お城に咲く花
何となくですが、桜にはお城に咲く花というイメージがあります。実際に撮りに行っている写真を見直してみるとお寺の桜か多いんですけど。
完全に個人的な思い込みなわけですが、どうしてそんな思い込みがあるのか考えてみました。
忠臣蔵の影響?
子供のころアニメっ子で現実感の薄い、空想物語が好きったからか、特撮物が苦手で、マジンガーZやガッチャマンは好きでもウルトラマンやゴレンジャーは苦手でした(嫌いなのではなく、「苦手」という微妙なニュアンスご了承くださいw)
同じ流れでアニメのカムイ外伝は好きでも仮面の忍者赤影は苦手だったりします。そういった関係で、実写そのものだったドラマや時代劇も苦手だったのですが、何とか最後まで見れたのが、なぜか忠臣蔵の映画でした。と言っても具体的なタイトルまでは覚えていないのですが。
ストーリー上の流れでオープニングは刃傷事件のシーン。旧暦3月ごろ(今の暦では4月)桜の咲き乱れる江戸城のシーンから始まるので、そのシーンが印象的でそのまま見入ってしまったように思います。その後は浅野内匠頭の切腹とか、赤穂藩のお取りつぶしの経緯とか、仇討の連判状を取った「昼行燈」大石内蔵助が仇討の意図を隠すための遊興三昧からの連判状返却とかいろいろあったはずですが、その辺のところはあまり覚えておらず、12月14日(今の暦では1月30日)雪の吉良邸に討ち入るシーンが記憶に残っているといった塩梅です。
そしてエンディングはオープニングの頃とほぼ同じ旧暦2月(今の暦では3月)ほころび始めた桜の下で切腹していく四十七士のシーンで終わるという事で始まりと終わりを桜で結んでいたのが印象的で最後まで見ることが出来たみたいです。
反逆の物語
忠臣蔵の面白いところは、君主への忠誠と言ういかにも時の権力者の好みそうなストーリーなのにどちらかと言うと権力者側から抑圧され、一般庶民から支持されるという構図だったところです。江戸幕府は最期まで赤穂浪士を抑圧的に扱ったそうです。
明治時代以降は国威発揚的に解釈されることもあったわけですけど、なぜか政府広報的には大々的に取り上げられていません。どちらかと言うと幕府(の裁定)に反逆したという面を強調して語られることが多かったようです。
こういう不思議な構造になっているのは、幕府や吉良家が絶対権力者の立場から辺境の赤穂藩と浅野家を不当に扱った結果。赤穂藩の家臣たちが反逆的な行動に出たことが、同じように絶対権力者から押さえつけられる立場にいる一般庶民から支持されるという構造になってるのだと思います。
ネタに詰まったら忠臣蔵
戦前はもちろんの事、戦後も昭和のかなりの時期まで劇場や芝居小屋ではお客さんを呼べるネタがなくなった時には夏なら四谷怪談。冬なら忠臣蔵をやれば必ず客が入ると言われていた時期があったそうです。
令和の世である今はもうそんなこともないようですが、物語の根幹にある「絶対権力者が下位の者を不当に貶める」「抑圧された人々が結束して雌伏の後に復讐を果たす」というストーリーは今でも共感を得られると思うのですがどうでしょう。
この根幹を見失わないようにしながら、今風に作り変えることが出来れば今でも十分通用すると思うのです。どなたか文才豊かなNOTEのクリエイターさんで挑戦される方はいらっしゃらないでしょうか。以上、ネタに詰まった文才に乏しい人の戯言でした。
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