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Lo-Fi写真

Lo-Fi - ローファイという言葉は本来は音楽業界の言葉で、レコーディングの録音の際に最高の音質を実現しようとするHi-Fi - ハイファイに対して必ずしも最高品質の音を目指さない録音手法の事を指す言葉だそうです。


昔の記憶は不明瞭

皆さんは昔あった出来事で昨日の事のように克明に覚えいる。という事がどのくらいあるでしょうか。もちろんそんな鮮やかな記憶がひとつ、ふたつあったりはすると思うのですが、大抵の昔の記憶はおぼろげであいまいなものが多いのではないでしょうか。

そんなおぼろげな記憶を呼び覚ますために過去の写真を見返したりすることも多いと思います。

現行のカメラはどんな状況であっても鮮やかに記録してくれます。こういった鮮明な写真は自分の記憶も鮮明であったらば、その記憶を補強してくれるものとしてありがたい存在になると思うのですが、そうではない記憶にたいして鮮明な写真を見せられると、それが自分の撮ったものであっても自分のものではないような、ただの記録にしか見えなかったりするように思うのです。

とある夏祭りの一幕
スローシャッター撮影で、はっきり写らなかった人
KONICA MINOLTA α-7 DIGITAL Minolta AF 28-105mm F3.5-4.5 Power Zoom 35mm SS=15 F=8.0 ISO=100

人間の感覚を超えているHi-Fi

Hi-Fiによるレコーディングの音では録音時の機器、環境だけでなく、再生時の機器、環境も最高品質が求められると言われます。例え最高品質の音源であったとしても、再生環境が最高のものでなければ最高品質の音にならない。という訳です。

しかし音楽に強いこだわりがある人ならともかく、「最高の」再生機材、環境というものは誰でも用意できるわけではなく、大半の人は「そこそこ」の音質で満足できるわけです。

現代の機械は大なり小なりこれと似た問題を抱えていて、例えば車のスピードでも一般の人がコントロールできる範囲は100km/h前後らしいのですが、ごく普通の乗用車でも普通に100km/h以上のスピードが普通に出せるし、走行性能を売りにするスポーツカーともなればプロのレーシングドライバーがサーキットのような整った環境でなければコントロールできない速度を出せるようになっています。

とある市販車改造レーシングカー
後処理でJPEGを生成した写真
SONY  SLT-A77V Minolta AF 100-400mm F4.5-6.7 APO 100mm SS=1/200 F=8.0 ISO=100

デジタル写真の場合もしかりで出力環境であるディスプレイが4K(3840 x 2160)であってもJPEGの画素数に換算すれば800万画素相当に過ぎません。

8K(7680 x 4320)ですら3300万画素で現行ミラーレスのフラックシップ機の画素数を下回っています。論理的には現状一般的に手に入る表示環境ではフラックシップ機の画質は再現できないことになる訳です。

ついでに言えば、最終的に最高品質を受け取る人間の入力装置 - 音ならば耳、写真なら目の性能を超えている部分があって、自分には認識できない何かか存在するという違和感を認識できないなりに感じとれてしまうのがデジタルとフィルムの違いの正体(の一部)かなと思っています。

取って出しJPEGの画像にも似たような問題があると感じています。つまり光学センサーそのものは12ビットなり14ビットなりの受光データが撮れるけどもJPEGに変換される時に8ビットに切り捨てられてしまっています。

この時に切り捨てても画像全体に影響がない(または影響が少ない)ように切り捨てるデータを取捨選択したり統合したりするのがいわゆる画像エンジンと呼ばれるもので、実際にどんな処理を行っているかはメーカーごとにそれぞれ異なり、あるメーカーでは切り捨てている部分が他のメーカーでは重視している部分だったりするという事もあり得ない話ではないと思われます。

いずれにせよ、この光学センサーのデータを8ビットのJPEGに落とし込む際に600万画素機のような古い機種では当時の電子機器の性能では画質よりも処理速度を優先せざるえなかったりする場合あり、こういう処理速度のために切り捨てられている部分が撮って出しJPEGのLo-Fiな部分。余白があるように感じる部分なのかも知れません。

それでも、将来登場するであろうより優れた出力装置のために、現状の技術で取得可能な画像データは記録できるようにしておくという考え方で現在のデジカメは作られていて、そうであるからこそ20年前の600万画素機のRAWデータから最新の画像処理ソフトで最新のデジカメ画像と遜色ない画像を作れている訳です。

橿原神宮拝殿
取って出しJPEGの写真
KONICA MINOLTA α-SWEET DIGITAL Sony DT 30mm F2.8 SAM Macro 30mm SS=1/200 F=11 ISO=200

将来見返した時に良い写真とは

現行の車がABS(アンチロックブレーキシステム - ブレーキロックを防止する電子装置)やスタビリティコントロールのような後から登場した最新機器で人間の限界を超えた性能を発揮できるようになったようにデジカメも後から発達してきた出力装置のおかげで当時は認識できなかった部分が見えるようになったと言えるのかも知れません。

しかし、そういう性能を使い切ったやり方というのはやはり余白をなくしてしまう事につながる訳で、将来見直した時にその写真に記憶を埋め込む余白を感じ取ることが出来るだろうか?と思うのです。

今のところ、600万画素機の写真はほぼ全てRAWデータを後から画像処理ソフトで生成したJPEGをここに投稿しています。この時代の600万画素機は画像エンジンがあまり複雑な処理をしておらず、先ほど述べたような切り捨てが行われている部分がかなりあるのではないかと思っています。この処理性能の低さはデータの記録でRAWかJPEGかどちらか一方しか記録できない機種が存在する事にも現れています。

当時の写り味や余白を感じるのであればJPEGで記録するべきかも知れませんが、そうするとRAWでの記録を諦めることになるのですが、やはり当時の600万画素機の性能を余すところなく楽しみたい。と思うとRAWデータを記録しておきたい。となる訳で悩ましいところです。

今のところ、少なくとも600万画素機に関してRAWデータから後処理でJPEGを生成したものを投稿していくつもりですが、将来見返してみて、やはり取って出しJPEGの余白のある写真の方がよかった。と思う日が来るかも知れません。

橿原神宮拝殿
空の部分を見るとやはりRAWデータからの後処理JPEG生成の方が見栄えが良いなと。
KONICA MINOLTA α-SWEET DIGITAL Sony DT 30mm F2.8 SAM Macro 30mm SS=1/200 F=11 ISO=200

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