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日本映画史上に残る傑作『雨月物語』~溝口健二の映像術~現実と霊的世界がワンカットの中で入れ替わる

©KADOKAWA1953

日本映画史上に残る傑作、溝口健二の『雨月物語』を「大映4K映画祭」の1本として観る。映画館で観たのは初めてだ。生と死の境界が曖昧となる幽玄な世界。上田秋成の怪異小説を見事に映像化した傑作だ。

なんと言っても凄いのが、最後の方で現実と幻想が長回しワンカットの中で入り交じるシーンだ。最後に源十郎(森雅之)が京マチ子演じる若狭姫の幻想の呪縛から解け、妻が待つ我が家に戻った場面。カメラは廃屋になった家に帰ってきた源十郎を迎え、妻の名を呼びながら家の裏をまわってまた入り口から入ってくるワンカットのパン。そのワンカットの中で、家の中に火が焚かれ、妻の田中絹代が最初からそこにいたかのように夫を迎えるのだ。現実の不在の廃屋と幽霊の生活が一瞬のうちに入れ替わる。生と死の混在。

陶器を町まで行って売っていると、京マチ子に「その皿をくれ」と声をかけられる。見上げる源十郎。見下ろす霊的存在の若狭姫。妻への贈り物にしたいと美しい着物を眺めていた源十郎に再び声をかけられる。「屋敷がわからないだろうから案内する」と。つねに「声」に導かれるのだ。そして屋敷の入り口で辞そうとためらう源十郎を屋敷の中に招き入れる京マチ子。そこにいる下界と上にある死の世界、屋敷に上がる上下関係の境界線、結界があったはずだ。屋敷のセットを俯瞰気味にとらえたショットも美しい。篝火の灯りと廊下のある屋敷の幽玄な美術セット。そして座っている源十郎のそばに若狭姫は立ち、彼の手を取ってもてなしの席へと誘う。この動きの上下の位置関係こそ、この世とあの世との隔たりでもある。

屋敷内で京マチ子が舞を踊っていると、死んだ父の歌声が聞こえてくる。またしても「声」が源十郎を誘い、「眠り」によって現実から幻想の世界に引きずり込んでしまうのだ。「眠り」によって契りを結んだことになり、露天風呂と野原での宴。桃源郷的世界が繰り広げられる。そして源十郎は、ようやく僧侶の呪文の文字を肌に印すことによって、死霊を祓い、「眠り」から覚めることで現実界の意識が覚醒する。「声」の誘いと「眠り」は生と死の境界の出入り口なのだ。

霧に煙る幻想的な琵琶湖と舟。海賊に襲われた舟があの世からのようにやってくる場面も幻想的で美しい。境界としての水辺。生と死の世界が、限りなく接近していている世界。それは戦場と化した村そのものが、生と死の凄惨な場所になっているからでもあるし、陶器を売って町で金儲けをした欲望の幻想が源十郎を狂わした。また、戦場で妻を見捨てて武士に成り上がる藤兵衛(小沢栄)は、鎧を身に付け、出世の欲望の幻想が人生を狂わした。そして馬上という高みを獲得したが、遊女となった妻と再会することで、鎧を川に投げ棄て、地上の生活に戻ってくる。男がいかに幻想に惑わされ狂い、高みに上り、女は現実的に地上で日常を見つめているとも言える。日本文化の独特な霊的世界と現実的世界が同居している曖昧な世界。その間を行き来する迷える姿を描いた意味において、この作品は世界に認められたような気がする。
脚本の構成も見事だし、映像演出も役者の動きも、全てが素晴らしい。

日本1953年製作/96分/
配給:大映

監督:溝口健二
原作:上田秋成
脚本:川口松太郎 依田義賢
製作:永田雅一
撮影:宮川一夫
照明:岡本健一
録音:大谷巖
美術監督:伊藤熹朔
音楽監督:早坂文雄
助監督:田中徳三
キャスト:京マチ子、森雅之、田中絹代、水戸光子、小沢栄、青山杉作、羅門光三郎、香川良介、上田吉二郎、南部彰三、天野一郎、尾上栄五郎、伊達三郎、堀北幸夫、清水明、千葉敏郎、小柳圭子、近江輝子、毛利菊枝、金剛麗子

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