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いじめとイジリの紙一重

大前提を先に書いておきます。僕はいじめや差別等のその人の人格や存在を否定する行為には断固として反対です。それを予め踏まえて。

こんばんは。今回は僕の経験したことを元に自分なりに思うことを書いていこうかと。

僕は小中の頃と、よくイジられていました。主なイジられ方は僕の肌の色について。
というのも、僕は純日本人なのですが、陽に焼けやすく地黒だったこともあり、春夏秋冬問わず、そして特に夏場、僕は基本的に良く陽に焼けた少年でした。
僕は以前もnoteで書きましたが屋内競技である剣道をしていたので、例えばサッカーや野球をしている子が日焼けしているのとは違う見られ方をしていたようです。
イジり方は様々でしたが、よくあだ名を付けられていました。
それは黒人のスポーツ選手の名前で呼ばれたり、海外の原住民族や部族と呼ばれる方々の呼称で呼ばれたり。


色黒というだけでゴキブリ呼ばわりされたこともありました。

そして先に書いておくと、僕は自分がそういう風に呼ばれたりすることを"いじめ"だとは感じていませんでした。

僕はいじめられた経験は無いのであくまでも僕の考え方ですが、例えイジりのつもりで相手に言葉を投げかけたり、手を出したりしたとしても、受け取った側がそれを辛い、嫌だ、それが原因で学校に行きたくないなどとなればそれは立派ないじめだと考えます。
いくら周りがそれらをイジりだと言い張っても。

何気ない言動で人の心は簡単に傷つきます。
時折、どこかの中学生や高校生がいじめに耐えかねて自ら命を断つといった悲痛なニュースを見かけます。

よく聞く「いじめてるつもりは無かった」や「いじめられる側にも問題がある」という言葉。


そんな訳あるか。

先述した通り、いじめかイジりか決めるのは受け取り手次第です。
いじめられる側に問題があるという発言はもう論外です。


いじめとは大体自分より下に見てる相手に行う行為だと思います。
学校にはカーストとは言わないまでも、少なからず序列が生徒達の間にできていると思います。
その序列を上下とするのも本意ではありませんが、実際それが現状だとも思います。
その序列で上と呼ばれる者が下と呼ばれる者に心無い言葉を投げつけたり、時に暴力に及んだり。
全ての人間がそれを跳ね返せる程強い訳ではありません。
それはもう充分いじめと呼ぶに値すると思います。

これから書くのは僕が受けていたイジりをいじめにしなかった、させなかったやり方です。

僕はあだ名でイジられたりした時に笑いに変えていました。わかりやすく言えば「ツッコミ」をするのです。
例文
「お前プロ野球の〇〇みたいやな」(〇〇とは黒人の選手)
僕「いや、誰が巨人の4番や!」

こんな感じです。
友人達は笑っていました。
あくまでも僕が取っていた方法です。なので僕以外の人のあらゆる場合に対応出来るとは限りません。
根本的に僕のことをイジってくる人たちのことを僕は嫌いではなかったので、ただ単にいじめではなく、イジられてるのだとしか思っていませんでした。
時にそのイジりは度を越していたとも思いますが。


例えばトイレに行って自分の机に戻ったら筆箱の中身がゴミ箱に捨てられていたり。
給食を取り上げられ、その日たまたまメニューにあったみかんを8個与えられて、お前の今日の給食これだけねって言われたり。
取り上げられた給食がどうされたかは覚えていませんが、僕も意地になってその日の給食はみかん8個だけを食べて過ごしました。
端から見れば時に、いじめにも見えたかもしれません。


担任の先生から「いじめられてない?」と聞かれたこともありました。

僕の回答は「イジられてはいますが、いじめられてはいません。大丈夫です」

あの時僕がいじめられてますと答えていたらそのクラスメイト達はどうなったのか。それはもう知る由もありませんし、何度も言いますが僕はいじめられてるとは思っていなかったので。僕が大丈夫だったのだから大丈夫なのです。僕はイジってくる人たちのことを友達だと認識していたので。

全ての小中高生に伝えたい。


自分は人のことをイジることがあるなと思う人。
今一度自分の胸に手を当てて、自身の行為を振り返って下さい。
言い過ぎてないか。
度が過ぎてないか。
仮に何か相手に言葉をかけた時に相手はどんな顔をしているか。


逆に自分はイジられることが多いなと思う人。
反発の声をもし出せる勇気があれば、自分が受けているこの行為は嫌だときちんと伝えましょう。
それで仮に周りから無視されたりしても、そんな連中と無理してまで付き合う義理はありません。
その中の大抵の人間とは卒業すれば縁を切れますから。

イジられるのを直接嫌だと伝えるのが怖かったり、友人関係を壊したくないと思う人。
誰でも良いです。大人を頼りましょう。
できればその学校の先生が望ましいです。
そうすれば然るべき対処を取ってくれる筈です。
もっと言えば無理して教室に行かなくてもいいと思います。
保健室登校という方法もありますからね。


いじめられている自覚があり、辛いという人。
ごめんなさい。僕の経験不足です。具体的な対処方法は先にも書いた通り大人に頼るのが1番だと思いますが、いかんせんいじめられた経験を僕はしていないのです。
ただ、あなたが自ら命を断つ必要は絶対にありません。というよりもそんな方法をとって欲しくありません。
必ず生きていく方法があります。
きっと僕には想像し難いような苦しい思いをしていることでしょう。
それでも、あなたが生きていることを望んでくれる人はいます。
僕は僕であり、あなたはあなたです。
あなたなりの生きていて楽な方法を探しましょう。

そして、自分が弱い者いじめをしている自覚がある奴。
人生一から出直してこいと直接言ってやりたいところですが、そういう人間はこの記事を読まないでしょう。
あと、乱暴な文を書きたい訳ではないので。
仮に読んでいるとしたら今すぐその行為をやめてください。
もし相手が命を絶ったら君は責任をとれるか?
自分の人生が狂うんですよ。
そりゃそうでしょう。
人の人生狂わしたんだから。
そんなことしておきながら自分はのうのうと生きられるなんて甘い考えは捨ててください。
だから自覚がある今の内にやめた方が賢明な判断ですよ。


今回の文章はちょっと言葉遣いが荒々しい部分もあったかと思います。ご不快な思いをされた方、申し訳ありません。ちょっと感情的になってしまいました。
今回この記事を書こうと思ったきっかけは、母親の職場で日焼けしている方が"ごぼう"と呼ばれていて、なんか可哀想だったと母が僕に溢したからです。
そう呼ばれている当の本人もその呼び名に慣れているらしく、上手くあしらっていたそうです。
学生を終えて、大人になってもそういうことはあるのです。

どうすれば世の中からいじめが無くなるのだろう。自分の子どもがいじめをしている場合、子どもだけの責任ではありません。
いじめは良くないという当たり前のことを教えるのは学校だけでなく子育てをする中で親の責任も充分あります。
寧ろ義務と呼んでも差し支えないでしょう。
自分の子どもをいじめっ子にしたくはないでしょう?

母はひろきも昔肌の色で色々言われていたなあと思ったらしいです。その話を聞いて、僕の経験談が少しでも役に立てば、と思い立ち書き記した次第です。

全ての子ども達に少しばかりの勇気を。
子どもだからという線引きで終わらせないことを。
いじめや差別といった人の人格や存在を否定する行為が無くなることを。

僕に出来ることは現時点であまりありません。
不甲斐ない限りです。
僕にもっと影響力があれば。
それで世間が変わるとも限らないのですが。

少しでも楽しい学校生活を全ての子ども達が送れることを切に願うばかりです。

ひろき

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