お笑いに対し「つまらない」と言う恐ろしさ。

 例えば「おもしろ荘」のような番組があった次の日、絶対にこういうやつが現れる。「みんなあれが面白いの?俺は全然面白いと思わんかったけど。」自分で書いててイライラしますね。テレビで芸人を観ていて「こいつつまんねえな。なんでテレビ出てるんや」と思うこと、誰しもあるのではないでしょうか。もしそう、思ったとしても、それを口にだしたり、どこかに書き込んだりしないほうがいいと思う。芸人さんがかわいそうとかじゃないです。それって「自分の無知さをさらけ出している」だけだから。

 まず、テレビに出ている芸人はみんな面白いです。これは間違いないです。テレビってのは、めちゃくちゃ出るのが大変なんです。たくさんの人に審査され評価されようやくスタジオで収録し、その中で面白かったごくわずかな部分が使われ、オンエアするわけです。この関門がテレビを主戦場とするお笑い芸人とユーチューバーの大きな違いだと思いますが、それはまた今度。

 「でも、俺は本当に全然面白いと思わないんだよ」と思う方もいるのでしょう。これは簡単で、「知識が足りない」のです。「お笑いって感覚的なものだと思うんだよね。」っていうんでしょ。感覚がどうやって育っていくかです。例えば、同じ人間なのに、味覚だって世界中で異なります。生魚を美味いって食べる人種なんて日本人くらいのもの。なぜかというと、小さい頃から生魚を食わされては「生魚は美味い」「寿司は高級だ」とか植え付けられているからです。もちろん、体質的に受け入れられないということはありますが。どこぞやの国ではミミズを美味しいって食べているかもしれませんし、僕はそれが美味しいかどうかなんてわかりません。

 同様に、僕はピカソの絵の良さがわかりません。なぜかというと、絵の勉強をしてきていないからです。文化は積み重ねです。平安時代の有名な画家にだってピカソの絵の素晴らしさはわからないでしょう。

 お笑いだって世界中で感覚が違うんです。アメリカはスタンダップ・コメディの文化だし、コメディ映画だってパロディばかりです。そういう文化を積み重ねてきたから。

 話を戻すと、テレビという狭い門をくぐって「おもしろい」と言われているものは、おもしろいのです。それがわからないというのは、「自分のお笑いの感覚が育っていない」ということなんです。要は勉強不足です。それを堂々と口にできたり、書き込んだりできる神経が僕にはわかりません。ミシュランの3つ星の料理を食って、「俺普段マックしか食ってないから、美味しいとは1ミリも思わん」みたいなこと、恥ずかしくて言えないでしょう。

 で、「面白い」とは別に「好み」というのがあります。三ツ星の料理だって、嫌いなもので作られていたら美味しいとは感じないでしょう。つまり、「美味しい料理なんだろうけど、自分の好みではない」ということ。お笑いにも同じことが言えて、「この芸人(ネタ)は面白いんだが、自分の好みではない」ということが起こるわけです。ただ、これはとても大変なことで、「勉強不足だからわからない」のか、「本当に好みでない」のかはお笑いの場合はかなりわかりにくい。昔おもしろいと思わなかったお笑いを、何年かたってみると面白いっと感じることってあると思います。それは、何年かでお笑いを観て学ぶことによって、わかるようになったってことなんです。

 なので、「つまらない」という表現を使うと「自分はお笑いに無知な人間だよ」と言っているように聞こえて、結果、自分が馬鹿に見えるよって話。なので、僕には「つまらない」という勇気はないです。人を「つまらない」と言える人は、それを超越してないといけないんです。「じゃあお前もっとおもろいことできるの?」って言われて、こういうやつは「俺芸人じゃないし」って言うんでしょうが。プロ野球選手は全員めちゃくちゃ野球うまいんですよ。守備が下手だって言われている助っ人外国人だって、甲子園レベルの守備は楽勝でしょう。同様にテレビに出るようなプロの芸人は、めちゃくちゃおもしろいんです。芸人さんに対するリスペクトがもっとあってもいいかと思います。

六龍

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