貧しいということ

現代においても僕はしばしば貧しさを感ずることがある。貧困にはどうも様々な種類の貧困があるということは僕が以前から感じてきたことである。物質的な貧困とは即ち金銭的な貧困と肉体的な貧困のことであると思うのだが、いかに外的に物質に恵まれていようともそれを消化しうる肉体がなければ貧困だと思うのだ。物質を消化しうる「胃腸」ともいうべきものは即ち感覚のことである。つまり、物質を「消化」しうる感覚を持たぬ者はいかに外的に物質に恵まれていようとも貧困なのである。即ち豪華絢爛な物に囲まれていようとも、それを消化しうる感覚を持たぬ者は貧困なのである。

僕は人生の早い段階において、比較的物には恵まれていたと思う。とても、恵まれていたわけではない。戦後日本における一般的なレベルでということだ。僕は横浜駅近くの日当たりの良い複数の電車が絶え間なく走る線路沿いのマンションで12歳までの日々を過ごし、食事などには特に事欠くことなく育ったが、母親は料理が下手な女で日常において特に栄養価の高い美味しいものを食べて育った記憶はない。父親はしばしば釣りなどで釣った魚を持ち帰ってきてそれをこのマンションの部屋で捌いた。僕の幼い頃の好物は白身魚やイカなどの刺身で、刺身や海産物という面では比較的良いものを食べてきたと思う。少なくとも僕はどういう刺身が本当に美味しいか小学校に上がる頃には知っていたはずだ。学校の給食が酷く不味く思えたのもその為だ。僕は学校の給食が酷く嫌いであった。なんだか、あまり味のしないものを食べさせられているような、安いものをバランス良く食べさせられているような感覚を持っていた。僕はそういう意味では味覚については比較的早く発達していたと思う。

女についても「味覚」が重要だと最近つくづく実感している。いい女を見分ける味覚についてもそうだし、味わう味覚についてもそうだ。どういう女がいい女かわからない者がいい女など見つけられるはずもない。本当に美味しい物がどういうものかわからない者がおいしい食べ物についてわからないが如くに。

なんでも豊かなものは早く身につけるに越したことはない。人生を生きる過程でそれを失うことがあったとしてもだ。知っていてもわからなくなる瞬間がある。しかし、早くに染み着いたものは消えるわけではない。脳の奥深くに残っているものだ。

作家の三島 由紀夫は酷く腺病質な体を持っていた。小柄だし極めて繊弱な肉体を持っていた。それが、30歳を越えてギリシア化だとかいって日光浴や器械体操やボディービルを始めたのだが、元々貧弱な骨格に筋肉をつけたところで、彼は本当の意味で豊かな肉体を手に入れることはできなかったと思う。彼は見た目の美にこだわり機能面に関しては至って幼稚な理論しか持ち合わせていなかったようであるが、貧弱な骨格に、逞しい筋肉をつけた彼は生来持ち合わせた繊細な神経故に衰弱してしまったようだ。それが、彼の晩年における自殺につながったと僕はみている。彼の死が物語るが如くに物質的に豊かなものを享受できる体質は生来のものもありなかなか手に入れることは難しいようだ。

人は生まれ持った豊かな体質に加え物質に恵まれていないと本当の豊かさを享受することはできない。僕の生まれた戦後日本という時代と国はかつてなく物質的には豊かな時代と国であったと思う。毎日青白い顔をして通勤し、うさぎ小屋のような家に帰る生活は真の意味での豊かさとはほど遠い生活であることは間違いのない事実であるが。ルネサンス前の世界、産業革命前の世界は豊かになったり貧しくなったりを繰り返す世界であったと思う。多くの民族が興亡を繰り返す世界であったと思う。それが、科学の発達と工業化により線状に発展していく世界になり、洋の東西に関わらず鰻登りに豊かさが増していく世界になった。人口の増加もあるけれどGDPは鰻登りに増加していき、世界の多くの国と地域ではかつてないほど物質的には豊かになっていったと思う。戦後日本のGDPの増加率は驚異的なレベルであり、日本は物質的には間違いなく史上最高レベルの豊かさを手に入れていたのが僕が生まれた1980年代後半の日本であった。近頃は長い経済の停滞期に入りかつてほど経済的に豊かではなくなりつつあるのは明白な事実であるが。

現代においても貧しさを感じることがしばしばある。現代の貧しさについて考察してみよう。僕はまず都会の片隅の日の当たらない場所で感じるあのどうしようもない貧しい感覚を思い出す。僕の実家の庭の土は瓦礫だらけの焼け土で掘っても掘っても古いガラスや煉瓦の破片やゴミ屑しか出てこない。日の当たらない庭でその焼け土を掘っているとどうしょうもない感覚的な貧しさを感じるものだ。そして、安い大量生産された洋服。街に氾濫したデジタルな刺激。純粋な化学物質。青いビニールシート。狭い路地裏に落ちた注射器。このくらいにしておこう。

現代日本においても貧しさを感じる瞬間は多々あるものだ。

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