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お盆には、木皿泉

私は今年の夏、木皿泉氏(作品)に出会った。

図書館派なので、話題の本をタイムリーに読める立場ではない。予約もしないので更に遅い。

が、なぜか、本棚に"2019年本屋大賞候補作"であるはずの『さざなみのよる』が置いてある。

いつものことながら、喜ぶ前に、嘆きがくる。
活字離れ、深刻だな。。。
でも、嬉しいから借りる。

ナスミは末期ガンで、第一章は、病室の彼女の一人称で始まり、彼女の最期をもって第一章が終わる。

末期ガン、生死、桜…多感な乙女なら秒で号泣設定。元乙女なのと第一章なのとで 、しんみりしつつ次の章を読み進める。

ナスミ、意外と破天荒。

生死に関わらず、私自身よりも、私と会った人越しにみる私が、"私"や"私"との記憶を形成していく。

"私"とはなにか。少なくともナスミは、「こいつに、私は、こういう風に影響を与えて、私のことをこう思い出してほしい」と思って、行動はしていない。

"私"を生きているだけで、人は、多くの"私"に影響し、影響を受ける。

つながりや生死をテーマにした小説の多くがクリスマスディナーなら、木皿氏の作品は平日のランチぐらいの軽さをもつ。軽いけれど、腹にたまる。

も木皿氏の初小説といえど、故人を取り巻きながら、それぞれの生が描かれていて、面白い。

お盆に迎える方が明確にいる人には、木皿氏作品がいい。

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