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「懐かしさ」に心を奪われる

 先日、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』を小学生振りに観た。
 主人公であるしんのすけの地元春日部に20世紀博が作られた。20世紀博は大人たちが子供の時に慣れ親しんだ遊びや施設、実際に当時流行したアニメキャラクターになりきれるコーナーがある。大人たちはその「懐かしさ」を求めて通い詰める。施設内では、大人たちは子供を子供部屋に預け、子供そっちのけで遊びまくる。
 そんな日々が続いていたある日、20世紀博からのお知らせがテレビで放映された。「明日の朝、お迎えにあがります。」というシンプルなメッセージのみ伝えられるものだったが、そのお知らせが終わった途端、大人たちは「心ここにあらず」な状態となり、子供を放置して迎えに備える・・・といった冒頭から始まる。

 この映画を初めて観たとき、当時小学生だった僕はトラウマを植え付けられた。大人が「懐かしさ」に触れただけで、子供を放置して子供のように好き勝手に行動する姿に理解ができなかった。「懐かしさ」に魂を吸い取られている様子は、当時流行っていた心霊番組内で霊に取り憑かれた人を観たときに感じる怖さと通ずるものがあった。
 小学生振りに観たということもあり、当時の心境を振り返りながら観ていたが、観終わった後、当時と同じ感想は抱かなかった。むしろ、この先、「平成博」なんてものが作られようもんなら、通い詰めてしまうだろうなと感じた。
 ウルトラマンティガ、仮面ライダー、ポケモン、遊戯王、、、
 当時、毎週欠かさずに観ていたアニメになりきれる、もしくは、その世界観を体験できるものが出来たらと想像して気分が高揚した。もはや、「どなたか作ってください」とすら思い始めていた。

 後日、仕事が休みの日に街を歩いていると、7、8人くらいの大人たちが自転車を道路の端に停めて談笑している様子が遠目から見えた。
通りすがりに「今投げろ!」「あ〜捕まえれなかった〜クソ!」といった会話が耳に入った。
 どうやら、ポケモンGOをしているようだった。その時に限らず、それまでも道端でポケモンGOを見かけることはあった。明らかに足を止めるような場所ではないような所で大人が固まっていると、ポケモンGOをやっているんだなと認識する。
 でも、前段の映画を観終わってからその姿を見たとき、僕は怖くなった。まるで、映画で20世紀博の中で大人たちが無我夢中で遊んでいる姿と重なって見えた。その大人たちの周りには子供も居なかった。

 やっぱり「平成博」は作られなくていい。作られたら、僕も「懐かしさ」に魂を吸い取られそうな気がするから。

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