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全身全霊で書いた記事のこと。

もう今日はこれしか、書けないよ。

ほぼ日にて、自由につくったコンテンツが発表されました。

私の書いた記事は、こちらです。

椅子について、「キルト工芸」の森下さんという超絶かっこいいひとについて、書きました。

スケジュールはタイトになってしまっていた。私が題材をすぐに決められずにいたせいだ。断られることも覚悟していた。メールを出すのが怖かった。

月曜日の朝に取材のお願いメールをしたら、すぐに電話をくれて快諾してくれて。これももうね、ほんとうに、連絡したの5年ぶりとかそのくらいだったの。全然連絡してなくて。失礼なやつだとじぶんでも思うんだよ。でも森下さんはやさしくて。

「あなたが元気でやってるとわかって、私もハッピーです」

みたいに電話で言ってくれて、その時点で私もハッピーで泣きそうになった。

月曜日から水曜日で、いろんなことを調べた。椅子のこと、キルト工芸のこと。過去のことも勉強しなおした。本もネットも、できるかぎり。

その週の木曜日に取材に行った。私のために、時間をつくってがっつり話してくれた。いろんな話をしてくれた。軽やかに、でも深くて美しい話を。森下さんは、ユーモアがあって、かっこいい。数年ぶりに会っても、変わらなかった。

その日の夜、家に帰って、コンビニで買ったお弁当を食べながら、録音した音声をすべて文字起こしをした。テキストにすると、取材のときには気づかなかった、キラキラしたものがたくさん見えてきた。もともと輝いて見えていたものが、もっと多くの輝きを帯びて、目の前の文字起こしになっていた。寝るとき、あまりの森下さんたちのやさしさやすごさに、幸福感に、泣いた。

なんだか、大学生のころにインターンで椅子をつくりに行っていたときからの縁がまだつながっていて、それがコンテンツにできるのが、奇跡のようなことだと思ったんだよ。

金曜日の夜、仕事終わりにファミレスでプロットを完成させた。前日に、寝ている間に、どんなコンテンツの完成形にしたいかは、決まっていたから、大きな部分での迷いはなかった。

そして、土日で書き上げた。もう時間の流れがおかしく感じるくらいずっと書いてた。森下さんにもデータを送って、確認もしてもらった。そして提出した。

記事を書くとき、今回は私の感想なんかは、入れなくていいと勝手に思った。それよりも、森下さんを見てほしい。「私」は質問ややり取りのなかにちゃんといる。編集の切り取りかたのなかにもいる。私だから聞けた、そして書けた話がある(ほかのひとが聞いたらもっと良いのかもしれないけど、それでも)。だから、読者のひとには、森下さんのすてきさが伝わるように、それをいちばんに思って、祈るように文字を並べた。熱い気持ちが伝わるように、丁寧に、冷静に、記事を磨いた。

まるで、椅子をつくっているようだと思った。木にやすりをかけたり、なんどもオイルを塗っては拭いたり。そんな最後の丁寧な仕事が、触れたときの心地よさにつながる。そうやって、ことばを磨いた。

それが、いま、ほぼ日で発表させてもらった、私の記事です。未熟さはあちこちあるけど、書いてよかった。

読んでもらえたら、とてもうれしいです。

森下さん。
ほんとうに、ありがとうございます。
ああやって話してから家に帰って、私、じぶんの部屋のなかに森下さんに受けた影響をいっぱい見つけちゃって、それにもすごくしあわせを感じてるんです。

さいごまで読んでくださり、ありがとうございます! サポートしてくださったら、おいしいものを食べたり、すてきな道具をお迎えしたりして、それについてnoteを書いたりするかもしれません。