書き手の信条と読み手の心情
まずこちらの記事を読んでいただきたい。
非常に良い事が書かれていた。7年前だろうか。その頃から私が思っていた事で、ここ最近より強く思っていた事と同じ事が書かれていた。同じ事と言っても私が勝手に同じだと感じただけで、実際はズレているかもしれないが。
これは表現者が、作品を作る制作者がまず意識しなければならない信条であると思う。
高校生の頃、稚拙ながら部活で小説を書く際はこの事を念頭に置いて、執筆をした。
「全ての表現物には誰かを傷つける「棘」がある」
本当にコレ!!
「『ありがとう』という言葉さえもどこかの誰かを傷つける」
昔そんな文章を書いたと思う。同じ事を考えている方がいた!
『フィクション』についての考え方もそう
映像作品を見て批判する人はSNS社会で多数見受けられるようになったが、ここを分かってない人が多いように思う。
簡単に言えば寛容さが足りないのではないかと。
その人の "普通" が "世の全て" とは限らない。嘘に見えることが本当にあることで、本当のようなことが嘘だったりする。それが "リアル" というものではないか。
だから「これは嘘っぽい」だの言って何でもかんでも自分の思う "普通" に当てはまらなかっただけで作品を批判するのは違和感を覚える。そこは広い心を持ってなるべく多くの作品を評価していきたいと私は思う。
Φ
ここで出すにはあまり良い例ではないかもしれないが、
「ネタツイ」と呼ばれるものがある。
昨今のネットや世間を騒がすニュースを見ていると、それが嘘か本当か分からなくなる事柄が増えてきていないだろうか? 誰もが一度は何かに騙されたり、もしくは騙されたことに気付かないまま生活してはいないだろうか?
真面目な顔して信じると「これネタだからww」と言い返される。それが追い風となり、より一層現実と虚構の境目の区別がつきにくくなってきているように思える。
ディープ・フェイクなんてものが流行る時代、無理もないかもしれない。
現実的じゃないから、キャラがブレてるから、と安直に批判されている人を見ると、
嘘っぽいけど自分が知らないだけでそういう事も有り得るのではないか? そういうことが有り得た場合の世界の物語、としてどうか この世のあらゆる作品をもっと寛容な目で見てはくれないか、と思ってしまうのは私の傲慢か。
結局、自分は自分。他人にはなれないのだから......。あっ!
(以上)