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外食したい理由はいくつもある。

最近、お財布にそんなにお金がいないこともあって、自炊したりお弁当をつくったりして暮らしている。6月に払った家の更新料は痛かった、そして7月はnaotの靴も買ったうえに大阪旅行もした……。あれ? お金がいないぞ、どこに行ったんだ?と思うけど、そりゃ使えばなくなるよね。真理。

まあいいの、ちょっとだけ貧乏なくらい全然いいの。優雅に消費もしてるし。貧乏自慢がしたいわけでもないのよ。毎日ふつうに暮らせてるしね。
友だちと会うときにする外食もよりうれしくなるし、ごちそうしてもらうと「感謝! 感激!」ってなるし、差し入れにフィナンシェとかもらうと「神さま!」ってなるし、食べものへのありがたみと周囲のひとへの感謝が増している。いいことだと思う。

それに、ぬか漬けもつけてるから、毎日の自炊リズムはできてるし、そんなに仰々しい料理はつくらないから、大きな負担ではない。

ただ、ひとつだけ、気になっていることがある。

ずっと通ってた家の近所のラーメン屋さんにも久しく行ってないし、会社の近くのインド人がやってる陽気なカレー屋さんや大将がやさしい和食の定食屋さんにも顔を出してない。

あのひとたちとのコミュニケーションが途切れてしまっていることが、いちばん、切ないなあと思う。

顔を見ること、
笑顔で挨拶すること、
とりとめのない話をすること、
日替わりのおいしいごはんを食べること、
好みだった味の感想を言うこと。

何気ない日常のつながりが薄れていくのが、切ない。そして行かなければ行かないほど、なんだか気まずくなってもっと行きにくくなったりする。それでもたまに行くと、笑顔で迎えてくれて「久しぶりですね、最近はお仕事忙しかったですか?」と声をかけてくれたりするのだけれど。

会社のランチ用に使える会議室で、じぶんのつくったごはんを食べていると、「外でランチしたい!あのひとたちに会いに行きたい!」という思いがむくむくと湧いてくる。

「これだけ外が暑いんだし、よかったじゃない。ランチを持ってきて」とじぶんを慰めるのだけれど、少ししょんぼりしてしまう。
「ひとりのランチは節約して、友だちと行くときに思いっきり楽しもう!」と心に誓ってお弁当を食べる。

わたしは、ただおいしいごはんを食べるためだけに、外食していたのではなかったのだ。

週に1回までだったら外食ランチしていい、とか決めて、外食自主規制を緩めようかなあと思う。とりあえず、ラーメン屋さんに行きたいな。今日はもう閉まってるから、明日……仕事終わるだろうか。間に合うといいのだけど。

今夜は帰っておそうめんでも茹でようっと。この時間、夜23時を過ぎてからの食事……罪深い。

さいごまで読んでくださり、ありがとうございます! サポートしてくださったら、おいしいものを食べたり、すてきな道具をお迎えしたりして、それについてnoteを書いたりするかもしれません。