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かまど、棚田、うつわ。自然と暮らしが折り重なる波佐見町。

登り窯。斜面につくり、下のほうから火をつけて、上の窯へと火を送る。大きな登り窯が、むかしの波佐見町にはあったのだという。

こんにちは、こんばんは。くりたまきです。

江戸時代のころまでは藩をあげて、大きな登り窯で陶器をつくっていたらしい。山の斜面を利用してつくる窯は、自然あってのもの。

自然といえば、波佐見町で陶器が多くつくられているのは、原料になる「陶石」が採れるからというのも理由のひとつだろう。

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▲登り窯の跡地から見下ろす町は、風情がある。

むかしから窯をつくっていたので、ちょっと土を掘れば陶器のかけらが見つかるのだという。

その土地のご先祖さまがつくったもののかけらが、あちこちに埋まっているというのは、なんだか不思議な感じがする。高熱で焼かれた陶器は、土に戻らずに足元で眠り続ける。

血のつながった遥か前のご先祖さまがどんなものを食べていたのか、どんな窯を使っていたのか、わからない部分も多いけれど、つくっていたうつわだけは、出土したものからはっきりわかっている。

自然といえば、棚田も山の斜面に石垣を組んでつくられている。人工的な造形なのに、どこか懐かしくて自然と調和して見えた。

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「棚田もあるし、波佐見のお米はおいしい。東京に出ていたときも送ってもらっていた」と地元のひとも言っていた。

この地でつくられる波佐見焼きは、古風なものからシンプルでモダンなものまで、いろんな種類がある。「これ」というスタイルはないように見えた。

時代に合わせて、暮らしに合わせて、登り窯や棚田が山のかたちに沿って開拓されたように。

いまを生きる人たちに合わせて、暮らしを見つめて、波佐見焼きを切り拓いてきたのだ。

ほんのすこしだけ時代を遡ると、波佐見焼きは有田焼きだった。有田焼きとしてシールを貼って売られていた。けれど、2000年ごろに生産地の表記にたいする目が厳しくなり、袂を分かつことに。

波佐見焼きとして、じぶんたちのうつわを見つめ直し、「日々の暮らしのうつわ」をつくってきたことに光をあてた。

飾って眺めておくような高価なものではなく、当たり前のように暮らしになじむものを。

そんな素朴で飾らない、穏やかな波佐見の人たちが心を込めてつくったうつわたち。

丁寧な仕事ぶりを見せてもらい、胸がときめいた。

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復元された世界最大級とされる登り窯のかたわらには、つくしがすっと空に向かって伸びていた。

もう春だ。

波佐見町では、アスパラガスをよく育てている。あざやかな緑に似合う波佐見焼きのうつわはなにかな、とふと思った。

今日食べたアスパラガスのポタージュだったら、あれかな?

茹でてオリーブオイルと塩をかけただけのシンプルな料理なら、こっちのうつわ?

焼きびたしにして、お出汁と一緒によそうなら、あんなのもいいなあ。

いまのわたしの気分に合ううつわが、いくつも頭をよぎる。

いまを生きる、わたしたちのうつわ。

……なんだかお腹がすいてきた。

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