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柴田亮太の現在地まで

柴田亮太の現在地 (2022年2月7日更新)

初めまして、柴田亮太です。

全く同じ人生というものはなく、自分の人生をこれまで29年間(あと2週間で30歳ですが)生きてきて、今の現状というのは10年前の自分にはとうてい想像もできない位置にいて、そもそも3年前でも想像していなかったような今を生きています。

noteを始めるにあたり、せっかくなので自己紹介も兼ねて、
なぜ自分が今の人生の「点」にいるのか?を知っていただくために29年間を振りながら、自分の事を知ってもらえたらと思います。

(実はこれを最初に執筆したのは2021年4月。当時設計事務所の専務をしていていました。今は個人で経営コンサルをしているので、人生は何があるかわからないですね)

そして
「自分と同じように新たなステージで挑戦しようとしている方」
の勇気になれれば嬉しいです!

全体の構成としては5部構成です。

1部 現在から幼少期
2部 学生時代
3部 社会人時代①(1年目~3年目)
4部 社会人時代②(4年目~7年目)
5部 現在とこれから
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第1部 現在から幼少期

29年間を振り返ると言っても、そもそも知らないやつの人生なんか急に聞く気にもならないかと思うので、今の自分を知ってもらうためにも簡単な自己紹介を。

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街の中心に大きな川が流れている九州の最東端で育つ。学生時代は空手、野球に明け暮れ「男性コミュニティ」で自我を形成。都会を夢見て福岡の大学へ。社会人は大阪からスタートし、仕事と遊びに対しての徹底した初期教育を経て福岡に戻り現在に至る。

年齢:29歳(2021年4月当時、現在30歳)
出身:大分県佐伯市 
現住所:福岡市南区
特技:空手、ダイハツのエンジン音を聞き分けれること
趣味:マンガ、野球、お笑い、麻雀
経歴:大学卒業後、事業承継を得意としている組織コンサル会社に就職。7年間働き、その後、現職の設計事務所に専務として就任。4ヶ月で退職し、個人事業主として再スタートを果たす。

こんな自分を形成した幼少期を少し振り返ります。


幼少期
現在5歳になる甥っ子がいますが、大変暴れん坊。
自分の欲求のためなら女の子だって蹴とばします。初の甥っ子、子どもとほとんど接することなく生きてきた自分にとっては衝撃的な暴れっぷりです。
しかしそんな甥っ子を見て私の母こう言いました
「あんたはこの倍は暴れてたよ」
!?!?
確かに昔の写真の自分はまともに写っているものがないのは薄々気づいていましたが、ここまでとは思いもよらず、とても印象に残っています。

その頃の楽しみと言えば、毎週水曜日の「ドラゴンボールGT」
ただ、家のテレビは3チャンネル程しか映らなかったので、ケーブルテレビを契約しているじいちゃんの家に兄とバスに30分ほど乗り、通っていました。
何も分からない自分をバスに乗せ、じいちゃんの家に連れていってくれる兄の背中が大きく見えたものです。(兄もまだ9歳~10歳)

幼少期ばかり話してもしょうがないので2部に移りましょう。


第2部 学生時代


学生時代はスポーツに明け暮れていました。
小学校時代が一番ひどく、毎週のスケジュールはこちら

野球(火、木、土、日)
空手(火、木、土、日)
陸上(月、水)

野球と空手がだだ被り。毎週ダブルヘッダーです。
スケジュールもハードですが、練習もハード。
とくに空手なんかはゆとり世代ど真ん中にも関わらず、まだまだ体罰の残る業界?だったこともあり、
180センチを超える師範から毎日ビンタの嵐。ビンタで耳が聞こえずらいことが頻繁にありました...
稽古で拳は血が出るほど皮がむけ、スネには消えないアザだらけの日常。
(ただ練習の成果もあり、全国2位になったことも)

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ある意味理不尽なスケジュールでありながら、辞めたいと思ったことは一度もありませんでした。今思うと全て自分から「やりたい!」と言って始めたことだったのが影響しているのかと思っています。
ありがたいこと?に両親からはこれをやりなさいと言われたことはありませんでした。

まぁここまでハードに練習していますから、なんせ強い。小学校での立ち位置は自然と「ガキ大将」

ただ今思うとガキ大将を望んでいたわけではないので、一線ひかれている友達との差というか距離に寂しさを感じることも。(友達が自らは遊びに誘ってこないなど)

その状況は中学校まで続きましたが、応援団長などを小中で経験するなど、学校の中心的な存在ではあったので充実した学生生活だったことは確かです。

中学校3年生の進路選択では「やりたいことがない」ことを理由に
佐伯市内の唯一普通科がある学校へ。家から自転車で10分の近さ。
高校では「ガキ大将」だった自分を知らない友達ばかりだったこともあり、
やっと友人と「対等」に接することができるようになったことがとても嬉しかった。

ここで少し余談ですが、
学生時代のコミュニティの違い」を考えてみました。
(※以下はあくまでも地方の出身の私の場合です)

小学校:一つの校区のコミュニティ。校風など小学校毎に差が分かれやすい。
中学校:複数の校区でのコミュニティ。治安が良い地域悪い地域が一緒になることが多く校風の差は出にくい。どこもそこそこ治安は悪い。
高校:偏差値別コミュニティ。校風など一番差が出やすい。家庭環境など共通点が多い。

私は高校時代の友達と今でも一番付き合いがあるのですが、それは一緒に過ごしている時間の濃さの違いもあるが、そもそも前程が違うことが要因ではないかと思ってます。これが都市部になると全く違う可能性もあるとは思いますが、人口5万人程度の地方の現状です。

高校時代では私の人生に大きな影響、傷跡を残す事件に出会う。

それは「新型インフルエンザの流行」

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2009年のこの出来事は2021年の今となっては、ほとんど覚えている人もいないような、世の中的には小さな出来事です。

2009年は高校3年生の年。
そう、10年間続けてきた野球の集大成の年。
しかし、甲子園を目指し毎日毎日練習を積み重ね、
夏の開会式翌日の私に待っていたのは、

新型インフルエンザの濃厚接触者判定による1週間の自宅謹慎

10年ぶりのシード校だったチームは1回戦負け。私の高3の夏は自宅で終わりました。

人生の体験したことは全て自分の糧になる。そう今でも思ってはいますが、
この経験から学んだことはただ一つ「世の中の理不尽さ」
果たして学んでいい事だったのか、今も分からない。

しかし自分を強くさせた要因にはなっているのだろうとどこかで思っています。


話は飛んで大学4年生の就職活動時期へ。
(大学時代はかわいい子と付き合って浮かれてました笑)

就職活動というのは私からすると
「初めて自分の人生」を意識するイベント。

高校進学も大学進学も「どこに行って野球をするか?」
くらいにしか考えていませんでした。
(今思うともったいないですね~)

「自分はどんな人生を送りたいんだろうか?」

と大きな疑問を持ちながら就職活動を通して、自分の中に芽生えた感情がありました。
それは
①「自分は自分しか歩めない人生を歩まないといけない」
②「社会って面白そう」


①「自分は自分しか歩めない人生を歩まないといけない」
・公務員になった方が良いよ
・大企業にいくべきだよ

ありがたいことにアドバイスを色んな人からもらう。根拠を聞くと納得できないことばかり。世の中の歯車になるという恐怖心を抱いた。自分の人生を生きなきゃだめだという想いに出会う。


②「社会って面白そう」

我々平成3年生まれは世の中の不景気しか見ていない世代。
仕事、社会=しんどい
というイメージしか就職活動前は持ってなかった。

しかし入社することになる株式会社ソリューション、ターニングポイントとなった株式会社デリズの選考を通して、活き活き働いている大人や会社と出会い、「社会ってしんどいだけじゃないんだ」と知ることができた。
(ここに気づけずに未だに働いている若者は世の中にいくらでもいるんじゃないかと思います)

そして私にとっての自分の人生の歩むべき道は「経営者の道」だと決め、
株式会社ソリューションで社会人生活をスタートすることになりました。


第3部 社会人時代①(1年目~3年目)

経営者を目指そうと思い、社会人のスタートとして選んだのは、
株式会社ソリューション
https://solution-hr.com/

今でも大好きな会社です。

選んだ理由は3つ
①若者の話を全力で聞ける大人がいた
②中小企業の経営者とガチンコで仕事ができる
③社員30名、創業7年で早い段階で責任のある立場になれそう

お察しの通り、ガチガチのベンチャー企業。

入社をすると期待通りのベンチャー感。
・7時~23時半が毎日の労働時間!
・毎週組織や上司が変わる!
・同期や社員がバンバン辞める!

ハッキリ言って異常です笑(今は全く違う健全な会社になっているのでご安心を)
しかしそんな異常な環境も、私は経営者になりたい志があり、
1日でもはやく成長したい自分にとってはありがたい環境だった。
また何より魅力的な社員ばかりで個人的には不満も全くなかった。

しかし仕事に1年目~2年目はかなり苦労をすることに。
入社して新人研修を終え、すぐにコンサル営業のためのテレアポからスタート。

結果がでず、気づき力が低く、感情すら出さない自分は「ロボット柴田」と名付けられ、徹底的に鍛えてもらった。
時にはお客さまとの会食でテーブルの横に立ち、ウェイトレス係でお酌やオーダーのみのトレーニングなど挙げればキリのないほどネタのようなことを経験。

今思うと笑い話だが、ある意味順風満帆だった学生時代の自分からすると悔しい日々。

しかしここは体育会系の根性。
・誰よりも量をこなす
・始業1時間半前に出社、自主練
・大きな目標を社内で宣言
結果的には16人いた同期の中で一番先に役職に就くことができた。

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役職とは福岡拠点長のことで、大阪拠点から異動することに。
(当時まだ25歳、3年目の6月の頃です)


第4部 社会人時代②(4年目~7年目)

異動とは言え、当時の福岡拠点は拠点としては存在しているものの、
在籍社員が0名という特殊な状況。

今思うと、
「荒れた拠点」を再立ち上げしてこいという経営陣からのメッセージだった。

この状況に3年目になったばかりの私を福岡に単身送り込むわけですから、やはりこの会社異常だ笑

しかし、この決断をしたのも私ですからやるしかありません。
お客様を一から作るところからのスタート。

時には片道1時間ほどかかるお客様に2日で三回訪問し、契約にこぎつけたりと「1社のお客様を作る難しさ」をとにかく学んだ。

福岡拠点では新規開拓をテレアポから「紹介営業」にシフト。
急激にお客様が増え、大きなターニングポイントに。
当時社内で紹介営業を行なっている社員はおらず、どこかタブーとされていたようなところがあったが、テレアポをしたくないという執念から、一気にシフトチェンジ笑。
(私が辞める頃には紹介営業での売り上げ比率が会社全体で30%〜40%ほどになっていました)

割愛しようと思っていましたが、
このソリューションという会社は事件がとにかく多い。
全てを書くと怒られそうなので、一つだけ紹介...

事件名は

「社長が辞める」

入社動機にもなっていた、当時の社長がなんと辞めるなんて。
(飯田さんすみません笑)

私が採用された時の採用キャッチコピーは
「何をするかではなく、誰と働くか」

「誰と」が一番の働くモチベーションだった私は1週間近く、燃えない自分と向き合い、
なんとか会社に踏みとどまることに。会社も自分も大きく揺れたが、20代中盤でこの経験は自分をとても強くさせてくれた。

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前職での話をすれば本当にキリがないので、
学んだことをいくつか挙げて第3,4部の締めに。

前職で学んだこと
①変化への慣れ
②セルフマネジメント
③世の中って広い、魅力的な大人はたくさんいる

①変化への慣れ
企業というものは変化をしていくもので、その変化についていけない人はいくら能力が高くても成果を出しづらくなる。ソリューションという荒波にもまれて、日々変化する毎日を経験し、代表が変わろうが、ナンバー2が辞めようがある程度の変化が来た時にでも「またきたか」と思うことができるようになった。

②セルフマネジメント
相手の価値観を顕在化するようなコーチング型の研修の場面が多く、自ずと自分とも向き合い、自分のことを知り、コントロールすることが上達した。
自分の感情や行動の背景への理解が深まった。

③世の中って広い、魅力的な大人はたくさんいる
社会に出てみると学生時代では想像のできないような広い世界があった。
地元は大好きだが、どれだけ狭い世界で生きてきたんだろうか?と強く感じた。
(まるで進撃の巨人でいうとエレンたちが海にたどり着いた時のようなイメージですかね笑)
まだまだ自分は海外もアジアしか行った事もないし、日本人としかほとんどコミュニケーションをとったことがないので、もっと世界は広いとは思いますが、初めての社会は衝撃的だった。
(それだけ魅力的な大人に出会わさせてもらうことができたんだと思います)

今18歳の自分に何かを伝えることができるなら「社会はおもしろいぞ」と伝えたい。
今思えば毎年の新人研修で自分が講師として伝えていたことは一貫してここ。
社会では自分も悔しい思いや、悲しい思いもたくさん経験しましたが、だからこそおもしろい。
若者に「社会は厳しいぞ~」とか言ってしまう説教くさい大人にはなりたくない。

若者が自分や世の中の大人を見たときに「早く大人になりたいな、はやく仕事をしたいな」と思ってもらえるような自分になります。

少し長くなってしまいましたが、第3部、4部の前職編終了です。
ではそんな会社からなぜ今設計事務所にいるを最後第5部ではお話しできればと思います!
最後までお付き合いください!


第5部 転職とこれから

転職とは言え、既に役員である自分は転職というよりは「脱サラ」の方が表現が適切かもしれませんが、分かりやすいのでここでは転職に。

転職のきっかけというよりは社会人になる前に経営者の道を目指そうと思って入社をしたので、
いつ独立するか?
どのように独立するか?
この2つをいつも考えていた。


・いつ独立するか?
26歳の4月に前職の社長と「いつ辞めるか?会議」を行い、
30歳の年(2021年3月末)に退職する日を決めた。
(この辺も前職はさすがですね笑)
目標通り2021年の3月末に退職し、4月1日に今の会社に入社。


・どのように独立するか?

①前職と同じ仕事はしないということ。
(同業で独立すると確実にお客様の奪い合いになるため)
②将来組織を構築できる業種
③人生に深く関わることができる仕事
という条件は決めていた。

そんな時に現オーナーの石蔵と出会い、
石蔵とは、
①自分との共通点がとにかく多い②自分がほしいものを持っている
ことが決め手になり、石蔵商店がM&Aした設計事務所に後継者として入社を決断。

(後継者不足で毎年何万社も倒産しているこの時代っぽくておもしろいなと純粋に思いました!)

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最後にこれからに関しては、
会社としては現在正念場を迎えている状況なので、とにかく業績の改善が最優先に。
業界未経験だろうが、社員にはもちろん、お客様には全く関係のないことなので、
「柴田が代表になってよかった」と思ってもらうためにまずは業績改善。

業績が改善でき
「さぁ攻め時だ」
と言うときが来るまでのプロセスをこのnoteを通して発信していきますので、これからお楽しみください、私のみじめな姿を笑

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自分が一番影響を受けたマンガ「MAJOR」

このページは自分の人生に大きな影響を与えてくれてます。


さて、ここまで約7000文字ほど書いちゃいましたが、いかがでしたでしょうか?
まだ何も成し遂げていない29歳の私。

体力と耐力だけはありますので、これからの私に期待してください!
最高におもしろい会社をこれから作っていきます!

就職活動の際に感じた「社会のおもしろさ」
社会人になって肌で感じた「社会のおもしろさ」
これから経営者になり、これからがやっとその土俵に立つような気持ちです。
自分の力がどれだけ通用するのか?を存分に楽しんでいきたいです。

この記事がこれから挑戦しようとしている方に届き、
一歩踏み出すための勇気になれれば嬉しいです。


最後までお読みいただきありがとうございました。
よければ一言でも良いのでコメントいただけるとこれからの更新の励みになります!


追記

2022年2月の私です。今では最後の第5部で紹介した会社を辞め、コンサル業を営んでおります。このnoteを見て応援してくれていた方から仕事をいただいたりとまた新たな人生がスタートしている状況です。人生には色んな「点」があります。その点を残し続ける中でこの記事は一生完成はしないのだと思います。また1年後にでも更新します。その時はどんな点にいるのか?を想像するとワクワクが止まりません。改めて最後までお読みいただきありがとうございました。





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