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~リンパ輸注の経過と効果~

リンパ輸注の実施から現在へ至るまでを、簡単ながらまとめていこうと思う。人によって効果や副作用は様々なので、一つの参考例としてもらえれば幸いである。

現時点で感じることは、過去の治療と比較すると「ある程度穏やかだった」という感覚である。

これが「効果」や「ミライ」とどう関係があるかは…残念ながらわからないのであるが…。


▼ 入院開始と初回投与

私が大学病院に入院したのは、2月15日になる。予定としては2月19日に弟からリンパ球を採取し、同日中に規定量の1/10を投与して経過観察をすることになっていた。

スムーズな投与に向けて、地元で出来る限りの検査が行われた。胃カメラや大腸カメラなども実施され、ほぼ大学病院に入院すれば何もない状況…のはずであったが、やはりなんやかんや幾つかの検査も行われた。

そして2/19を迎えると、弟からリンパ球を採取してそのまま冷凍保存せずに私に投与が行われた。弟とは話をするどころか、顔を合わせることもなかったが、感謝の気持ちだけはその日の夜に伝えた。

そして、元気になってから話をしようと約束をした。

それほど難しいことはなく、アレルギー対策の点滴をした後にリンパ球を同じく点滴で投与された。

▼ 経過観察と放射線開始

そこからは特に行動制限もなく、経過観察が行われた。

・ 身体に変化はないか
・ 体温や血圧に変化はないか
・ 何か気になるところは出てきていないか

この様なことを日々確認されるが、規定量の1/10の投与ということもあり、そこまで大きな変化は感じられなかったと記憶している。

以前の治療から残っている味覚障害や軽めの湿疹、体重の停滞といったところにもそれほど変化はなかった。

記憶に残っている中で印象的なのは、治療方針が何度も変更・修正になったことである。治療自体が前例が少なく、確立されていない部分もあるのでこれはやむを得ないとは思う。

規定量のリンパ球の投与のタイミング、放射線の照射回数、経過観察の期間などが度々変更になった。

リンパ球の投与も1回で終了すべきか、2回目も検討すべきかについては私の意見も求められた。再発の場合にリンパ球輸注を再び行うとすると、地元では実行出来ないことを説明され、何度も離れて入院する負担を考慮して「せめて2回は輸注をして欲しい」と依頼をした。

地元で入院をして治療が出来るなら、1回での退院を望んだと思う。この辺は治療を受ける状況等で、変わることがあり得ると思う。

▼ 1回目の基準量投与

前回の1/10投与から2週間後、3/4に2回目の投与(基準量としては1回目)が行われた。

自分の残した記録メモからすると、変化はあるが「予想よりも少ない」という印象を持った。

倦怠感や吐き気、湿疹や38℃程度の熱が1週間程度続いて食欲も更に落ちた。ただ、抗がん剤を使用していないことや放射線照射が『足』という部分的なモノであったことから、感想としては想定よりやや下という印象であった。

実際カコにICU入りしたり、意識を失ったり、医療麻薬で痛みを抑えたり、43℃という高熱が体温計に表示されたり…という状態を基準にしてしまっていた部分があるので、そこと比べてにはなってしまうのであるが。

GVHDについても、まぁ反応があったのだが

①効果アリ、副反応ナシ
②効果アリ、副反応アリ
③効果ナシ、副反応ナシ
④効果ナシ、副反応アリ

という羅列の中で、④は論外として、③であるくらいなら②であって欲しい。とは思っていたので特に気にはしていなかった。

▼ 2回目の基準量投与

2回目の基準量投与は、前回の投与から再び2週間後の3/18に行われた。1回目と同じ様な副反応が、1回目以上に起きるのではないか…?と思っていたが、逆に反応は減っていた

早朝と就寝前に人の少ない病院内を徘徊散歩することを、運動の日課としているのであるが、基準量1回目の投与の後はその歩数がやはりしばらく減少した。

解熱剤も毎日のように使用したこともあり、その様なことを想定したのであるが、2回目の基準量投与後には1回目よりも熱は上がらなかった。37℃台の推移で、散歩も多少強引には実施出来た。

①効果アリ、副反応ナシ
②効果アリ、副反応アリ
③効果ナシ、副反応ナシ
④効果ナシ、副反応アリ

どうしても副反応が少ないと、③を想定してしまうのであるが副反応があるからと言って②であるとも限らない。

理想的な①かもしれないし、最悪の④かもしれないという不安は拭えない。

左ふくらはぎの幹部の腫瘤は、結論だけ言うとほぼ消失している。ただ、これがリンパ輸注による免疫の効果が強いのか、放射線の影響が強いのかも結論付けることは出来ない。

再発のミライももちろんあり得る中で、あとはどう生きていくかを考える必要があるだろう。

▼ さいごに

前回の入院の時の状況について、日が経ったこともあるのか少しずつ話を聴くことが出来た。…というよりも、やはり気を遣って話せなかったことがあったんだと改めて思う。

リハビリの担当者は、血液系の疾患者を専門に対応しているのだが、よく「やり過ぎです」と指摘を受ける。

今回の入院中の散歩徘徊も、正直に言うと1日8,000歩(約5キロ)は体調を考慮するとやり過ぎだと言われたりもする。

ただ、「自分の中のリハビリの常識から外れている可能性もあるので、くれぐれも無理だけはしないで欲しい」と途中から少し指導が変わったタイミングがあった。

理由として大きいのは血液病棟の患者がICUに入ると、片道切符なことがほとんど…と言うことであった。

年齢や症状もあるので一概には言えないが、血液がんの患者のICU行きはほぼそういうことだということで、生還した私…さらには痺れはあるにせよ歩いている私は既に常識外であるそうだ。

そんな話も前回の入院時は出来なかったそうだが、時間も少し経過したので話してもらえた。

あらためて思うことは、退院が叶ったとしたら本当に自分のやりたいことをしようと思うことである。

「いつか~したい」という猶予は、もう残ってはいない。

今を生きている奇跡に感謝し、自分に携わる人に恩返しが出来る様に時間を使いたい。

再発をすれば、それはそれである。自分でコントロール出来ないことに悩むのではなく、自分でコントロール出来ることを精一杯やろうと思う。

今回の入院中に『自分』を見返して、自分にとって不要なことや必要なこと、やりたいことなどを多少整理した。

私にどれほどの時間が残されているかは分からない。ただ、多くの人から与えてもらったこの大切な時間を、無駄にしたくないという強い気持ちは今ここに間違いなくある。

ろくさん


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