恋のスゴロクゲーム 40✖️40
短編小説、約10000文字、ラブコメ。主人公は40歳女性です。
私は同棲していた彼と別れて、はじめての誕生日を迎えた。帰宅して母からメールが届くまで自分の誕生日をすっかり忘れていた。ソファーに座り重い体を休ませると、母からのメールを読む。
「アヤ、お誕生日おめでとう。今年もうちのミカン送ったから。土曜日には届きます。これからも健康に気をつけて。か…。」
40歳の誕生日を祝ってくれる人はもう母しかいない。昨年は彼が小さなケーキを買ってきてくれたんだよね…チクっと胸が痛む。
「はぁ…。」
自然とため息が出た。
誕生日なんてどうでもいい。そんなことより今は元彼タクヤのことで頭の中が大混雑。タクヤは〝好きな人ができた〝とメモを残して突然家を出た。というか逃げた。
一週間前、仕事から帰宅した私は真っ暗な玄関の電気をつけた。パンプスを脱ごうとしたとき彼の靴がないことに気づいた。仕事用の革靴がないのはわかる。今、仕事してんだから。でもちょっとコンビニ用のスニーカー、ゴミ捨て用のサンダルもない。
変だな…って思いながら部屋へ上がり、いつものようにコートを脱いでクローゼットを開けた。
クローゼットはお互いの服が混ざらないように、収納エリアを分けていた。左は私、右は彼。
「あれ?」
彼のスペースはスカスカだった。古くてヨレヨレのトレーナーが数枚と服から解放された無数のハンガー、床には埃の玉。
ドッドッドッドッ…心臓が大きく早く動く
玄関の靴がない、クローゼットの服もない…その意味は。
膝の力が抜けそうになりヨロヨロとリビングのソファーに座った。ふと見るとローテーブルに白い紙があった。真四角のメモとその上にキーホルダーのついてない家の鍵。私はメモを手に取った。
〝アヤごめん、好きな人ができた
その人と暮らすことにしました
必要な荷物は運びました
残りの荷物は捨ててください
今までありがとう
タクヤ〝
私がいない間に荷物をまとめて新しい恋人と同棲をはじめたってこと?
受け入れられない現実に言葉も出ず、短いメモを何度も繰り返し読んだ。裏返して白紙を確認する。わけがわからず頭の中が右往左往している。
「信じられない…メモでお別れってひどすぎない?」
喉はカラカラになり、涙が勝手に次から次へと溢れてメモを濡らした。彼の笑顔が脳裏に浮かぶ。気の弱い優しい彼だった。別れの台詞を私の目を見て言うのが怖かったのだろう。私ってそんなに威圧的だったの?一緒にいるときもメモで会話したくなるときあったのかな…私が悪いのかな…
でも…それでも…それでもよ…
お笑い番組を見ながら3本目の缶ビールを開ける。
「一緒に暮らしてたのに好きな人ができるってどういうこと?仕事して残業して私と寝て好きな人と会う?そんな時間よくあったよね、隙間時間ってそんなにありますか?あいつの1日の時間は36時間か?それに残りの荷物は捨ててください?それ荷物じゃないですよね、ゴミですよね?小さなインコだって教えればゴミ捨てますよ?動画で見た、あれはなんだっけセキセイじゃないや、ほっぺが赤いオカマ…?じゃなくてオカメインコ!!」
おつまみのスナックを口へ放り込んでビールで流し込む。悲しみよりも怒りが込み上げてくる。部屋の隅に目をやると元彼の荷物がまだ残っていた。いつも着ていた毛玉付きの部屋着が椅子の背もたれに掛かったままだった。
2年前、同棲生活がはじまったとき私が買ってあげたんだよね。彼は気に入って毎日のように着てたな。夕食は二人で向かい合って食べて、朝食は早く起きた方がコーヒーを入れる。タクヤはいつも食パンを焼き過ぎてパサパサだったな。仕事から帰ったらソファーで寝て、靴下投げてるし、イビキはうるさいし、ハハハ…。
彼の記憶のせいで寂しさが倍増した。急にビールの味がしなくなった。缶をそっとテーブルへ置く。
「期待してたんだけどな。今日で40だし、特別なサプライズあるかなって…。」
涙でテレビの字幕が滲んだ。お笑い番組なのに笑えない。笑い声は別世界のように感じる。なにも心に響かない。
「一人で飲んでるのがいけないんだ。どこでもいい、開いてる居酒屋へ行こう。」
タクシーに乗って街に出た。
ぼんやりと歩きながら空いてる店を探す。手先が冷たくなってコートのポケットに手を入れた。どこからか美味しそうな匂いがする。
「これ、かつおだしの香りかな。」
和風の青い暖簾、木製の引き戸、暖かい電球色、おでん出汁の香り。
「ここにしよう。すさんだ心にはあったかい物がいいんだよ。」
私は引き戸をガラガラと開けた。店内はカウンターだけの小さなお店だった。八つ椅子があり一番奥はカップルが、ひとつ飛ばして男性が座っていた。私は男性の隣の席を一つ飛ばして腰掛けた。コートを脱ぎ背もたれに掛ける。着物姿の年配の女性がおしぼりとお冷を持ってきた。
「いらっしゃいませ」
「すみません、ビールと枝豆ください」
「はい、お待ちくださいね」
年配の女性がカウンターの向こう側をチラと見る。
調理服を着た年配の男性がうなずいた。冷蔵庫から枝豆を出した。
「枝豆、どうぞ。」
「ありがとございます。」
私は熱いおてふきで手を拭きながら、年配の女性と男性を交互に見た。ご夫婦かな?漂う空気が同じだわ。あぁ、羨ましい。
ビールが出され、一口飲んで落ち着いた頃、ふと右側から視線を感じた。横を見ると男性と目があった。
「ども」
「あ、ども」
お互い軽く頭を下げて挨拶する。男性はシンプルな黒のトレーナーにジーンズ、30代後半に見えた。近い年代だとわかると、少しホッとした。私は視線を元に戻し、枝豆に手が伸びて止まった。このまま知らない顔をして黙って飲むのもなんだなと思ったので質問してみた。
「お一人で来られたんですか?」
「はい。家飲みに飽きて。」
「私もです。飽きてというより一人で飲みたくなくて。」
「あ、一緒です。俺、最近彼女に捨てられて。15歳下の。情けない話ですけど。」
15歳下?!ということは若い子が好きなんだ。私は恋愛対象外だ、よかった。酔った勢いでってことにならないよね。もしも私が泥酔して誘惑しても無視してタクシーに放り込んでくれるだろう。一緒に飲むには最適な条件。
「私もです。三つ下の彼に捨てられました。よかったら一緒に飲みましょう!」
私はビールと枝豆を持って男性の隣に席を移した。
男性の名前はタダシだった。私より少し若く見えたが同じ40歳だった。鍛えてるのだろうか。中年特有のポッコリお腹は見当たらない。なるほど、若い彼女ができるわけだ。
タダシの職業は建築関係の営業。私は美容関係の事務員。タダシは男性が多い職場、私は女性の多い職場。互いに異性との出会いが少ない職場だった。
2時間後、私とタダシは腕を組んで左右にふらふらしながら夜の街を歩いていた。ネオンがぼんやりとして見える。まるで夢の中にいるようだ。自覚はないけど、これはだいぶ飲んだみたいだ。
「私、がんばったんだよ。料理と家事と。だってラストチャンスじゃない?この歳で彼氏つくるって難しいと思うの…うぷ…」
「俺だってそうだよ、こんなオジさん相手にしてくれる若い子なんてそうそういない。これが最後だと思ってがんばりました…。」
「わかる、わかるよ、だってその格好、大きなロゴ入ってる。30歳前半のファッション。偉いよタダシ!」
「アヤもがんばったな!俺もがんばった!俺たちの歳になると恋愛ってさ、気合いを入れてがんばるものだよな。恋愛のすごろく何度もやってるから、付き合ってすぐに先が読めるんだよ。冷めないように頑張って着飾って新しいものに驚いたふりをする。」
「そうそう、知っているのに〝わぁー素敵〝って言ってた、あははははっ!」
「俺は流行りの動画見て興味あるフリしてた。指でハート作れるよ、ほら。」
「あはははは、オジさんがやるとウケる!」
「アヤ、俺の家でもう一杯飲もう!」
「いいよ!明日休みだし、飲んじゃおうよっ!」
そして朝が来た。
目がさめるとフワフワした毛足の長い黒いラグマットが見えた。私は知らないリビングのラグマットの上に寝ていた。
「え?誰の家だっけ?」
起き上がって服を確認する。昨日のまんまだった。白のセーターとチェックのスカート。重い瞼がちゃんと開くとだんだんと視界が広くなって、ローテーブルを挟んだ向こう側で爆睡している男が見えた。
「あぁ…この人って。確か昨日居酒屋で会った人と一緒に飲んで。家にお邪魔したんだった…。名前は確か…タダシ?」
ローテーブルには酎ハイの缶とおつまみの袋が散乱していた。
「店を出てまた飲んだんだ。ぜんっぜん、覚えてない…。」
タダシはジーンズを脱いでボクサーパンツだけで寝ていた。
「ああ…見てしまった。寒くないのかな?毛布を掛けてあげたい。」
アヤは部屋を見渡した。タダシのコートが床に落ちていた。それを拾ってそっと太ももに掛けてあげた。するとタダシがうっすらと目を開けた。
「リナ…?」
「リナ?違います。アヤです。昨日居酒屋で会った。」
「うわっ!ごめん!」
タダシは飛び起きて謝った。髪はボサボサだった。私は慌ててタダシの正面に正座した。
「ちょっと待って!謝るのは私です、すみません。私、酔うと近くにいる人に抱きつく癖があって。たぶん、それであなたを困らせたと思います。ほんとすみません。」
「そ…そうなんですか?俺、なにも覚えてない…居酒屋出たのは覚えてるけど」
「私もぼんやりとしか覚えてない」
「あぁ…久しぶりに記憶が飛ぶほど飲んだ…」
「私も…。頭痛い。」
「コーヒー入れるから、ちょっと待ってて。あ、俺、ズボン履いてない(笑)」
タダシは脱ぎ捨てたジーンズを慌ててはいて、リビングの端にあるキッチンへ向かった。カウンターに置いてあるコーヒーの粉が入った瓶を手に取る。電気ポットでお湯を沸かし、ドリップコーヒーを入れた。コーヒーのいい香りが部屋中に漂う。
「誰かが家にいるの久しぶり。いいもんだな、やっぱ。彼女と一緒に暮らしてたわけじゃないけど、ときどき来てくれてさ。そんときの思い出が苦しくてさ。」
「わかるよ。私も苦しんでる真っ最中。」
アヤは黒い革張りのソファーに座ってコーヒーのフィルターから出る湯気を眺めた。タダシはコーヒーサーバーから黒いマグカップへコーヒーを注いでローテーブルに置いた。
「どうぞ。熱いから気をつけて。」
「ありがとう。」
二人は黙ったまま向かい合ってコーヒーを飲んだ。数分間沈黙が続く。お互いにアルコールが切れると何を話していいのかわからなかった。タダシは軽く咳払いをしたあとに言った。
「あのさ、アヤがよかったらさ。よかったらでいいんだけど、ときどき俺の家に遊びに来てよ。男と女ってのじゃなくて、一緒に飲んでて楽しかったから。次の彼氏、彼女ができるまで。」
タダシの提案にアヤの頭の中の電球がパッと光った。
実は私もまた会いたいと思ってた。タダシと話しをしていると学生の頃に戻ったように、次から次へと言葉が出て楽しかった。同い年でお互い独身だから余計に話が合う。
「ほんとにいいの?」
「いいよっていうかお願いします。」
「うれしい!私も一人で家にいるの辛くて。どうしようか悩んでたの。タダシがいたら笑って飲めそう。よろしくお願いします。」
それから私はタダシの家に週一で遊びに行った。コンビニでおつまみと飲み物を買って。
帰宅して真っ暗な部屋に入るのは本当に地獄だった。だけど、タダシに会うことを心の支えにしてなんとか乗り切った。元カレタクヤの荷物は少しずつ処分して、部屋の中はスッキリというよりガラガラという印象になった。
クローゼット、洗面所の棚、食器棚、下駄箱、お風呂の棚、本棚。あらゆる場所で空白になったスペースに小物を置いて隙間を埋めた。
「タクヤのスペースって意外と広かったんだな…。タクヤ、もう捨てたからね。もう戻れないよ。幸せになってよ。」
私の昔からの友人は結婚して子供がいて共働きが多かった。多忙な彼女たちに自分の悩みを言うのは遠慮したかった。久しぶりに会って話をするときは、独身でも地に足をつけて元気にやってます、幸せですって、どこかで意地を張っていた。
でもタダシには本音でなんでも言えた。
同い年で独身、今は恋人に振られて同じ境遇、戦友みたいな妙な安心感があった。彼は私を女として見てない。私も男として見ていないが、男性と話をしたいと思ったときタダシと会うことである程度満足できた。
一ヶ月後、タダシの家に行く回数は四日に一回へ。さらに一ヶ月後は三日に一回になっていた。
タダシの元カノはリナという人で、
ネットで知り合ったらしい。付き合った期間は一年。誕生日、クリスマス、ホワイトデー、付き合って100日記念、200日記念、イベントがあるたびにプレゼントを要求されたらしい。若い子あるある、ご愁傷様である。でもタダシは懲りずに、最近ネットで若い好みの女性を見つけたらしい。
タダシはビールを飲みながら、即席のおつまみ、ソーセージをフライパンで炒めていた。
「久しぶりにネットで結婚相手募集したんだ。3人からDMがあってさ。一番若い子が30歳なんだ。見た目が俺の好みでいいなと思って。実は昨日その子と食事してきた。性格もまあまあ良さそう。」
「なるほどね、それで髪色変えたんだ。アッシュブラウン似会ってるよ。試しにその子と付き合ってみたら?」
「うん、まあ、相手からの返事待ち。そっちはどう?」
「私?出会いなんてナイナイ。探そうと思ってるんだけど…。」
「アヤもとりあえず動いてみなよ。俺と同じようにネットで探してみる?」
「ネットねぇ…」
「スマホ出して。俺が婚活サイトへ登録してやる。」
タダシは炒めていたソーセージを皿に入れてローテーブルに出した。アヤからスマホを受け取ると出会い系のアプリをダウンロードした。慣れた手つきでパッパッと登録を済ませる。
「これでよし。付き合う前に俺に相談しなよ。中には独身を装った既婚者がいるから、俺が見破ってやる。」
「わかった。」
タダシは床に座るとエコバッグからワインを出した。
「これ、さっきスーパーで買ってきたロゼワイン。今日はひな祭りだから。」
タダシはロゼワインを底の丸いグラスへ注いだ。
「どうぞ。お雛様。あ、ヒナじゃないか(笑)」
「なにそれ、ひどい(笑)いつも一言多いわね、オバ様で悪かったですね!」
「俺はオジ様。オバ様とオジ様の雛祭りにかんぱいっ!」
「はい、カンパーイ!」
タダシはソーセージにフォークを刺して一口で食べた。
「俺たちに彼氏彼女ができたら、この関係から卒業だけどさ。たまには連絡とろうな。」
「そうね、たまにはね。」
「卒業するときは一緒に卒業しよう!」
「できたら一緒がいいよね。私がんばるわ。」
とは言ったものの…。
登録した婚活サイトだと40歳女性って需要が少ないみたいで。この一週間でDMをくれたのはほんの数人で。親と年齢が近い人とか既婚者とか、私の恋愛対象にならない人ばっかりだった。日曜の昼、ソファーに寝転んでスマホを見るとDMの内容にため息が出た。
「期待はずれだったなぁ。っていうかやり方が違うのかな。」
このサイト。結婚を考えてる人の為のって書いてあるのに既婚者も登録しちゃうんだ。バーゲン会場から自分の好きな服を選ぶように出会えると思ってたのに、イメージ違うな。これは福袋だ…開けたらサイズの違う洋服ばっかりって感じ。タダシはどうやって出会ってるんだろう。男だったら収入が多いと年齢に関係なく出会いがあるのかな…。
いろいろ考えてるうちに急にタダシに会いたくなった。ラインでメッセージを送ってみたら、すぐに返信がきた。
゛悪い。今日の夜、例の女性とデートが入ってる。月曜なら早く帰れるからいいよ、家で待ってる。゛
またあの人とデートか…上手くいきそうな予感。10歳下の人と。
タダシは口には出さないけど、結婚したら子供が欲しいのかも。だから歳の離れた若い人を選んでるんだろうな。もしもタダシが結婚して子供ができたら良いパパになりそうだよね。独身生活長いから家事もそこそこできるし、部屋もだいたい綺麗にしてある。
タダシには幸せになってほしい。この三ヶ月、ひどく落ち込むことなく頑張ってこれたのはタダシが側にいてくれたから。タダシは私のドン底を救ってくれた恩人だ。彼女ができたら私とはサヨナラだけど、寂しいけど、大丈夫。幸せになっていく人を見送るのは慣れてる。
月曜日、会社帰りにタダシの家へ寄った。玄関を開けるとすぐにカレーのスパイスの香りがした。タダシはスープカレーを作って待っていた。スープ用の大きめの皿に柔らかそうな骨つきの鶏肉と玉ねぎ、人参、ブロッコリーがのっている。
「いらっしゃい。レトルトのスープカレーなんだけど野菜をプラスして作ってみた。うまいから食ってみて。」
「うわぁ、美味しそう!ありがとう。」
私はダイニングテーブルに座ってスプーンでサラサラのスープをすくって飲んでみた。
「うまい?」
「うん、最高。」
「俺も食べよう。相変わらずうまいなコレ。」
「あのさ、相談なんだけど…婚活がうまくいかなくて。アドバイスが欲しいの。」
私は人参を食べながら、スマホを出して婚活状況を報告した。
「DMが来ない?ちょっとアヤのプロフィール見ていい?」
「うん、これ。」
私はタダシに自分のスマホを渡した。タダシは画面をタップして何かをチェックしている。
「この写真、加工してる?」
「加工?そんなのしてないよ。だって顔変わるでしょ。」
「変えないとダメだよ。」
「は?」
「ちょっと待ってろ。俺がアプリを使って加工するから。」
タダシは写真を加工して私に見せた。肌はツルツル、目は大きく、顎のラインがスリムになっていた。
「すごい…加工って一瞬でできるんだ。」
「いい感じだろ?絶対加工したほうが綺麗だよ。」
「な、なんか腹立つ。」
「あと、この理想の相手ってところ。35歳〜48歳って範囲狭すぎ。ここは70歳にしとく。」
「やめてよ!70だと私の父と同い年。」
「そうか…。じゃ、60で。」
「ろ…60か…話し合うかな…っていうか、タダシは何歳にしてるのよ。」
タダシは自分のスマホを出してアヤへ渡した。
「25歳〜30歳?!せまっ!!若さにこだわり過ぎ。針の穴くらい心が狭い。30歳〜60歳に訂正しとく。」
「うわっ、やめろって!」
「アハハハハハ、冗談」
加工した写真に変更した効果は翌日出た。一通のDMが届いた。50歳独身、離婚歴あり、子なし。
「よし!この人と会ってみよう。悩むより行動あるのみ。」
日曜の昼、私は50歳の内村さんとデートした。背の低いぽっちゃりした人だった。待ち合わせのカフェに到着すると、すでに席に座っていて30分前から待っていたとのことだった。お互い改めて自己紹介したあと内村さんは
「今日はがんばっておしゃれしてきました。これお店の人に選んでもらった服です。」
と言いながら照れ臭そうに笑った。カッコつけない素直な会話に好感が持てた。優しくて少しおっとりしていたけど、いかにも真面目そうで結婚相手として考えても良さそうな感じがした。
3日後、会社帰りにタダシの家へ行った。
タダシは夕飯にナポリタンを作って待っていてくれた。パスタをフォークでくるくるしながら内村さんについて報告した。
「そっか。まともそうな相手だな。また会うの?」
「うん。次の日曜にまた会いましょうってことになった。でもさ、恋からはじまって頂上に登ったら結婚って感じじゃなくて…。内村さんと一緒にいたら絶対安泰な感じがするから結婚ってイメージなんだよね。いきなり頂点なんだよ。トキメキがない。恋じゃないんだよね。まるで就職だよね。」
「婚活ってそんなもんだろ。恋じゃなくても、一緒にいたら恋に似たような感覚になれるんじゃない?愛着が湧くってやつ。」
「そりゃ湧くと思うけど。それでいいのかな…。」
「恋して結婚したとしても、いずれ恋は冷めるもんだろ?」
「まあね、そうだけど。そっちはどうなの?」
「まだOK貰えてないけど、上手くいくと思う。」
「四月になる頃にはお互い順調に卒業できそうね」
「そうだな…。」
日曜日、内村さんとデートした。美術館へ行って、食事して、映画を見て。王道のデートらしい隙のないスケジュールだった。きっと内村さんは私の為に一生懸命考えてくれたんだろうなと感じた。だけど…だけど…私はデートのあと自宅に戻りベッドへ倒れこむように横になった。
「あぁ…疲れた。」
内村さんって良い人だな。悪くない、ぜんぜん悪くないんだけど。会話のリズムがほんの少し合わない。これって大切なことなんじゃないかな。普段、タダシとスムーズに会話してるからこそ余計に気になる。この違和感に蓋をして結婚できない。申し訳ないけど早いうちにお断りしよう。
私はスマホの画面を開いた。内村さんにはメールで正直に気持ちを伝えてお断りした。
「また婚期逃したかも。でもこれが私の生き方だもん、仕方ないよね。」
月曜日、タダシにこのことを伝えたくて会社帰り家へお邪魔した。タダシの好きな焼き鳥とビールを持参して。タダシは何年前のトレーナー?と言いたくなるような部屋着を着ていた。
「お?俺の好きな焼き鳥とビール!ありがとな。」
「ねぇ、だんだん格好がだらしなくなってない?最初は綺麗なシャツとズボン着てたのに。今はヨレヨレのトレーナー(笑)」
「いいじゃん、もう気を使う相手じゃないし。」
「ま、そうなんだけど」
タダシはビールの缶を開けてそのまま飲んだ。そして焼き鳥の串を手に持って回転させながら言った。
「昨日のデートどうだった?」
「相変わらず良い人。しっかりとしたデートスケジュールでした。それでね、内村さんのことなんだけど、」
アヤの言葉を遮るようにタダシは言った。
「いいんじゃない?付き合えよ。これ逃したら当分ないぞ。」
「言われなくてもわかってる。デートしながら内村さんとの結婚を想像してみたんだけど、」
「結婚考えてるんだ、よかったな、おめでとう!」
タダシの投げやりな言い方にカチンときた。
「タダシ最後まで話を聞いてよ。まさかとは思うけど嫉妬してる?」
「してないよ、俺、若い子にしか興味ないから。」
焼き鳥を食べながら目を合わせようとしないタダシに更に腹が立った。
「そうだよね、私には興味ないよね。私も若い子ばっかり追いかけてる中年には興味ありません!」
「なに?そっちこそ嫉妬?若い子に嫉妬してんだ。」
「するわけないでしょ!興味ないって言ってるじゃない!」
私は缶ビールを勢いよく音を立ててテーブルの上へ置いた。お互いにビールを飲む手が止まり、静かになった。
「俺、30歳の彼女できました。そっちも上手く行きそうだし、今日で俺たち卒業だな。」
「私は内村さんと結婚します。卒業します。ありがとうございました。お世話になりましたっ!」
私はムカつきながらタダシの家を出た。
そのまま自分の家に帰りたくなくて街中の川沿いを散歩した。
川幅は10メートルくらい。腰までの高さの手すりが川に沿って真っ直ぐに続いていた。オレンジ色の街頭の下で犬の散歩をしている人がチラホラいる。川の両端には桜の木が植えてあって、見上げるとたくさんの蕾が眠っていた。あと数日で咲き始め満開になる予定の蕾たち。
歩いてるうちにアルコールが抜けて気持ちが落ち着いてきた。
「ケンカしちゃった、最後に嘘ついちゃったな。春になったらタダシと一緒にお花見できると思ってたんだけどな。予想外の早い卒業でした。卒業できた。卒業できちゃったよ。」
目から涙が頰を伝って落ちる。涙の跡が春の風で冷たくなっていく。
「寂しいな。ぽっかり穴が空いた。また一人か…。」
桜の枝の向こう側で強く光る星が見えた。ポケットからハンカチを出して涙を拭いた。
「ケンカしてムカついたけどさ、タダシは幸せになれるんだよ、私が望んだ通りじゃない。なにを泣く必要があるの?しっかりしろ、私。」
アヤは川を離れて右手を上げタクシーを止めた。
4月、桜は満開になった。
タダシとは卒業してから一度も連絡してない。卒業してから10日ほどしか経ってないけど、一ヶ月くらい会えてないような感覚だった。
私は残業を終えたあと電車に乗り、川沿いの桜を見に行った。たくさんの人が川沿いを歩きながら桜を見物している。コーヒーを片手に眺めている人。スマホで撮影している人。
夜の街灯の下で、満開の桜が風に揺れて花びらが舞って、花びらは歩道や川を淡いピンク色に染めていた。トレンチコートのポケットに手を入れて歩きながら桜を見上げる。
「毎年見てるけど、毎年新しくて綺麗。桜っていいな。人は歳を重ねるとシワが増えるだけなのに、桜は大きくなって綺麗になる一方だね。」
カップルが手すりに掴まって川の流れを眺めながら会話をしている。歩いても歩いても桜よりカップルが目に入ってしまった。
「はぁ…おでんでも食べるか。」
アヤは和風の青い暖簾をくぐった。温かい美味しそうなおでんの香り。八つある席の七つは埋まっていた。コートを脱いで出入口に近い一番端の席に座った。着物姿の女将さんがおしぼりとお冷を持ってきた。
「いらしゃいませ。」
「ビールと枝豆ください。」
「はい。お待ちくださいね。」
枝豆とビールはすぐに出てきた。まずは一口ビールを飲む。枝豆を食べながらカウンターに置いてあるメニュー表を見た。おでんの盛り合わせがあった。よし、これにしようと思って女将さんを呼ぼうとしたとき、隣に座っていたカップルが席を立った。
「ごちそうさまでした。」
「はい、ありがとうございました。お会計はこちらです。」
カップルが席から離れると、見覚えのある顔が現れた。タダシだった。
「タダシ…久しぶり。なにやってんの?」
「なにって飲んでるだけ。アヤ、元気そうだな。」
タダシはビールと出汁巻卵の皿を持って私の隣の席へ移動した。
「元気よ。タダシは?」
「俺も変わりないよ。」
「この間はごめんね。」
「俺もごめん。」
「あ、そうだ。私、引っ越そうと思ってるんだ。」
「なんで?」
「2DKって一人で暮らすには広すぎるから。掃除面倒だし。ワンルームにしようかなと思ってる。」
「内村さんと今付き合ってる?」
「う、うん。」
「付き合ってるなら、結婚も遠くないだろ。ワンルームに引っ越しても結婚決まったらまた引っ越すことになるぞ。二度手間だぞ。」
「まあ…そうなんだけど…。」
私はタダシに嘘をつくのが苦しくなってきた。ビールの泡を見ながら言うか言うまいか迷っていたらタダシから予想外の言葉が出た。
「俺さ、実は彼女いないんだ。30歳の女性と付き合ってるって嘘ついた。ごめん。」
「嘘?!タダシも?」
「ん?どういうこと?」
タダシは私の枝豆を口にくわえたまま驚いた顔をした。
「私も嘘ついた…ごめん。内村さんとは二度目のデートでサヨナラしたんだ。」
「えっ?!俺、アヤと内村さんがうまくいくだろうと思って、嘘ついて卒業したのに。」
「なんで嘘つくのよ!私、本当は卒業したくなかったんだよ。でも勢いで嘘ついてしまって。あの後、泣いたんだから。あのときの涙返してよっ!」
「あはははは、なんだ俺たち必要な単位とってなかったんだ。卒業できねぇじゃん!」
「できないよ、留年だよ。また一緒(笑)」
それから私たちはいつも通りお酒を飲んだ。おでんの盛り合わせを二人で食べて、最後にお皿に残った昆布巻きはタダシが取った。タダシは
「よろこんぶーー!」
と言いながら一口で食べた。
「アハハハハ、ダサい、おじさんが言うダジャレ」
「ダサい言うな、俺はまだおじさんじゃない!」
「はい、はい。」
「アヤが今日見た桜、俺も見たいな」
「いいよ、タクシーですぐだから行ってみる?」
ほどほどに飲んだあと、タクシーに乗り桜が満開の川へ向かった。
夜11時を過ぎていたので見物人はいなかった。いるのは会社帰りのサラリーマンくらいだ。アヤとタダシは並んで桜の下を歩いた。春の夜はまだ寒い。冷たい風は飲んで暑くなった顔にはちょうどよかった。
「俺、何年ぶりかな、夜桜見るの。ここら辺、車で通り過ぎるだけだったから。」
「下から見上げると新しい発見あるでしょ。」
「そうだな。こんなに綺麗だったんだな。」
「散って葉桜になっても綺麗だよ。そのとき二人でもう一度見ようよ。」
タダシは立ち止まり風で舞う花びらを片手でヒュッと掴んで遊んでいる。
「あのさ、一緒に卒業する方法があるんだけど。」
「なに?またネット?」
タダシはアヤを見下ろして左手でアヤの右手を握った。手を繋いだまま再び二人は歩いた。
「俺と一緒に歩かない?」
「歩いてるじゃない」
「そうゆう意味じゃなくて。これからもってこと。」
「…樹齢40年だよ、いいの?」
「いいよ。綺麗だから。」
「ありがとう。」
「桜がね。」
「ふざけてんの?」
「ふざけてない。好きだよ。」
「はい。はい。」
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。