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#1 初夜 (嫁と酔いの宵にて)

# 嫁と酔いの宵にて -You and The Night and The Tipsy-

> こんな夢を見た。『夢十夜(夏目漱石)』

## 初夜

 こんな嫁を見た。

 両手で一人の女性を抱きかけている。どうやら私の嫁のようだ。念のため尋ねてみると、やはり「今日からそうよ」と返ってきた。

 今日は私と彼女の結婚式であり、二次会までをとどこおりなく終えたところだった。主役だからといって、さんざんアルコールを飲まされた私はすっかりと酩酊してしまっていた。ゲストたちを会場の出口で見送りをしているところで、同じく酔っ払った友人が「お姫様抱っこ!そして登れ!」と上機嫌に囃し立てた。振り返ると繁華街の広場へと続く幅の広い階段があった。

 時刻は夜の22時を過ぎた。真夏の夜の空気は蒸し暑い。彼女を抱き上げると、夜の闇にミッドナイト・ブルーのドレスがなびいた。

 大した段数のない階段でも、酔った自分がカラードレスの彼女を運ぶことは骨が折れた。半分まで来たところで足取りを揃えるために小休止した。額のじんわりとした汗に気づいた。

「私、重くない?」

 彼女が体重のことを気にかけたことは意外であった。彼女は生来の痩せ型でどんなに暴飲暴食をしても一向に太らなかった。数年におよぶ交際期間で私が驚いたことのひとつである。このドレスを選ぶ際にもウエストとの相談ということはなかった。そのため私達の会話で体重の話題が出ることはほとんど無いはずなのだが、彼女の質問は自然に行われた。何かの既視感も感じる。しかし、終日緊張しっぱなしだった私にはそれを思い出す余裕はない。――まあいいさ。さっさと登りきってしまおうと、再び足を踏み出した。

「あの時と同じだね――ちょうどこんな感じの夜だったわ」

「何が?」

 うわずった声で聞き返した。

「忘れてしまったの?」

 彼女はクスクスと微笑みながら言った。

 そう言われると私が忘れてしまっている――あるいは意識的に記憶を封じている――出来事があったような気がしてきた。けれどもはっきりとは思い出せない。ただこんな夜であったように思えてきた。そしてもう少し考えれば分かるように思えてくる。分かってしまっては大変だから、思い出してしまわない内に登りきって、今日という日を無事終えてしまわなければならないとも思えてくる。私は段を登るペースを早めた。

「初めて喧嘩した時のことを覚えている?」

「もちろん覚えているよ」と思わず答えてしまった。

「付き合ってからちょうど三ヶ月だったね」

 なるほど春に交際を開始してから三ヶ月がたった時だったような気がした――確かに夏の熱い夜だった。その夜はふとしたことから口論になり、最後には涙を流しながら訴えられた――「どれだけあなたを愛しているか伝わっているのか」と。アパートを飛び出し、近くの公園でうなだれている彼女を、ちょうど今と同じように抱きかかえながら戻ったことがあった。

「その時、あなたは私のことを『重たい女』だって思ったわよね?」

 階段を登りきりっても、彼女は私の腕の中から下りようとはしなかった。そのままの状態で振り返ると、階下で寄り集まっているゲストからひときわ大きな声援を受けた。

 そんな中で彼女は続けた。

「分かっている――こういうことを言われるるのが嫌いだって。でも、貴方の負担になるのが怖いのよ。あなたは自分ひとりで自由に生きていたい人だから。でもね、私は貴方がいなければだめなの――」

 ――だからきっと私が先に死ぬわ。

 彼女はグッと頭を起こし、私の耳元で囁いた。鼓膜に響く、澄んだ声だった。

「本当にいいの?こんな私とこれから何年も――50年くらいかな――ずっと、一緒にいるのよ?」

 それは途方もない歳月に思えた。途端に、両腕の彼女が石のように重たく感じた。

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