戦略、戦術、戦法。

『戦略』なき戦いに勝ち目はない。僕らは、『戦略』なき戦いにしばしば直面するが、『戦略』がない戦いに勝つということは目的のない戦いに勝つということだ。いったい何の為に勝つのだろうか。何に勝つのだろうか。

『戦略』が明確でないのに勝とうとする。それはただ生存競争に勝とうとする本能の戦いであり、動物の戦いである。私達は現代においても戦場だけでなく日常の場でも、しばしば、このような無益な戦いをしているものだ。無意識にそれをしているならばもう救いようがないほど、原始的、動物的である。もし、忠実にそれに従い本来実現すべきより高度な目的を忘れているならばその時点で『人間』としての戦いは成立していないのだ。

太平洋戦争末期に日本軍はしばしば『戦術』だけの戦いをしていたと言われている。『戦術』だけの戦いとは小手先のスキルだけの人のようだ。仕事の為にスキルを高めるという。その土台にちゃんとした目標があるならばそれもいいと思う。でも、目標なくただスキルを高めたところには組織の歯車となる以外の意味はない。戦術は華やかなものであるから私達はそれに目を奪われがちであるが、重要なのは戦術ではないのだ。その奥にある戦略であり目標だ。

戦争における剣術の役割のようなものが『戦法』である。細やかな実践の技術のことだ。料理人が包丁を研ぐが如く常に最善の状態に調整しておかなければならない。どんな優れた『戦略』も『戦術』もよく磨かれた実践技術がないとその効力を失ってしまうからだ。

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