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視覚障害者の集まりに参加してきました。

「あなた、目見えないひと? わたしも見えないひと」
それが数年前、参加者のひとりと主催のゆずきさんの出会いだったらしい。しかもそのころのゆずきさんはまだ今より見えていたらしく、白杖も使わずスタスタと歩いてきたのだという。強い。

こんにちは、こんばんは。くりたまきです。

今日は視覚障害者の集まりに参加してきた。はあああ、楽しくて疲れてしまった。

このあいだ、ゆずきさんに電話をして急遽参加することにしたのだけれど、ここでは誰もがひとり一役、わたしにもいつのまにか誘導の役が割り当てられていた。

みんなでお昼ごはんを食べているとき、盲導犬を連れた方が話してくれたのが冒頭のエピソード、主催者ゆずきさんとの出会いだった。聞いて笑ってしまった。とにかくパワフルで、直截的で、ユーモアがある。だからひとが集まるのだ。

今日は15周年のお祭り騒ぎということで、小さなホールを借りて行われた。メンバーがバイオリンや津軽三味線、ウクレレなどの楽器を演奏。みんなで一緒に歌ったりもした。トークコーナーもあって、詩吟のコーナーもあって。この日のためにみんな、一生懸命準備してきたのだと笑っていた。

晴眼者も障害者も、入り混じって笑いあう。遠慮なく、思ったことを言いあう。

目が見えなくなって得られたものがある、というひとがいた。
目が見えなくなって10年間は引きこもりだったけれど、今はしあわせだと笑うひとがいた。
目が見えなくなっても見方次第で人生はおもしろくなると語るひとがいた。

集った視覚障害者たちはいろんな体験をして、たくさん傷ついたり泣いたりしてきたのだろう。それでも今日を心から楽しむみんなには翳りはなく、問題を語るときも前しか見ていなかった。

ほんとうに、『障害』なんてあるんだろうか。この集まりに来るといつも考えさせられる。健常者にどう接してほしいかは、枠にはめることはできず、個々人によって違うとしか言えないのだけど、やっぱり考える。

ゆずきさんとは、打ち上げでゆっくりお話することができた。

「まきちゃん、あんた、お父さんはどうしてんの?」
「父は横浜でひとり暮らししてますよ」
「これからどうしたいか考えてるの?」

これはお父さんと一緒に暮らしたほうがいいよとか、お世話のこと考えたらというアドバイスが続くのかなあと思って、「うーん」とうなった。

「いまはお父さん元気だからなあ」
「あのね、お父さんのこととか、妹のこととかより、じぶんのことを考えなさい。じぶんのために行動しなさい。じゃないと、他人があなたの人生の言い訳になるから。わかった?」

ゆずきさんのような高齢のかたには、そんな風に言われたことがなくて、しびれてしまった。やっぱり、ちょっとこのひとは違う。

それから。

「まきちゃん、今日は来てくれてほんとうにありがとうね。うれしかったあ。もし、お仕事とかで記事を書くのに、この集まりが必要だったら、いつでも言って。なんでも協力するから。それに、ここにはいろんなひとがいるから、きっと学ぶことが多いはずよ」

ゆずきさんは、わたしに特別やさしいんじゃない。仲間みんなにやさしいし、そのパワーを振りまいちゃうのだ。

今日は慌ただしかったけれど、それでも思い出したり、新しく知ったことがたくさんあった。ゆずきさんがいて、番頭役のおじちゃんがいて……たくさんの仲間がいる。またゆっくり、みんなの話を聞いて、たとえお金にならなかったとしても、わたしは言葉に残したい。

居酒屋さんでの打ち上げは、とにかく陽気だった。ゆずきさんから最初にご挨拶。

「みなさ〜ん、今日は一日ありがとうございました。今日は飲み放題なので、このお店を潰すつもりでジャンジャン飲んじゃってくださいね」

るんるんな声でユーモアたっぷりに言って、有言実行、ビールを豪快に飲むゆずきさん。やっぱり、強い。

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