見出し画像

~2023年9月のこれまでの経緯~

さて、現状を今回は整理していこうと思う。時系列に沿って、9月に入りどんなことが起きたのか自分なりにまとめていく。

時系列に無機質に…。


▼ 9月1日

大学病院に入院して、既に100日が経過している。

転院に向けてスケジューリングを行っていたが、転院先の地元病院でコロナの院内感染が起き、しばらく病棟閉鎖という事態が起こった。

それに伴って、私の転院の予定も1週間ほど先延ばしになってしまった。

外部環境要因なのでこの辺はやむを得ないという一方で、日々の体のチェックの中から以前の病巣である皮膚の一部に本当に僅かながらしこりの様な感触を見つけたのもこの日である…。

いや、しこりなのかただ単純に何か虫刺されのようなものとしても捉えることが出来る程度のほんの僅かな違和感…という程度である。

ちなみにこの日は退院に向けてPETCTを撮影することが予定されていたので、その結果を見れば如何せん何かしらの事実が分かると思っていた。

結果は『特に体の中に何か悪いものがあるという判断はされなかった=寛解維持』であった。

まぁ一安心というところで、あとはいつ具体的に転院が出来るかどうか地元の病院の病棟閉鎖の解除を待っていた。

▼ 9月8日

転院の日にちが決まり、大学病院を去ることが決まったのがこの日である。

その中で「転院先の地元の病院には皮膚が存在しない」ため、念には念を入れて皮膚の一部を生検することとなった。

GVHDの可能性もあり、転院した後だと調べるのに大きな手間と時間が掛かるからとのことであった。皮膚の数か所を切除し、結果は地元の病院に戻ってから受けるということになった。

1週間前にペットCTで特に大きな影響がなかったことから『あくまでも念のため…』ぐらいにしか思っていない自分と『小さな違和感を抱えた』自分は、この時点で少し葛藤をしていたのかもしれない。

▼ 9月11日

次の日に転院を控え、大学病院を去る当日である。片道4時間半以上かけて、もう高齢の両親が妻と一緒に迎えに来てくれた。

医師との面談においても悪性リンパ腫についての話ではなく、免疫や感染症の注意事項などが中心の説明であったことから、ある程度自分は『寛解』というニュアンスで事が進んでいたのは間違いなかったと思う。

管理栄養士からも栄養指導で色々細かいこと言われ「退院しても全く自由ではない」などという印象を受けて、大学病院を後にした。

次の日にはまた地元の病院にしばらく入院をして『自由がまだ効かない左足』や『回復しない食欲・体重』そういったもののケアが行われる予定であった。

だが、自宅に帰ってきてしばらくして地元病院の方から電話があった。

再び院内でクラスターが起き、前回よりも規模が大きいためスタッフの不足なども懸念されるとの連絡であった。

さらに言うと入院することによるメリット、デメリット、自宅でそのまま過ごすメリット、デメリットを勘案したところ『自宅に待機していた方が良いのではないか』という判断が医師からされそうであった。

電話で色々と話をした中で、現在の体調を判断した上で入院かどうかを決定する旨を連絡を受け、次の日外来として病院に行くことが決まった。

▼ 9月12日

病院に着くと、採血を始めとしてエコー検査やCT検査など多くの検査が行われた。時間にして3~4時間の検査である。

全ての検査を受けて主治医との面談に入ったがデータ上は特に問題はなく、私と話している印象も『想像以上に元気である』という評価であった。

以前にも書いたかもしれないが、本来の私の状態は『生きているのが不思議なぐらい』という評価をされていた時期があるので、そこから見ると杖をついて歩いていようが慢性的な腹痛を抱えていようが『充分元気』だと医師の目に映っていたのかもしれない。

さまざまな聞き取りや調整が行われた後、入院のデメリット(この場合は病棟内で感染症をもらうリスク)が最も重たいと判断され、一週間程度自宅で様子を見て再度また診察を行うという結論が出た。

この時点で皮膚生検の結果はまだ届いておらず「来週には出ているかもしれない」といった説明を受けていた。

▼ 9月21日

この日も採血を始めとして、様々な検査が行われた。

恐らくしばらくは外来の度に大掛かりな検査を行ない、私の体調をみていくのだろうという予想がついた。

費用は掛かるが、健康には代えられないと自分に言い聞かせていた。ちなみに検査結果は『問題ない』という判断であった。

もちろん通常のごくごく一般人から見ると、数値としては低いものや気になる部分があるのかもしれない。あくまで私の病状からの回復具合を見ていると問題ないというニュアンスである。

私の体調は、一般人の体調とは比べ物にならないぐらい悪い。

そして皮膚生検については「まだ連絡が来ていない」と言うことであったので、再び2週間後に外来に来るようにという指示を受け病院を後にした。

だが、その日の夜に医師から直接電話があった。

生検の結果が届き『再発』だという連絡を受けた。そして「明日また来てほしい」とのことであったので再度病院に向かうこととなる…。

▼ 9月22日

皮膚生検の結果を医師から直接聞く。この日は検査などは行われない。

3度目の再発であり『もうこのがん細胞はそうそう私の体から消えない』ということが如実にわかった。

今後の対策としていくつか方法があるとのことであったが、従前の考え方として『治す』という方法ではなく『生きる』という方法がとられる様に感じた。

少し細かく見て書いていく。

まず行われるのが現在服用している『免疫抑制剤』をやめることである。

弟から免疫を移植してもらっており、その免疫が私の体を異物だと判断して攻撃するいわゆるGVHDを抑制するために現在は免疫抑制剤なるものを服用している。

その日々服用している免疫抑制剤を中止することで、私の体のがん細胞を攻撃する足かせがなくなるわけである。

免疫に対して現在暴走しない様にブレーキをかけているのだが、そのブレーキを外すというイメージであろうか…。

これにはリスクも当然ある。弟の免疫から見ると私の体の健康な細胞や臓器も異物である。私の身体そのものを免疫が攻撃するという可能性も当然あるわけで、どうなるかはやってみないと分からないということも事実としてある。

2つ目は『治す薬』ではなく『がん細胞をある程度押さえ込む薬』の服用である。

どちらかというと私のがんの種類は「高齢者に多いタイプ」ということもあり、体力的に厳しい治療に耐えられない人向けのいわゆる延命の際に使われる抗がん剤を使用するというものだそうだ。

いちおう年齢が若いということもあり、従前からは『治す』ことに主眼が置かれた治療であったが、今後は『病気をコントロールして行く方向』になるかもしれないということであった。

だがこの薬も万能ではなく、3~4割の患者にしか効かないものもあるといったニュアンスの話であった。再三の治療にも関わらず再発している私のがん細胞は相当しぶといものであり、薬の効果は限定的であろうという見方がどうやら強そうであった。

最後に『再移植』という方法である。

移植を複数回行っている人もSNS上で拝見するが、これは現実的には私には当てはまらない様であった。

理由としては今回の移植で著しく体にダメージが蓄積しており、もう内臓が移植には耐えられないだろうという見解であった。

こういった様々な話を聞きながら、とりあえずは免疫抑制剤を服用を止めて1週間後に体の状態をチェックするという方向で話が着地した。

▼ さいごに

時系列という規則性に則って無機質にここまで起きたことを書くことにしたのだが、感情的な部分を前面に出して文章を書くと、正直自分でも何を書いているか分からなくなってしまった。

今後のNoteはもう少し落ち着いて感情的な部分も書いていければいいと思う。

…今は手あたり次第「何か」をしているのだが、黙っていると気が狂いそうである。しばしの乱心を許して欲しい。

個人ブログも更新しましたので、よろしければ。
今回は『人間心理』のカテゴリーです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?