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貧乏狂想曲

突然ですが、僕にはとにかくお金がありません。中身の無い若者がよく口にするあのファッション貧乏ではなく、ガチのヤツです。

貯金残高には僅かな生活費だけが口座に眠り、家中金目のモノを探し回っても、あるのは足元に転がるお釣りで貰った小銭が散乱するのみ。福沢諭吉は無論のこと、野口英世の姿すら何処にも見当たらず。

お酒やギャンブルの類には一切手を出さず、車やバイクにも乗らず、交友関係も充実しているとは言えないので、出費がかさむ理由は特に見当たりません。ですがどういう訳か四半世紀も生きて来て、常に欠かさず貧乏です。

それはつまり、収入が低いからの一言に尽きるのですが、それを踏まえた上でも、お金のかかる趣味を持ってないにも関わらず、いつまでたっても貯蓄が増えないのには何か原因があるのではないかと最近ようやく疑問に思い始め、原因と解決策について考えるようになりました。

新年早々景気の悪い話で恐縮ですが、出来もしない目標を掲げて大層な決意表明をするより、自分の身の回りの生活のコストを見直す方が幾分か実用的な気がするので、お時間のある方は少しだけ読んでいってくれると嬉しいです。

まず収入面について。僕は趣味から始めたCG関係の仕事を生業にしているのですが、キャリアが浅く、自分の技術と経験がまだ未熟なこともあり、「食える」領域には到底及んでいません。

したがって収入にはバラつきがありますが、実際の月収は副業を合わせて、多くても15万円を少し上回る程度で、実際はほぼ毎月10万円前後を推移しています。それすら下回ることもしばしば…。

しかし困ったことに、収入が不十分であるにも関わらず、生身の人間である以上、僕も人並みに何かに対する欲求を持っています。

お腹が空いたら美味しいものが食べたくなり、寒い季節になると暖かい上着が欲しくなり、好きなアニメのグッズを見かけるとついつい入手したくなる。欲求の対象物を目にするとそれ以外のことを考えられなくなり、「欲しい」の気持ちに支配される。

それらの欲求は人間として自然の摂理であり、大なり小なり誰もが有しているものであると同時に、当然のことながら、欲を満たす代価としてお金を払う必要があります。

お金を使う行為にはいくつか種類があるとされていて、「消費」と「投資」と「浪費」と「空費」の四種類です。経済学に精通されている方、あるいは普段からお金の管理をきっちりされている方は既にご存知かと思います。

自分の出費を上記に当てはめると、携帯代や電気代など生活維持において必要な「消費」を除外すると、何となく察しは付いていましたが、ほとんどが「浪費」に支配されていました。

いわゆる「衝動買い」に分類される出費。使い古された自分へのご褒美の文言を武器に、褒美を受け取るほどの手柄は何も上げていないのに、帰り道にファストフード店に立ち寄り、スマホでいとも簡単に決済をして、必要もない添加物を胃袋に流し込む。

話題の映画を見つけると、今の時代少し待てばすぐサブスクで配信されるのに、わざわざ映画館に足を運び、氷で水増しされたコーラを片手に、二時間ちょっとの夢を見る。去年は結構な数の映画を観ましたが、本当に観て良かったと思ったのはエヴァンゲリオンだけでした。

厳密には映画鑑賞などは「空費」に分類されるようですが、自分にとって本当に価値があったものでない限り、「浪費」との明確な相違点は存在しないように感じます。

自分の支出における問題点が把握できた上で、現状収入を上げる見込みがないのであれば、やるべきことはただ一つ。日々の暮らしの中で無駄な出費を徹底的に省き、少しでも僅かな資金を自分で守っていくしかありません。

僕は「節約術」みたいなことが書きたいのではないので、コンビニで買い物はせずにスーパーやドラッグストアで割引品を買う、とか、服は古着屋やフリマアプリで掘り出し物を探す、みたいな賢い人は誰でも実践しているであろうことについては記述を省略します。

問題は己の「欲」とどう向き合うかです。前述の通り、僕の懐事情が芳しくならない最大の原因は、自身の欲望に流されて贅沢品に財を投じている点にあります。収入が低いのもあるけど…。

支払いによって得た対価は、少なくともその瞬間には自分の心を満たしてくれますが、その満たされた気持ちはあまり長く続きません。ただお財布が軽くなり、何とも言えぬ冴えない顔をした自分の顔がスマホの画面に映るのみ。

友人に貯金残高が僕とは比べ物にならないほど溜め込んでいる一つ歳上の男性がいるのですが、ある時なぜそれほどお金を貯められるのかをたずねたところ、その際に彼は一言「安心していられるから」と答えてくれました。

言葉の真意までは聞かなかったので彼の言ったニュアンスとは少し違うかもしれませんが、お金を使うことによって得られる一時的な満足感より、陳腐な言い回しですが、何かあった時に自分を守ってくれる資産が常に銀行口座にあるという安心感の方が、人にとって有益であり、精神的に豊かさを保っていられる、そういう意味なのではないかと僕は解釈しました。

つまりその理屈に当てはめると、今まで僕がやって来たことの多くは、豊かさを求めていたはずなのに、実は自分の「安心」を奪う行為で、自分を経済的に、そして精神的に不安定な方へ導いていた、ということだったみたいです。

メディアで紹介された流行りの洋食店も、人気俳優が出ているだけの漫画原作の実写映画も、どうせすぐ着なくなるおしゃれ服も、前機種からどの機能が新しくなったのか理解不能なiPhoneも。

全て必要のない、僕を安心から遠ざけるもの。

よく考えてみると、それほど食へのこだわりはなく、アニメ以外の邦画に関心も無く、衣服の類はGUの安物で十分満足で、音楽を聴く程度でしかスマホを利用しない僕に、それらが必要であるはずなどありません。本当に欲しかったモノなのか、今となってはそれすら疑問に感じます。

「欲」とどう向き合うかが重要だと書き記しましたが、僕の場合、問題点は欲求というより浪費癖だったのかもしれません。お金があればとりあえず使う。目に飛び込んできたモノをよく吟味もせずに買ってみる。ストレスを発散させるために、お金を使う行為そのものが目的になっていた。

お金を使うことによって発散させたはずのストレスが、「お金が無い」というより強いストレスを生み出す悪循環。一説によると、人間はお金が無い状態が続くと、IQが低下し、思考能力に大きく影響を及ぼすとのことです。

IQが低下していたからなのか、それとも元からおバカだったのか、お金が無い生活に、お金が無い自分に慣れてしまっていた僕は、客観的に自分の財政状況を把握して管理する能力を失っていた。

四半世紀の時を経て、ようやく自らの大いなる過ちに気づいた僕は、生活から「浪費」を徹底的に切り離すことにしました。

本当に欲しいモノか、自分にとって必要か、買った後に財布を見つめて後悔したりしないか。その篩に掛けると、今までのほぼ全ての出費が抑えられるようになり、その分を貯蓄へ回して、人にとって本当の意味での豊かさを、少しずつ自らの意思で掴み取ろうと試行錯誤をしている最中です。

そもそもの収入を上げるという主題を解決するにはまだ時間がかかりそうですが、日々の暮らしで無駄遣いをなくして、自分の資産を自分で守る営みは、誰にでもすぐに実践できることなので、できる範囲で「安心」を獲得する努力を重ねていきたいと思います。

その上で、本当に心の底から欲しいと思う、自分にとって価値のあるモノには、懐事情を考慮した上で、お金を使う。矛盾するようですが、何も楽しみが無い人生は、それこそ豊かさからは程遠い。むしろ普段から資金を温存していれば、ここぞという時に、惜しみなくお金を使うことができます。

僕にとってそれは、本当に観たいアニメーション映画を観ることであり、本当に行きたいと思う場所に、行きたいと思った時に旅行をすること。自分が心からそうしたいと願う、自分の幸せを満たすお金の使い道。

それが自分のためではなく、誰か他の人のためになるには、僕にはまだまだ時間がかかりそう。 

抱負というより戒めと言うか、今後余計なモノを買いそうになった時に、「お前こんな記事書いてたよな?」と自分に想起させるための備忘録として、書き残しておきます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。思ってたより長くなってしまいました。ご挨拶が遅くなりましたが、どうか皆さんお身体に気をつけて、良い一年をお過ごしください。

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