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『遺灰は語る』パオロ・タヴィアーニ~イタリア戦後史と遺灰の旅

画像(C)Umberto Montiroli

タヴィアーニ兄弟は、『父/パードレ・パドローネ』(77)、 『サン★ロレンツォの夜』(82)、『笑う男』(98)など何作かは観ている。特に『サン★ロレンツォの夜』は美しい映像詩のようで印象に残っている。イタリアの厳しい自然や農村地帯に生きる素朴な人々を土着的に、時には演劇的、寓話的に描いている。本作は、91歳の弟のパオロ・タヴィアーニが兄の ヴィットリオの死後、初めて単独で監督した作品。「兄ヴィットリオ・タヴィアーニに捧ぐ」という表記がある。 ダルデンヌ兄弟コーエン兄弟、タヴィアーニ兄弟と世界的にも兄弟で映画を作っている人たちは各地にいる。

ノーベル賞作家の遺灰を運ぶ話なのだが、イタリアの文豪ルイジ・ピランデッロをよく知らないので、今ひとつピンと来なかった。冒頭は、その作家のノーベル賞の授賞式のニュース映像が流れ、抽象的な夢のような空間でルイジ・ピランデッロの死の床が映し出される。「私は死んだのか?」という彼のモノローグの声とともに3人の子供たちが現れ、次第に彼らは年老いていく。そして、ファシストのムッソリーニは彼の死を利用しようと壮大な葬儀を計画するが、彼は遺書で抵抗する。「愚か者め!」とムッソリーニに罵られ、「遺灰は故郷のシチリアに」という彼の遺言は無視され、遺灰はローマに留め置かれる。戦後、ようやくシチリアへ遺灰を運ぶことになり、シチリア島の特使がローマにやってくる。だが、その遺灰を運ぶ旅はなかなかうまく進まない。ニュース映像の他に、ロベルト・ロッセリーニの『戦火のかなた』の映像も挿入されているらしい。

有名作家の遺灰を運ぶために用意されたアメリカ空軍の飛行機は、一緒に遺灰と旅する人たちに恐怖を抱かせて飛ばなくなり、列車でシチリアに向かう。列車の中では、なぜかピアノの演奏とダンスで盛り上がっており、遺灰の壺を入れた荷物がいつの間にか無くなってしまう。このダンスの祝祭的空間が躍動していていい。列車に射し込む光の美しさ、恋人たちの愛も描かれる。戦争が終わった人々の解放感。遺灰の荷物は、トランプに興じる男たちのテーブルとして勝手に持ち出されていたことがわかるのだが、今度はシチリアでギリシャ壺に祈れないと困る神父や棺桶が子供用のものしか無くて小さすぎて「小人の葬式?」と笑われたりする。そんなハプニングがいろいろと起きる。そして遺灰はシチリアの大きな岩の中に埋葬される。

白黒映像で撮られた様式的な美しい映像のあとに突然画面はカラーになり、青々とした空と海が映し出される。その色が映し出される瞬間の美しさ。そしてルイジ・ピランデッロの短編小説『釘』を映像化したものが後半にカラーで流れる。シチリアからアメリカに移住してきた父と息子がレストランを始める。給仕をしながらダンス音楽に合わせて店内のステージで快活に踊る少年。明るい屈託のない少年と思われたが、仕事が終わって広場でボーっとしていたかと思うと、そこにいた野良犬の後ろ足を手押し車のように持って歩かせるのだ。そして女の子二人が彼の前で喧嘩を始める。たまたま広場に落ちていた釘を拾った少年は、その喧嘩をしていた少女の一人を釘で殺してしまうのだ。警察の取り調べで少年は、釘が落ちていたこと、少女を殺したことは「定めだった」と言うばかり。なんとも不条理な奇妙な味わいの物語が描かれて映画は終わる。

なんだかポカンとしてしまうような奇妙な映画だ。ユーモラスであり、権力への抵抗があり、ハプニングがあり、生の躍動があり、残酷さや理不尽な暴力がある。イタリア戦後史?ままならない人生?有名な作家でも、死後は遺言通りにはいかない。「遺灰」と「釘」。さまざまなモノたちに人生は翻弄されていく。

2022年製作/90分/PG12/イタリア
原題:Leonora addio
配給:ムヴィオラ

監督・脚本:パオロ・タヴィアーニ
製作:ドナテッラ・パレルモ
撮影:パオロ・カルネラ、シモーネ・ザンパーニ
美術:エミータ・フリガート
衣装:リーナ・ネルリ・タビアーニ
編集:ロベルト・ペルピニャーニ
音楽:ニコラ・ピオバーニ
キャスト:ファブリツィオ・フェラカーネ、マッテオ・ピッティルーティ、ロベルト・ヘルリッカ

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