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映画「関心領域」ジョナサン・グレイザー~恐怖の音を感じない麻痺した家族の恐ろしさ~

※画像(C)Two Wolves Films Limited, Extreme Emotions BIS Limited, Soft Money LLC and Channel Four Television Corporation 2023. All Rights Reserved.

冒頭、何も映らない黒味で不安な音楽がしばらく続く。この映画は音の映画であることを告げているかのようである。川べりの草むらの上での家族のピクニックシーンから始まる。遠くに見える川でも誰かが泳いでいる。鳥たちのさえずりが聞こえ、美しい緑の木立と川。いかにも平和な家族の夏の風景である。彼らが家に帰ってくると、夜、不気味な音が響いている。それは隣の収容所のガス室の燃えるボイラーの音を思わせる。

アウシュビッツ強制収容所の隣に住む所長ルドルフ・ヘス(クリスティアン・フリーデル)家族の物語である。壁一つ隔てた平和な家族の日常。収容所の中で行われる惨劇は一切描かれない。煙突からモクモクと出ている黒い煙、そして不気味な低い機械音、そして銃声や叫び声などが時折聞こえてくる。そんな不気味な音や隣で起きていることに一切関心を払わない所長一家。美しい庭が広がり、温室に生い茂る植物や庭の花、そしてプール。使用人たちは忙しく働いている。塀の向こうには監視塔があり、塀の上には鉄線が張り巡らされている。兵士たちの姿は時折見かける程度だ。妻ヘートヴィヒ(サンドラ・ヒュラー)や子供たちによるルドルフへの誕生日プレゼントがあり、部下たちが庭に集まっての乾杯がある。

豪華な毛皮を身にまとい鏡を見る妻ヘートヴィヒ、銀歯や金歯を見ている子供たち、宝石がどこに隠されていたかを茶飲み話として会話する女たち。収容所のユダヤ人たちから手に入れた戦利品をなんでもないことのように日常的に手にしている恐ろしさ。この映画は、ドイツ兵のナチス党員たちの極悪非道な虐殺の振る舞いを描くのではなく、隣に住む普通のドイツ人家族の無自覚な振る舞いの恐ろしさを描いている。隣で起きていることに無関心で考えることをシャットアウトしている人々。関心領域は日々の身の回りの日常のみにあり、壁一つ隔てたおぞましい世界を想像することすらしない。いや知っていても感覚が麻痺してしまっているおぞましさ。人間は臭いものや不快な音など最初は気になっても、慣れてしまうと感覚が麻痺してしまう。無いものと思ってしまう。それくらい人間は見たいものしか見ないし、感じたいものしか感じない。自己都合の勝手な感覚、都合よく鈍感なのだ。

妻のヘートヴィヒは、ある時イライラして家で働くユダヤ人家政婦に 「夫があなたを灰にして辺り一面まき散らすから」と言い放つ場面がある。そして実際に使用人が庭の裏に灰を撒いている場面が映し出される。

またはルドルフの自宅オフィスに技術者たちがやって来て、いくつもの焼却炉がいかに効率的に「荷」を処理していくかを説明する場面もある。またある時は、カヤックで子供たちと川で遊んでいた時、川底の骨をルドルフが踏みつける。人骨が流されてきていたのだろう。慌てて子供たちを川から出して、自宅の風呂場で神経質に洗うのだ。風呂場の灰を洗い流す場面にゾっとする。さらには、ルドルフのオフィスに女性が現れ、地下室のようなところで自らの陰部を洗う場面もある。どうやら秘密裏にユダヤ人女性と性的な関係を持っていたのかと思わせる場面だ。家と収容所が地下でつながっているのか。あからさまには描かれないが、それとなく示唆する映像が逆におぞましい。

サーモグラフィ・カメラのような加工映像で、少女のような女性が収容所の敷地に忍び込んで、作業場にリンゴのようなものを置いていく場面がある。ルドルフが眠れない娘に読んでやる童話「ヘンゼルとグレーテル」で、魔女をかまどで生きたまま焼き殺す話が語られる。実際に食べ物を差し入れていた地元の少女がいたらしいのだが、まさにおとぎ話のようだ。映画ではその少女が作業所で見つけた楽譜でピアノを弾く場面がある。実際にアウシュビッツに収容されていた詩人ヨセフ・ウルフの詩が字幕で示される。

ある時、昇進と転勤を命じられたルドルフだったが、妻のヘートヴィヒはこの楽園から出たくないと言う。自分たちで作り上げた邸宅と美しい庭。不気味な環境に無感覚になっている恐ろしさ。ルドルフは、単身で別の都市へと向かう。会議では新たにハンガリーからユダヤ人70万人をアウシュビッツに移送し、ガス室で処刑する計画を「ヘス作戦」と名付けたことが語られる。

ドイツ軍の作戦会議が開かれる建物もセットなのだろうが、白くて天井が高く、どこか抽象的で不気味だ。その建物の階段を降りながら、ルドルフが突然吐き気を催す。そこに挿入される現代のアウシュビッツ収容所博物館の映像。殺されたユダヤ人たちの靴や服装の山。その展示施設のガラスを拭く女性たち。忌まわしい過去と現代は繋がっていることを示す意図的な映像だ。ラストは最初と同じように黒味映像とともに不気味な音楽が流れ、映画は終わる。

邸宅の撮影は何台ものカメラを室内のあちこちに設置して、ワイドレンズであらゆる角度から役者たちが自然に演じられるように撮影したという。おぞましい描写や強調を一切せずに、ナチスの虐殺を音の世界と収容所の隣の家族の平和な生活で描いてみせたアイディアには脱帽。あくまでも家族の淡々とした日々だ。やや観念的で意図的な感じはするが、具体的なものを描かずに観客に想像させる作りになっているところは上手い。


2023年製作/105分/G/アメリカ・イギリス・ポーランド合作原題:The Zone of Interest
配給:ハピネットファントム・スタジオ

監督:ジョナサン・グレイザー
製作:ジェームズ・ウィルソン、エバ・プシュチンスカ
製作総指揮:レノ・アントニアデス、レン・ブラバトニック、ダニー・コーエン、テッサ・ロス、オリー・マッデン
原作:マーティン・エイミス
脚本:ジョナサン・グレイザー
撮影:ウカシュ・ジャル
美術:クリス・オッディ
衣装:マウゴザータ・カルピウク
編集:ポール・ワッツ
音楽:ミカ・レビ
キャスト:クリスティアン・フリーデル、サンドラ・ヒュラー

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