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好きな人のことを、見ている。

大学生のとき、わたしは「アルバイト」ということばが嫌いだった。自分の身分がアルバイトだと知っていて、意識的に口にすることは避けていた。理由はいま思うとくすぐったさがあるけど、ものすごく真面目に「仕事」をしているつもりだったからだ。

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こんにちは、こんばんは。くりたまきです。

前にも書いたことがある話だけど、また書く。わたしは家電量販店でコンパクトカメラを売るアルバイトをしていた。お店は規模も大きくお客さまも多く、販売競争もそのぶん激しかった。他社メーカーの販売員は歴戦のツワモノ揃い。配属されたわたしはド素人。とにかく大変で大変だったけど、数ヶ月すると、なんとか慣れた。まわりの販売員さんとも仲良くなれた。

わたしは、優秀な販売員さんたちに訊きまくった。

「どうしたら、売れるようになるんですかね?」

もっともっと売りたかったし買ってほしかったし、周りのすごい人たちがなぜああも同じフロアで売れるのか純粋に知りたかった。

ひとりの販売員さんが言った。

「まあ、まずはお客さまがどんなカメラを買いそうか、予想することだな。売り場を見回して、お客さまを見つけたらその人がどんな機種、どんなカラーを好みそうか、予想する。洋服とか靴とか時計とか、そういうの見ると、わかることいっぱいあるだろ?」

そこから予想をした上で、お声掛けして、質問をする。用途や好みを伺って、最初の予想からどんどん「ほしいもの」の輪郭をはっきりさせていく。予想が外れることももちろんあるけど、声掛けの仕方も変わるし、効果はあるという。

「街を歩いてる人みんながどんなカメラ買うか、想像するトレーニングしてみたら? ちなみに、おれはしてる」

トレーニングするようになった。

おもしろかった。

たとえば、小さなカバンを持ち歩いているおしゃれな女性に大きなカメラは勧めにくいから、まずは小さくて軽い、カラーバリエーション豊富な機種から勧めてみた(脳内で)。なんでもない白シャツのお兄さんが凝った時計をしていると、柄物の個性的なシャツを着ている人より慎重に予想して、マニアックでちょっといいカメラを選んだ(脳内で)。

予想が合っているか外れているかわからないけど、大学生のあいだずっとこのゲームを楽しんだ。実際に売り場でも役に立った。観察して予想した段階では、まだピントの合っていない写真のようなイメージ。それがお客さまと会話をしていくなかで、どんどんピントを調整していく。一緒にいちばん似合うカメラを探して、ばっちりピントが合った瞬間の快感は大きかった。

私生活にも、このゲームは影響を及ぼした。

いつもは大人しい色のネクタイの人が、ピンクのを身に着けてる。ちょっと落ち込んでる反動で選んだのかな? と勝手に思っていつもより声をかけてみたり。
あの人今日のメイクはえらくきっちりして濃いなあ、なんか武装してるみたいだからあんまり刺激するのやめよう、と距離をとったり。

いろんな予想、もはや妄想が、常に頭のなかで繰り広げられるようになってしまった。トレーニングの効果かは定かではないが、カメラはとても売れるようになっていた。

カメラを売らなくなってずいぶん経つのに、もう癖のように、人を見て妄想してしまう。

人を、見る。すごく無粋で罪深い行為のように思うときもあるのだけど、もはやオートになってしまった。ただの予想にしか過ぎないのだから断定しないこと、人を貶めるために使わないことは堅く決めている。

身についてしまったこの癖は、いいことに使いたい。誰かの努力を見つけて拍手したいし、努力したくてもできない人にも「そうだよね」と寄り添いたい。落ち込んでる友だちには「大丈夫?」とか「お茶でもする?」とよいタイミングで言いたい。

好きな人たちのことは、街ゆく人より、さらに見てしまう。

そして見ていることに気付いたとき、「ああ、わたし、この人のこと、こんなに好きになっていたんだなあ」と自分の心も覗きこむことになる。

見つめることから、わたしの好きははじまっているのかもしれない。

30minutes note No.972

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