見出し画像

就活生のインド研修記④まずは知ること、出会うこと。そして向き合うことをやめないこと(2010年当時の記事を再掲してみる)

このnote連載は、10年分以上のGmail全削除の悔しさを紛らわすために、奇跡的にフォルダに残っていた大学3年生当時(2010年)の原稿を再掲したもものです。詳しくは下記の①②③をご覧ください。


経済面で世界から注目を浴び、成長を続けているインド。

ムンバイに10年ほど前に仕事で訪れたことのある父に、
今のムンバイの写真をみせつつ、当時のムンバイの違いを聞いてみると、
まずビルの多さが5倍ぐらい違うと思う!という答えが返ってきました。
 
実際、ムンバイの高層ビルの多さには驚きました。

夜になると、横浜のみなとみらい地区やお台場をも越える夜景の美しさです

この様子をみていると、10年後、20年後には、
東京を越える都市になっていても、おかしくはありません。
長く続く海岸線沿いに本当にたくさんのビルがそびえ立っています。
 
そんなムンバイですが、高層ビル群のたつ地域のすぐ横には、スラム街があります。
経済成長と貧富の差の拡大は、どんな国でも切っても切り離すことのできない問題です。
 
ムンバイのなかでも高級住宅街・ビジネス街とされるバンドラ地区に、
アジア最大ともいわれるスラムがあり、今回のインド研修中に行くことができました。
 
いままで、ケニアの首都ナイロビ市内にあり、
アフリカ最大のスラムともいわれるキベラ・スラムにも行きましたが、
比べてみるとまず住民が住んでいる建物の形態から違いました。
 
キベラ・スラムの家はほとんど一階建てで、
背の高さギリギリの低い家々が立ち並んでいます。
一方、今回訪れたバンドラ地区のスラムは2階建てや3階建ての家も。
アパートのような、もっと高い建物もあります。
その様子は、どうやって保っているのか、とハラハラしてしまうほど。

ごみはやはり回収されることなく、そこら中に溢れているという状況ですが、
全体的な衛生状況はバンドラ地区のスラムのほうが良いのではないか、という印象を受けました。
こまごまと建物があって、狭い路地があって、
人がたくさん住んでいる、ということはあまり変わらず同じでした。

また、バンドラ地区のスラムと一口に言っても広く、
しっかり分かれているわけではありませんが、
エリアによって、イスラム教徒の多いところ、ヒンドゥー教徒の多いところがあります。
 
したがって支持する政党もエリアによって異なり、
これはスラムだけでなく、インド全体の州や地区でも同じなのですが、
それぞれのエリアで強い政党の看板や政党旗が掲げられています。
 
このインドの政党の看板がまたおもしろくて、
政党それぞれにトレードマーク、トレードカラーを持っていて、
必ずといっていいほど、政治家の写真が大きく出ています。
これがまたすごいインパクト!
街中のいたるところにこの看板があります。
 
政党それぞれのトレードマークは文字の読めない人でも、
すぐにどこの政党がわかるようにするためだそう。
これは教育を受ける機会のない人々のためだけでなく、
たくさんの言語が溢れるインドだからこそ、のものです。
 
ひとえに「スラム」というと、すごくマイナスなイメージばかりが
先行してしまうのではないでしょうか。
 
貧困、衛生状況が悪い、暴力、ドラッグ…
 
しかし、スラムといえども、そこはもう下町のような雰囲気で、
特に怖かったり、悲惨だったり、というわけではありません。
そこでは普通に生活を営んでいる人たちがいて、
力強く、たくましく、生きています。

日本にもスラムとは違いますが、日雇い労働者の街が存在します。
日本最大の日雇い労働者の街は、大阪・西成区のあいりん地区。
東京は浅草の近くである山谷、横浜みなとみらい地区のすぐ隣、
寿町にも存在しています。
 
私も大阪・西成区のあいりん地区に何回か訪れたことがありますが、
そこでもたくましく生きている人の姿と出会いました。
 
経済的な発展の影には、貧困に苦しむ人が存在します。
それはどんな先進国でも、発展途上国でも変わりはありません。
日本にとっても、深刻な問題として存在しています。
 
この現実に出会ったとき、
私たちが考えるべきこと、すべきことはなんなのでしょうか?
 
まずは知ること。出会うこと。
そして向き合うことをやめないこと。
同情ではなく共感を。
 
インドに行って、忘れかけてしまっていた想いを
思い出せたような気がします。
 

(立教大学3年 高橋明日香)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?