母親に預けっぱなしの娘との親子関係は、うまくいっているようには思えない。そして孫が同級生の少女の自殺に関わっていたことを知る。少女への性的暴行事件の加害者グループの父親たちが「子どもたちの未来」のために、少女の母親に示談金を用意する相談をミジャは持ちかけられるのだ。金がないミジャは、示談金を用意するために介護している金持ち老人の欲望に応えることを思いつく。この映画での最も残酷な老人との風呂場のシーン。そう、映画では息子たちの暴行シーンも、少女の自殺シーンも、その遺体が発見される場面も、暴力的な残酷な現実は描かれない。孫息子が何を考えているのか、まったくわからないし、描きもしない。ミジャは、死んだ少女の母親に示談金の相談をしに行かされるのだが、落ちたアンズの実の甘さ、「アンズは地面に身を投げ割れて踏まれる。生まれ変わるために。」と詩を作り、そのアンズの実のけなげさに感動するばかりで、母親と示談金の話もしない。それは彼女が認知症のためだったのか、あえて話をしなかったのかハッキリしない。ミジャの派手な服装と、お気楽な自然の美しさの賛美と、畑作業をする少女の母親の現実とのギャップが浮き彫りになるばかりだ。

ラストは、彼女がやっと作ることが出来た詩の朗読で終わる。ミジャの詩は、死んだ少女のアグネスの詩の朗読の声に代わっていく。死んだ少女の思いに寄り添うようにして、ミジャはけじめをつけ、自らもまたアグネスの死と重ねていく。橋の上から振り返る少女アグネスの笑顔が余韻を残す。夜のバドミントンをしながら刑事に連れて行かれる孫息子、不在のミジャの部屋にやってくる娘、不在のミジャの詩作教室。具体的なことを描かないまま、ミジャの不在と川の音だけが余韻を残して映画は終わるのだ。「詩を書くこと」とは、清濁併せて、美しいものも醜く世俗的な欲望も含めて感じとること、生きることなのかもしれない。映画もまた美しい川のせせらぎの音だけではなく、死体を運ぶ残酷さも、ミジャの厳しい現実も静かに描いている。


2010年製作/139分/PG12/韓国
原題:Poetry
配給:JAIHO

監督:イ・チャンドン
製作:イ・ジュンドン
撮影:キム・ヒョンソク
編集:キム・ヒョン
キャスト:ユン・ジョンヒ、イ・デビッド、アン・ネサン、キム・ヒラ、パク・ミョンシン

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