あんなもん漫才じゃない!

 漫才というのはセンターマイクを挟んでのしゃべくりである。なので、しゃべりをもってとる笑いでなければ漫才とはよばないのだ!!!

なんてクソみたいな話をしようというわけではない。 

 M-1グランプリが終わったあと、マヂカルラブリーさんのネタが「漫才かどうか」という議論が行われましたね。
僕個人の意見としては、本人たちが「漫才」といえば、マイクがなくても、何人でやっても、しゃべってなくても漫才だと思います。なので、あれは紛れもなく漫才であり、漫才以外の何物でもないと考えていますが、ここでは一旦その話は置いておきます。

 僕が今回する話は「みんな漫才が大好きなのにわざわざ傷つけなくても」ということです。M-1で「漫才かどうか議論」が起こるということは、みんな漫才が大好きなんですよね。これは僕もお笑い好きとして非常に嬉しいことです。みんながM-1観て、お笑い好きって言ってるのは幸せです。

でも、お笑いが本当におもしろいかどうかってのは、「正直わかんない」と以前の記事で書きました。お笑いは、好みです。少なくとも我々1視聴者レベルでは。ホントは「僕は笑えなかった」それでいいんじゃないかと思います。例えば、エンタやおもしろ荘などで大ブレイク芸人が出た時、世間には(とくに自称お笑い通、中途半端にお笑い好きだと勘違いしているやつ)が「あの今流行ってる芸人、どこがおもろいの?」っていうやつ現れますよね。

 お笑いは好みだと思うので、これ自体は別にいいと思うし、(ただ、僕は以前の記事で書いたみたいに、そう言うのは怖いと感じますが、)、そもそも「おもしくない」という目線で見れば大概のものはおもしろいとは思えません。僕は、親の葬式に大好きなダウンタウンさんが漫才しにきても笑えるかどうかわかりません。これは余談で、僕の個人的な意見です、たまに「失意のどん底でお笑いに救われた」という人いますけど、お笑いを見て笑える精神状態って結構余裕あるんじゃないかと思います。

で、話は戻って、M-1でのマヂカルラブリーさんの漫才は、好みが分かれるってのは誰が見てもわかりますよね。好きな人もいれば苦手な人もいる。それは理解できているはずなのに、漫才が大好きが故に、「M-1優勝」が気に食わないんですよね。当日、お笑いのプロの人達があれを「日本一の漫才」と決めたのに、自分の好みに合わないことを「あれは漫才でない」という言い方でしか表現できない。あれを漫才と認めてしまうと、「自分は漫才が大好きなのに、日本一の漫才を面白いと思えない自分」を認めなきゃならなくなるから。

 お笑いなんて、自分の環境や、気持ちや経験でいくらでも「おもしろい」と思えるものは変わってくるんだから。お笑いなんて多様性の極みだと思います。なんでも面白いと僕は思います。僕には面白いと思えないものも誰かにとっては面白いと。だとすれば、とりあえずなんでもお笑いだし、それを「漫才かどうか」なんてくくりで僕らが区切ってもしょうがないんじゃないか。

 レコ大とった人に「あれは演歌じゃない」「あんあのJ-POPじゃない」なんて言ってもしょうがない。「今年はこの人なんだー。そのうち良さがわかればいいなあ」って思ってればいいだろ。

 今テレビをつけたらこんなにもネタ番組をやってくれる時代になってくれただけで嬉しくてしょうがない。一時期、全くネタ番組テレビでやってくれない時期あったから。漫才だろうがなんだろうが、いろんな笑いに触れる機会があることがどんなに幸せなことか!!

このお笑いブームができるだけ長く続けばいいなあ。

六龍

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