映画『こちらあみ子』の寂しさと孤独と希望~「あみ子に幸あれ!」

今村夏子の原作『こちらあみ子』(ちくま文庫)が好きで、映画化されるとされると聞いた時、「大丈夫かな?あの世界観が映像化できるのかな?」と不安だった。なにより「あみ子」を演じることの出来る少女などいるのだろうか?と心配だった。それぐらい原作の世界観は独特のものだったし、出来上がっていた。しかし、2022年公開された映画の評判がわりと良かったので、見てみることにした。

なるほど。大沢一菜演じる「あみ子」は、なかなかいい。あの立ち姿。顔つきや目つき。顔の角度。すべてがある空気感をつくっていた。小説を読んで、誰もがそれぞれに思い浮かべていた「あみ子」がいたはずだが、この大沢一菜演じる「あみ子」も、ちゃんと「あみ子」だと思える存在感を示していた。

ロングショットを多用しながら、学校や廊下や海辺の道や路地や階段、広島の田舎町で暮らす「あみ子」をカメラが捉える。そして、時々、顔のアップや目の表情、母親(尾野真千子)のホクロなどをドアップで写しながら、独特の映像世界を作り上げていく森井勇佑の演出もうまく嵌まっていた。憧れの存在、のりくんのイメージはやや違っていたが、のりくんの書道の字をいつも教えてくれる同級生の坊主の男の子が良かった。

「お化けなんかないさ」とあみ子が何度も歌いながら、ベランダから聞こえる奇妙な音を幽霊の仕業だと思い込み、あみ子は死のイメージに取り憑かれる。弟だと思っていた母親の死んだ赤ちゃんは妹だった。誰もあみ子にそのことを教えてくれない寂しさと孤独。ベランダから聞こえる音のことも、誰も本気で相手してくれない。その孤独がせつない。

この映画では、学校の歴代の校長先生たちが幽霊の死化粧をして、あみ子の後をついて歩いていく。そして、木陰でピクニックするユニークなシーンがある。幽霊たちだけが、あみ子の友達のようだ。ラストで父親におばぁちゃんの家に置いていかれたあみ子が、明け方、パジャマ姿で一人海へと行く場面があるが、そこでも海の沖の画面左側から、ボートに乗った幽霊たちが再び登場する。「おいでおいで」と手招きする幽霊たち。そんな幽霊たちに浜辺から手を振るあみ子。その姿に観客は救われる。幽霊たちに誘われて、海に入ってしまうような「あみ子」でないことに、観客は勇気づけられる。死のイメージをそんな風にユーモラスに描いているところが、この映画のいいところだろう。これは、原作にはなかったイメージだ。

ビスケットのチョコレートの舐める場面やのりくんと保健室で二人きりになる場面もいい。殴られる場面はあえて画面では映さない。そしてあみ子が名前も知らない坊主の同級生の男の子の存在。孤独な存在でも、誰かが「あみ子」を見ているし、気にしている。また、ワラジ虫や蛇やカエル。おばあちゃんの家で夜に入ってくるトンボや蛾。そんな虫たちの存在が、あみ子のまわりにいることにもホッとする何かがある。「あみ子に幸あれ!」と思ってしまう映画だ。何もしゃべらない寡黙な父親、大人の存在そのもののような井浦新も好演。

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