或る犬の一生 【下】

動物の生命力は凄かった。

自身の体調が苦しくても、愛犬は家族の危機が落ち着くまで、ちゃんと僕らを見守り続けてくれた。

この家の一員として加わった役目として、感謝の意を込めた使命として表現してくれた。

脚には膝など不調があったが、身体の内臓などは健康な方だった。

しかしながらロビンが9歳の時、じわじわと不調が襲ってきた。

いつになく、かなり咳と頻尿が続いたので掛かりつけの病院へ受診すると、意外な事実が解ってしまった。

ロビンは心臓病だった。
その合併症で腎臓の機能が低下し、気管支や排泄器官がおかしくなっていたらしい。

おそらくストレスだろう。
犬に加減しろと言っても無理な話だ。いつの間にか蓄積し、あの小さな身体にかなりの負担を掛けていたようだ。

家族の動揺は隠せなかった。
両親は何よりも心配し、ロビンの食事なども気を付けるようにした。

ただずっと不調な訳ではなく、波があった。
病気だからと言っても犬にとっては関係ない。心臓病とは思えないほど元気だし、よく食べるし、遊ぼうと言っているように玩具をくわえて持ってくる事もあった。
心臓に疾患はあるが日常生活は普通に過ごせたのがまだ救いだった。

散歩も行かないと運動不足で肥満となり余計に身体に良くないので、週に何度か短いコースで行っていた。

通院には月に2回ほど行っていた。
病院の医師からは正直なところ、今後は分からないとの判断だった。いつ症状が悪化して重篤になってもおかしくないと。

油断できない日々が始まった。
ちょうど秋から冬へ寒さが増してくる季節だった。

**

愛犬の不調が出始めたほぼ同時期、重なるように家族にとっても試練が訪れた。

嫌な事は空気を読まず、嫌な時に重なる。

簡潔に言うと、遺産で残された土地に関するカネの問題だった。

僕の祖父が資産として遺した土地が2ヶ所あった。
その内の1つが借地権としての所有だった。その借りてる期間が 3ヶ月後に満了となる時期だった。

実家から程近い土地で、古い建物が建っていて特に居住地としてではなく、駐車場として所有していた。
所有主は地元のお寺だった。住職とも知り合いで祖父の代からの付き合いだった。

祖父は父親の秀一が22歳の時に病で亡くなった。
まだ当時、秀一は大学生だったが、祖父が始めた商店は秀一が継ぐことになった。
他にも兄妹はいるし祖母も健在だったが、長男だからという理由で学生だった日々から突如として経営者の人生を歩まざるを得なくなった。

祖母やまだ学生だった妹二人の世話と従業員が居たこともあり、秀一は必死に働いてきた。

祖父が遺した土地の別の1つが杉並にあった。
今となっては高級住宅地のイメージだが、昔は何もなく、祖父がどういった経緯でその土地を買ったのか不明だが、価値あるものを遺してくれたのは有り難かった。
しかし、維持や管理は大変だった。それも秀一が全て行っていた。
そこも駐車場として他に貸し出していた。その収入もあったが駐車場の全て埋まるほどの稼働率ではなかったので、あまり見込めなかった。

借地の更新料は500万だった。
これでも懇意にしていた故の値段らしい。不動産屋が間に入ってもらったが、相場よりも安いらしい。

個人経営の商店ではなかなか現実的ではない金額だった。
もちろん、まとまった資金が無いわけではなかったが、当時はあまり商売の方も売り上げが悪く厳しい事には変わりない。
祖父の妻であり秀一の母親でもある祖母が何とかするか、もしくは折半くらいに秀一は思っていた。

しかし、祖母は自身の今後に不安を感じたのか、そんな大金は無い・出せないの一点張りだった。

秀一からすれば助けてもらえない・裏切られたような感覚だったと思う。

当時は車を2台所有していてそれを置く場所を探すか車を1台売るか。
車の運転が好きで自分の稼ぎで手に入れた車を、親の遺した土地の為に消えてしまう気持ちを慮ると、悔しさが残る。

資産状況は分からないが祖母が金を持ってない、訳がなかった。
祖父が亡くなった時だって残しているだろうし、何より世話などは秀一が見ていて祖母からは世話代や食費代など一切渡されたことはないから、そもそも出費が無い。
贅沢している様子もこだわった趣味も特に無かった。

店の経営状況・借地をどうするか・500万を用意できるか・親と兄妹は助けてくれない、など様々な要素が秀一を次第に追い詰め、とうとう秀一は鬱状態になってしまった。

そこに愛犬ロビンの不調も重なった。


幸いロビンの体調は持ち堪えていた。
静かに過ごしていれば至って普通だった。
たまに苦しそうに咳き込む時があったが、なんとか処方された薬を飲ませて落ち着かせた。

飼い主とペットは似てくるとのか、どこか同調するようになるのか。
飼い主の元気が無いとペットにまで伝染し、まるでシンクロしているようだった。

秀一の場合、祖母が金を出せばそこで済む話だった。
祖母が渋った為に、色々とややこしく拗(こじ)れた。

秀一が日に日に暗くなりこれは危険だと感じ、妻の薫と長男の涼太がメンタルクリニック(心療内科)に連れていった。
早めの対処と、とにかく不安から来るストレスで眠れないのが悪循環を生んでいたので、それは処方薬で何とかなった。

一連の件が収まれば、秀一の体調も戻るはず…


そう信じ、僕ら家族は団結した。

ロビンの体調が気掛かりだったが、妻・子供3人と愛犬の存在が秀一にとって何よりの助けとなった。

***

結局、借地権の方は更新しなかった。

車を1台手放し、土地に建っていた建物の解体費用に充てられた。

そのタイミングで杉並の土地の方も議論になった。

秀一の親もそうだが、秀一の兄妹が言い出した。
管理や維持費用は一切しなかったのに、まとまった金を欲しさに急に首を突っ込んできた。

やはり有事の時、特に金が絡むと人間の本性が現れる。
今まで面倒で一切何も興味を示さなかったはずなのに、土地を売却するとなったら兄妹で均等に分けるべきだと主張してきた。

もちろん僕は話し合いなどの場にはいない。母親の薫でさえ部外者扱いだった。
あくまで想像だが、秀一以外は姉と妹2人と母親なので女性同士で固まり、秀一は押し切られる形となった。

これも祖母が一言、兄妹に言えば済む話だった。

秀一が20年以上1人で管理し、維持して手続きなども全て行ってきた駐車場なのだから、労いの意味も兼ねて多少の便宜はするべきだと。
そんな一言があればすぐに終わった話だというのに、祖母は特に何もしなかったし、言わなかった。

言い方は悪いが、秀一以外は本当に駐車場の事など放置だった。
売って金にすると決まった瞬間に口を出してきた。

土地は中央線沿線の駅から5分以内にあった為、大手の不動産会社がすぐに名乗り出てくれたので買手はすぐに見つかった。それもかなりの高額だった。

色々揉め事は尽きないし、秀一にはかなりの見えない苦労があったが、祖父が遺した資産は秀一の心にゆとりを持たせてくれた事は確かだった。

一連の土地問題が終わりに近づくにつれ、次第に秀一の体調は戻ってきた。

この問題には約7ヶ月程の時間を費やした。
10月頃に始まり、杉並の土地が売れたのは4月の上旬だった。

その間、比較的ロビンは大人しかったし、症状も落ち着いていた。変わらない日常を家族と共に過ごしていた。

もしかしたら、ロビンなりに大好きなご主人様を気に掛けていたのかもしれない。
そんな風に思う事が多かった。ロビンは問題が終わるまでずっと秀一に寄り添っていてくれたからだ。

病んでいる時だからこそ、愛犬の存在は秀一には気が紛れる欠けがえのない支えになっていたはずだ。

****

やっと落ち着いた日常が戻ってきた。
4月も下旬になり桜は散ってしまったが、暖かく新緑が眩しい季節になってきた頃だった。

秀一はだいぶ元気になってきた。無事に土地関係の手続きも進んでいた。

だが、ゴールデンウィークに差し掛かった頃、ロビンの呼吸に異変があった。

病院にすぐ連れていき、検査すると肺に水が溜まり呼吸困難になっていた。
水を流す薬を投与してもらい、取り敢えずの応急処置だったが、以前よりも危険な状態だった。

その日以降も体調はあまり良くなかった。
それでも口を開けてこちらを見てくるあの顔は、笑っている様にしか見えなかった。

その頃は僕は仕事の都合で実家を出ていて、実家から約1時間以内のところに一人暮らししていた。

随時、親から連絡はあった。僕も行ける時はなるべく実家に行くようにしていた。

僕が帰ると尻尾を横振りでぶんぶん振り、走ってお出迎えしてくれた。
興奮させると身体に負担を掛けてしまうので出来れば止めさせたいが、犬は正直だった。
でもそれが何より嬉しかった。

犬は家族など特に近い存在は匂いと声で覚えているという。
嗅覚と聴覚は人間よりも秀でている。
たとえ今は一緒に暮らしてなくても僕の匂いや声ですぐに分かってくれたみたいだ。

実家を出るとホームシックとまではいかないが、無性に愛犬に会いたくなる。
抱っこした時の感触と温もりを生々しく覚えている。
だからロビンに会いたくて実家に帰ってる事も多かった。

5月の下旬頃、ある平日の夜中に次男の浩介と僕は動物病院の救急に向かった。

ロビンが呼吸困難で倒れた。両親が異変に気づき、夜中だったので近くの救急病院に連れて行った。
その報せを聞き、居ても立ってもいられなくなった。僕は仕事から帰り、次の日は休みの時だった。

病院に着くと宿直していた担当医が対応してくれた。
暗い病室に1ヶ所だけ電気が点いている部屋へ行くとアクリルケースの中にロビンは居た。
人間でいう酸素カプセルのようなものだろう。
かなり危険な状態でこの中でないと呼吸がままならない状態だった。
自身がこんな辛い状況でも、僕と浩介が近くに寄ると立ち上がって尻尾を振って出迎えてくれた。
興奮させたら身体に負担を掛けてしまうが、家族が来たという認識はしてくれて嬉しかった。

ロビンの舌は真っ青でとても苦しそうだった。
血流が悪く表情もやつれていた。息苦しいと言っているようにこちらを見ていた。

僕と浩介は見ている事しか出来なかった。
こんな辛い思いさせて申し訳ない気持ちだった。
真夜中だったしロビンも休ませなければならないので、小一時間居て、その場を後にした。

ロビンは見えなくなるまでこちらを見ていた。
もう行っちゃうの?と言うような顔をしてたのが居たたまれなかった。
もっと居たかったが、近くに居るだけで触ることも抱くことも出来ないのでは仕方なかった。

翌朝、両親と僕と浩介の4人で救急病院へ向かった。
ロビンを掛かり付けの病院へ転院させる必要があったからだ。
酸素吸引器を外すと呼吸が出来ないため、母親がロビンを抱き、父親がエスコートして、僕が酸素ボンベを持ち、浩介が車の運転をした。

約30分程、低速で振動を与えないようゆっくりと病院へ向かった。

大人が4人掛かりで愛犬を輸送している状況は、後にも先にもあの時だけだろう。

ロビンは苦しそうだったが、家族に囲まれて嬉しそうにも見えた。

とても不思議な時間だった。

緊急時にも関わらず、ロビンが居ることでどこか安堵してしまう。
素直に、無条件に喜びを表現してくれる愛犬の姿は本当に愛しかった。

病院へ無事に届けると担当の医師が迎えてくれて、すぐに入院した。
取り敢えず薬を投与して経過を見るとの事で、家族は愛犬を送り届けるという任務を何とか終えて帰宅した。

そこからロビンは実家に元気な姿で戻る事は叶わなかった。

入院から5日後の5月31日未明、医師の懸命な治療も間に合わず、永眠した。

苦しそうだったが、最期は眠るように逝ったという。

訃報を聞いて両親はすぐに飛んで行った。
残念ながら、夜中に医師が1人で危篤状態からすぐに対処したので連絡が出来ず、両親は死に目には逢えなかった。

病院に到着すると医師が迎えてくれた。
ロビンは籐で作られたベッドに横たわっていた。

本当に昼寝しているかのように、安らかに眠っていた。

医師が言葉をつまりながら、声を絞り出すように言った。
『助けてやれなかった。申し訳ないです』

仕事とはいえ、こちらからすれば感謝しかなかった。
これまで担当医には何かあれば何時でも対応してくれたし、入院してからもずっと看ていてくれた。

本当に頭が下がる思いだ。 最期をこの医師に看てもらえて良かった。

礼を言って、気持ち良さそうに寝ているが起きる事の無い愛犬を抱いて、実家に戻った。

僕はその日仕事だったので、訃報は休み時間に母親から連絡がきていた。

仕事が終わってすぐに実家へ向かい、ロビンと対面した。

覚悟していたが、もはや泣く事しか出来なかった。
両親も目を真っ赤にして堪えていた。

10年間共に生きてきた家族との別れは、想像よりも遥かに辛かった。

それでもなきがらに掛ける言葉は感謝だった。

それしかなかった。

『ありがとうね。辛かったね。もうゆっくり休んでね。ずっと寄り添ってくれてありがとう』

ロビンがいつも居たリビングで、家族全員集まってロビンを囲み、いつまでも思い出に浸った。

******

人間と同じように、飼育していたペットの葬儀を行ってくれるお寺がある。実家から車で15分程のところにあり、ペット葬で有名なお寺らしい。

そこにロビンも眠らせて貰うことになった。

両親が連れていき、愛犬の最期を見送った。

リビングにはロビンとの共同生活の名残が至るところにある。

よく横になっていた人間が使う布団よりもふかふかのベッドに、くわえて遊んでいたホネの形をした玩具、ケージ、ごはんを入れる専用のお皿など、火葬の時にも入れたがそれ以上に溢れていた。

愛犬亡き後、両親のペットロスが心配だった。

これは共に暮らした経験のある人にしか気持ちは理解し難いかもしれない。

ペットではなく、本当に家族なのだという事。

特に我が家の場合、父親の体調が気掛かりだったが、寂しさはあるもののわりと変わらず過ごしていた。

ロビンは、最初に不調を訴えて心臓病と分かってから実に半年以上も生きてくれた。

余命はそこまで長くないと言われていたが、主人の問題が落ち着くまで持ち堪えて見届けてくれた事は本当に感謝している。


家族意識の高さなのか、終わるまではボクが見守るよと言っているかのように問題が終息したタイミングで、ロビンは旅立っていった。

2020年、5月31日の命日で丸6年になる。

一緒に遊んだ思い出や抱いた時の感触は、今も鮮明に、とても生々しく覚えている。

ふと会いたくなる。
この文章を書いている時でも、鼻の奥につんと込み上げてくるものがある。

時が経つのは本当に早いものだ。大人になるにつれて尚更そう思う。

両親は毎日のように遊びにくる孫たちの相手で忙しそうだが、愛犬亡き後は散歩に行かず運動不足気味だというので、よく夫婦で夜は散歩しているという。

変わらず日常は訪れる。
両親・兄弟共に、こらからも大好きだった僕らの家族に見守られながら、元気に毎日を過ごしていきたい。

*あとがき

3部にまでなってしまいましたが、最後まで読んで頂けたらこの上なく幸せです。

ありがとうございました。

これは決して非凡な話ではなく、ごく普通の家庭で飼っていた或る1匹の犬の話に過ぎません。

それでも自分のとこのペットが1番可愛いし、特別だと思っています。
それは皆さまもそうかと思います。

すべての出会いは縁だと、出会うべくして出会ったのだと、書きながらそう思いました。

失ったもの以上に得たものは多いです。
ペットではあるけれど、家族を大切にするという事。


何かの記事で読みましたが、イギリスでは子供が産まれたら犬を飼えと云われているそうです。
子供と共に成長し、感受性も豊かになり、心が優しくなる。そして何より命の大切さを身につける為だそうです。

まさにそうだと思いました。
共に生活する事で様々な経験をして成長する。

ロビンと生きた10年で僕ら家族は少しくらい成長したのかな。

実家に帰る度にロビンが笑って迎えてくれてるような気が、今でもするよ。

6年経とうが色褪せない記憶をここに残します。

ありがとう。

2020年 5月31日 最愛なる家族へ

合掌

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