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人生を選びなおすということは。

幡野広志さんの『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』という本を読んだ。

生きる上での親との関係について、書かれている部分がたくさんあった。

親との関係性には、わたし自身悩みやトラウマがあった。いまは少し、落ち着いていて「あれもこれも、必要なことだったんだな、きっと。というかそう言えるようにするのは、じぶんなんだ」と考えられるようになってきたけれど。幡野さんが取材された方々の思いを辿ると、じぶんとはそこまで似ていない体験なのにちょっとフラッシュバックする部分もあった。

幡野さんは、あとがきに、こう書いている。

友人を選び、恋人を選び、結婚相手を選ぶ。
自分によい影響を与える人の存在は、自分で選ぶことができるのだ。

本を通して読むと、この言葉が心に響く。

選べない親に、振り回されたり、傷つけられたりしても、選びなおすことはできる。それは、赦しだと思った。

親を許すとか、そういう話じゃない。許さなくてもいいし、それは義務じゃないから自由だ。じぶんが、生きていてもいいんだと、選んでもいいんだという、じぶんの命に対する赦し。
じぶんへの赦しは、いつの時点でも、じぶんに差し出すことができる。そして、これもまた与えるかどうかは、自由なのだ。

自由なのだから、すきなだけ、じぶんに与えてしまいたいよな。

友人や恋人や家族は、じぶんで選んでいいのだなんて思えずにいるひとが、世の中にはたくさんいる。そんな選択肢があることさえ、知らずにがんじがらめになってしまう。わたしも、そうだった。

ぬかるんでる場所にいるからって、泥ばっかり見なくてもいい。泥を見つめる宿命を持つひとはいない。もっと広い世界を見上げて、手を伸ばしていいのだ。自由だ。

わたしも、一つひとつ選びなおしていこう。
「これは、ほんとうにわたしの命で選んだものか?」
問いかけて選びたい。

幡野さん、この本を書いてくださって、ありがとうございます。この先の人生で何度も読みなおしていく本が増えました。

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栗田真希
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