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歴史を紐解くこと、ピュアでいること。

東京から長崎県波佐見町に引っ越したのは、2020年5月下旬。もうすぐ一年が経つ。ひとつの区切りだ。なんとなく、自分の中で区切る準備に入りつつある。

こんにちは、こんばんは。くりたまきです。

一年経つので、四季をひと通り経験したことになる。四季があるのは当たり前だけど、わたしにとっては新鮮で、初体験がたくさんあった。

山菜が山ほど採れる春、初夏には蛍の光が繊細に夜を彩り、夏にはとんぼと蝶がそこかしこに。秋には一面の稲穂が黄金色に輝き、鼻が凍りそうな冬には夜空がひときわ澄みわたる。

住んでいた東京や、地元の横浜では非日常だった世界に暮らし、働いている。

いま、いちばん大切にしたいと思っていることは、歴史を紐解くこと。

とくに今年に入ってから、注力しはじめた。学芸員さんに旧石器時代からの波佐見のことを教えてもらったり、町の観光ガイドさんの講習会に参加したり、陶磁器の研究者の方に焼きものの原料である陶石の話をしてもらうツアーへ行ったり、とにかく歴史にふれてきた。

これからの歴史をつくるには、歴史を知ることだと思う。そう思うようになった。

波佐見の人に話を聞くと、言葉の奥に歴史が静かに横たわっているのを感じる。

土地と、血脈と、文化と、歴史。

いまやカジュアルでモダンというイメージで人気の波佐見焼だけど、その土台には何があるのか。時代の趨勢に合わせて変化してきたのなら、時代ごとの比較をしなければ新しさを解釈できない。

そんな気がする。

新しさを解釈できれば、次の「新しさ」をつくることもできるのではないか。

波佐見町の歴史の延長線上に、地元の人たちによろこんでもらえる新しいものを。(もちろん、全員には受け入れられないと思うんだけどね)

歴史を紐解きつつも、呑み込まれてはいけないんだろう。

ピュアな気持ちをもって、客観的かつ冷静に判断していきたい。

歴史をそのままの形で維持しようとするのは、無理がある。たとえばこの時代に、ズボラで都会っ子のわたしはかまどだけで暮らせない。火も熾せない。ガスコンロよ、ありがとう。でも、かまどっていいなと無邪気に憧れはする。この「かまど」をいま残すなら、どうしたらみんなに楽しんでもらえるのか?

歴史を知ったら、かまどのことをより深く知ったら、いまだからできる活用方法にも近づけるのではないだろうか。

歴史って、大事だなあと思う。

そして最近は、また新しい歴史に興味を持った。

波佐見町の人気スポット、西の原。ここの歴史を知りたいなと思う。もう、製陶所の跡地だった西の原をいまの人気スポットに開拓した当時からいる人は、だいぶ少ないという。

いま、言葉にして残すことができたら、今後につながるんじゃないかなあ。

なんて妄想して、一年で育った気持ちをまとめようとしている。

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