波佐見に来て、救急車が鳴るのが心配になった。
救急車が通る。赤いランプ、物騒な音。近くを救急車が通り過ぎると、胸騒ぎがするという人も多いのではないだろうか。でも、それだけでなく、波佐見に住みはじめて救急車が鳴るたび心配してしまうようになった。
こんにちは、こんばんは。くりたまきです。
救急車が鳴ると「知り合いの人のところへ行かないよね?」と思う。波佐見町に住んでいると、知り合いじゃない人がすくなくなるから。知り合いじゃなくても、きっと知り合いの、知り合いだ。わたし自身に濃い人間関係がなくとも、知り合いはみんな濃い人間関係のなかにいる。
いろんな人の笑顔が頭をよぎる。いつもお世話になってるおじいちゃんおばあちゃん、転んだりしてないだろうか。急に病になった人はいないだろうか。
これまでの人生でそんな風に思うこと、なかった。生まれ育った横浜でさえ、通り過ぎる救急車に怖さを感じつつも「知り合いが倒れていたら……」と考えたことは一度もなかった。
環境の変化って、こんなところにも影響を及ぼす。
わたしも最初は、そんな価値観や思考はなかった。あるとき、波佐見のおばあちゃんのところへ遊びに行って救急車の音がしたら、そのおばあちゃんがすぐ窓に近寄って外を覗いた。
「あら、救急車どこへ行くとかねえ、あっちの方向、誰の家やろか」
あっちの方向なら〇〇さん家か◇◇さん家かしら。そうつぶやく彼女を見ると、横顔に野次馬の色はなく、ただ心配していた。
わたしは驚いた。おばあちゃんはそんな風に思うのか、と。でもすこしずつ、ほんのすこしだけ、わたしも「そんな風」に近づいてきた。
不思議なものだなあ。
ずっと波佐見に暮らす人とはもちろん感覚が違うし、同じようには一生なれないし、それはもう覆せない。でも、異なる感覚を受け止める土壌は育ってきたのかもしれないなあ。
30minutes note No.893
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