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~もう少し、元気に過ごすために~

病院生活は、退屈だ。不自由だ。早く帰りたい。

ただ、ずっとそう考えていると病んでしまう。

集中治療室で体中管だらけで横たわり、食事も排泄も全て人任せの自分を経験しているからこそ、今の自分は『自由』だと感じられる。

パズルの足りない部分を探すのではなく、足りている部分に感謝することは私の矜持の一つであるが、現状を理解して少しでも元気に過ごすための工夫や思考を少し書いていきたいと思う。


▼ 食事の『正解』は難しい

『食』に関する情報は実に様々である。時代によって賞賛されていたものが、否定されることもありその取捨は非常に難しい。

・ ○○を食べる、食べない
・ 炭水化物…いる?いらない?
・ 食べ合わせ、食べる順番

この辺りだけでも情報は混沌としており、具体的な正解を見つけることはほぼ不可能であると感じる。それならばと『抽象化』をかけてある程度の方向性を示したいと頑張ってみたが、抽象化すら難しい。

『抽象化』とはいわば『共通点』を探す行為(具体的は逆に『特異点』を探すことになる)であるのだが、情報が相反することもあるため一向に進まない。

白米を悪者にしてみたり、小麦を避けてみたり、そもそもコンビニに売られている製品を全否定したり…と厳密にやっているとそもそも食べるものが無くなる。

食べることを否定することも一考ではあるが、治療の中ではそれが「正」ともなっていないのでこのままでは無駄に疲弊してしまう危険性を感じている。

結局は自分に合うかどうかであるし、一長一短なので極端に制限はせずに(あまり気にせずに)食べられるものを食べる…という月並みな結論に逃げざるを得ないのが残念であるが、それが現状の答えになる。

いちおうインスタント食品や清涼飲料水は入院してからはあまり摂っていないのではあるが、それがどうこうということでもない。

深く考えない…というのも才能なのかもしれない。

▼ 「何もしない」時間の肯定

入院生活は時間が余りがちである。無為に過ごすことも出来るが「それではいけない!」と躍起になっても、体も頭も追いつかないことも大いにある。

この辺もある程度自分の中で許容していく必要があって、アクセルだけではなくブレーキもしっかりと使うことが大切である。

非生産的な日常もあるのだ。

体調やモチベーションに生産性はどうしても左右されるし、むしろ身体の声を聞くことの方が大切とも言える。

病人が病室で最もすべきことは休息、治療なのだから本来は病人らしくしていれば良いのであるが、自分の性格上少しそれが難しい所があるのが面倒くさい人間である。

イロイロな考えを巡らせる中で『何も出来ない自分をそこまで否定しなくてもいい』としっかりと意識して、余計な負荷を掛けない様に務めていきたいものである。

▼ 『夢中』で現実から逃げない

何かに「没頭」することは決して悪いことではない…と自分では思っている。没頭や夢中は大きな価値を生むし、没頭や夢中が出来るモノを見つけられることは幸せであるとすら考えている。

一方で「没頭で考えるべきことから逃げてはいけない」とも同時に自分で認識していることに気付いた。これは今回の入院の成果であるかもしれない。

「病気」や「死」について考えがちで苦しくなる自分を何かに『没頭』させて遠ざけることはとても良いことだと思う。反対に『没頭』によって自分が成すべきことから逃げているのかもしれない…という考えに至った。

『没頭』や『夢中』の主体はどうしても『自分』になりがちだ。しかし、残された人たちへの礼儀を尽くすことも大切ではないかと気づかされた。

私は「エンディングノート」から少し逃げていたかもしれない。

エンディングノートについては、自分の病的にある程度準備しなければいけないとは思っていた。ただ、それを進めることは自分が「間もなく死ぬ」ことを肯定してしまいそうな気がして、どうしても気が進まなかった。

時々ふと浮かんでくる「エンディングノート…」という囁きに、私は『没頭』で逃げてきたのかもしれない。考えない理由に『夢中』を使っていたのかもしれない。

だが、妻から「言いにくいんだけど…」という枕詞の下、エンディングノートについての話題が出た。…私は悪い気は全くしなかった。

むしろ、どれほど勇気のいることをさせてしまったんだろうと申し訳ない気持ちになった。

自分が逆の立場であったら出来ようか…いや出来ないかもしれない。

繰り返しになるが『没頭』や『夢中』は素晴らしいことである。それを今疑うことは私には出来ない。

一方で「『没頭』や『夢中』によって目を背けていたことがあるのではないか」という気持ちが、今回の入院で得た新しい視座である。

▼ さいごに

このNoteは、多少ながら私の宣言も含んでいる。

エンディングノートを完成させる…ということである。後ろ向きではなく前向きに、大切な人に向けてしっかりと残すべきモノを残さなければいけない。

お金は…そんなに残せそうにない。申し訳ない。

ただ、思い返したくなる『思い出』や『記憶』、残された家族が困らないような準備を残すことは少なくとも今の自分にも出来ると悟った。

生きることを否定はしない。全くしない。

だが、死ぬことも否定してせずにこれからを過ごしていこうと思う。私は今、身体も頭も動かすことが許されているのだから…。

ろくさん


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