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小津安二郎の暗き傑作『東京暮色』~本当のことが語られず、ズラされ続ける物語

(c)1957/2017松竹株式会社

久しぶりに見た小津作品。なかでも特に暗い内容だが、気になって見直してみた。若き有馬稲子がいい。彼女が恋人を探している姿と喫茶店やスナックで待っている姿が何度も映し出される。探し、待ち続ける映画。そして本当のことがお互い何も言えず、語られずズラされ続ける物語。

銀行の監査役を務める杉山周吉(笠智衆)は、都内雑司ケ谷の一隅に、次女の明子(有馬稲子)とふたり静かな生活を送っていた。そこへ長女の孝子(原節子)が夫(信欣三)との関係がうまく行かずに、小さな娘を連れて実家に帰って来ていた。そのハッキリとした理由を父の笠智衆は娘の孝子聞けず、娘も父に語りたがらない。いつも帰宅の遅い明子(有馬稲子)も、悩んでいる理由を姉にも父にも語れない。叔母さん(杉村春子)のところに金を借りに行ったその理由を父は明子に聞くが、明子は本当のことを語らない。お互いがとことん向き合わずに、避けながら、お互いの正面衝突を避け続けている感じがずっと続く。

周吉は、評論家をしている原節子の夫の沼田(信欣三)に会いに行って、その話を原節子に語ろうとすると、原節子は話をズラすように「あっ、ちょっと」と言って奥へと消える。「おい、おい」と呼びかけるが、話す相手は不在で野良犬の鳴き声がするばかり。周吉は手持ち無沙汰にタバコに火をつけながら待つ。そして奥から戻ってきて、「気持ち悪くならなかった?あの人にお会いになって」「そんなことないよ」、とか言いつつ、「あいつも変わったね、こんなんだったら佐藤のほうが良かったかも。お前にはすまないことをしたな」などと、今更どうにもならないことを父の笠智衆は語る。問題の核心を回避するばかり。この夫の沼田という男も、父が訪ねてきても妻のことは直接何も語らず、親子関係の一般論を語り出す始末だ。これは、逃げ続ける明子の年下の恋人憲二(田浦正巳)も同じ。明子の思いをはぐらかし、優しい態度を示しつつ、彼女の前からいなくなる。それは父を捨てて満州へ男といなくなった実母の喜久子(山田五十鈴)を雀荘で見つけたときも、姉の原節子は妹の有馬稲子に本当のことを語らない。そして姉は妹の身体の不調の理由を問い詰めようともしない。誰もが何も本当のことを聞かない、語らない中で、すれ違い、待ち侘びて、不信と焦燥と不安が募っていく。

年下の恋人の憲二に、「本当に僕の子供?」と、有馬稲子はお腹の赤ちゃんの父親を疑われたように、自らも私は「お父さん(笠智衆)の子供じゃない」と疑うようになってしまう。そして、明子も孝子も、実の母(山田五十鈴)への言葉がキツい。「お母さんのせいよ」と激しくなじり、言い捨てていなくなる。それでも室蘭へ行ってしまう上野駅のホームで、娘が見送りに来るのではないかと列車の窓を開けて探す母の気持ちがせつない。「来るわけないよ」と横で淡々と酒を飲んでいる中村伸郎がまたいい。それは明子(有馬稲子)を取り巻く麻雀仲間(高橋貞二)たちの好奇心に満ちた無責任な冷たい言葉たちも同じであり、その外野ぶりの言葉が効果的だ。

このような親子をめぐる暗い物語なのだが、音楽はとても明るく何度も繰り返される。また沖縄民謡も、堕胎する産婦人科や踏切近くのラーメン屋で聞こえたりもする。そんな明るさと暗さのミスマッチな感じも面白い。

周吉の家の前の坂道、雀荘の昇ってくる階段、明子が憲二の行方を捜す安アパートの廊下、路地、スナック、刑事に補導される喫茶店や警察署など、どの場面も見事な画作りであり、役者たちの存在感も素晴らしい。家の中での障子の使い方や人物の出し入れの見事さ、産婦人科医の影の作り方など、陰影表現もこの映画は多い。マスク姿で妹を警察署に迎えに来る原節子の佇まいや母へのキッパリとした言い方。宙ぶらりんで待ち侘びている有馬稲子の焦燥と不安。寡黙ゆえに大事なことを語らなかった笠智衆の人生。彼は逃げた妻への思いを一切語らない。そこには戦争の影もある。娘たちへの笑顔が哀しい山田五十鈴。娘の死を知った後で酒を飲む表情の変化。冷やかしや野次馬たちの軽口。それら何が欠けても、この傑作は生み出されなかっただろう。小津安二郎の作品の中でもこの暗さは際立っている。それが面白い。

<追記>
あらためてこの映画を見て思うのは、登場人物たちの「分からないさ」だ。山田五十鈴の娘たちへの屈託のない笑顔、有馬稲子のずっと続くふくれっ面、原節子の母への異様な冷たさ、笠智衆の元妻への無関心と無表情。やや極端とも言えるそれぞれの表情。いずれもその表情の真意がわからないのだ。逆に言うと、何を考えているのかわからないその背後の奥深さ。単純で表面的ではない表情とその裏側の心の闇を感じさせてくれる映画なのかもしれない。そして、「死にたくない。生きたい。」と病院で叫んだ明子の直後に登場する原節子の喪服姿。その鮮烈さには驚かされた。

1957年製作/140分/日本
監督:小津安二郎
脚本:野田高梧 小津安二郎
企画:山内静夫
撮影:厚田雄春
美術:浜田辰雄
音楽:斎藤高順
録音:妹尾芳三郎
照明:青松明
編集:浜村義康
キャスト:笠智衆、有馬稲子、信欣三、原節子、森教子、中村伸郎、山田五十鈴、杉村春子、山村聰、田浦正巳、須賀不二男、高橋貞二、長谷部朋香、山本和子、菅原通済、藤原釜足、三好栄子、宮口精二、長岡輝子、浦辺粂子、田中春男、島村俊雄、桜むつ子、増田順二

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