『違国日記』瀬田なつき~距離感と柔らかな空気感が気持ちいい~
画像(C)2024 ヤマシタトモコ・祥伝社/「違国日記」製作委員会
居心地のいい映画だった。いつまで観ていても飽きないような居心地のいい空気感が広がっていた。その理由のひとつは映像が清々しく美しいのだ。四宮秀俊(『ドライブ・マイ・カー』『きみの鳥はうたえる』など)のカメラは、家と学校との間の道、歩道橋、鉄橋や線路沿い、学校の廊下やガランとした体育館、バスの中や海辺の彼女たちを適度な距離感とともに捉え、槇生の片付かない部屋や両親と暮らしていた部屋を片付けに行く場面の光の使い方など、優しく寄り添うような柔らかな空気感が印象的なのだ。
そして、ベタベタしないそれぞれの距離感が気持ちがいい。学校に出かける朝と「いってらしゃい」と見送る槇生。親子でも姉妹でもない距離感。「あなたと私は別の人間だから」。相手のことなど分かりようがない他者として姪に接する槇生。お互いの存在に戸惑い、狼狽え、それぞれの距離を確かめ合いながら二人は暮らし始める。腹違いの妹、広瀬すずを三姉妹で引き取る是枝裕和の『海街diary』とも少し似ている。
憎んだ姉の娘である「あなたを愛せるかどうかはわからない」と言いながらも引き取る覚悟をする小説家の槙生(新垣結衣)。親戚たちの葬式での囁き声に反応し、「盥回しはなし」と言い放ち、「ちなみに盥という字は、臼の中に水を書いて下に皿を書く」と「盥という字はどんな字だったか?」と呟いていた朝(早瀬憩)に説明する。そして「決してあなたを踏みにじらない」とキッパリ宣言する新垣結衣がなかなかいい。目の前の突然の交通事故で両親を失った娘の朝(早瀬憩)は、自分が悲しいのかさえよく分からない。葬式の場で混乱していた。
「手」が印象的に映し出される。両親が交通事故に遭った直後の病院で、自分の手をじっと見つめる朝。あるいは、弁護士の染谷将太に握手を求められて戸惑いながら手を差し出す槇生。さらに実家に帰った槇生がなぜか母(銀粉蝶)と手を握り合う場面。槇生はきっと手を握るような人との接触が苦手なんだろうと思う。人との距離を保たないと自分でいられない。一方、両親を突然失った朝は誰かに手を握って欲しかったのだろう。そんな距離感の違う二人が、友人の夏帆と一緒に3人で餃子を作ったり、ワインを飲む槇生の元カレ(瀬戸康史)と一緒に同じソファで3人で寛いだりしながら、槇生の影響を受けつつ、朝は自分のやりたいことを次第に見つけられるようになっていく。
学校帰りにベースを背負いながら、夏帆と新垣結衣が一緒にいるのを見つけて、ぴょんぴょんと跳ねる早瀬憩がいい。あるいは高校生の新しい制服を着てくるっと回ったり、「怪獣のバラード」を一人で部屋で歌ったり、歌詞を思いついて学校の廊下を跳ねるようにスキップしたり、少女の初々しい伸びやかさがうまく表現されている。
また朝の友人の高校生たちのキャラクターも面白い。同性を好きになった親友、「自分に期待してガッカリしたくない」と言うギターも歌も上手い軽音楽部の同級生、女性というだけの理由で留学のチャンスを失った優等生。それぞれが尖ったり、もがいたりしながら、前へ進もうとしている。
母親の日記を隠していたことで槇生と朝はギクシャクして、槇生がなぜ姉を憎んでいたかを海辺で聞かされる朝。朝の母親は度々幽霊のように朝の前に現れては消えていた。部屋を片付けられない大人がいるように、大人は急に子供から大人になるわけじゃないし、人はそれぞれ違っていていいことを知る朝。特別な劇的展開があるわけでもないのに映画が面白いのは、登場人物たちのそれぞれの姿が自由に伸びやかに写し取られているからだ。映画としての出来がいい。私は瀬田なつき作品は、『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』以来だが、これまでの代表作になるのではないか。
2024年製作/139分/G/日本
配給:東京テアトル 、ショウゲート
監督・脚本・編集:瀬田なつき
原作:ヤマシタトモコ
製作:太田和宏、小山洋平、桑原佳子、奥村景二
プロデューサー:西ヶ谷寿一、西宮由貴
企画:橋本匠子
撮影:四宮秀俊
照明:永田ひでのり
録音:髙田伸也
美術:安宅紀史、田中直純
音楽:高木正勝
音楽プロデューサー:北原京子
劇中歌作詞作曲:橋本絵莉子
キャスト:新垣結衣、早瀬憩、夏帆、小宮山莉渚、中村優子、伊礼姫奈、滝澤エリカ、染谷将太、銀粉蝶、瀬戸康史
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