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閑話休題:推し/推され_心理学と日向坂46

私、催眠術にかけられたいです!』と銘打たれ、プレゼンで当放送を勝ち取った張本人である宮地さんの「ふにゃ~」で開幕の狼煙が上がった今週の日向坂で会いましょう、通称ひなあい。

3週に渡って放送された『メンバーバラバラ大作戦!軍団対抗真夏の大運動会!!』の直後回としてちょうど良い温度感でしたね。
催眠術と名のついた失敗の免罪符(十文字先生、ごめんなさい)を使ってわちゃわちゃするのが楽しかったです。
目立ったのはやはり宮地さん。少しドスの効いた声やもらい催眠などなど、新たな境地にたどり着いた感じがありました。
齋藤さん(ドラマ主演おめでとうございます!)とキャプテンの、催眠術との程よい距離感を保った圧巻の立ち回りはさすが先輩でした。

そんな今週のひなあいで「おや?おやおや?」となった発言がありまして。
ワードセンス向上催眠術中の丹生ちゃんによる「ホンマは推しじゃないやろ!」です。

アイドル自身が「推しじゃないやろ」と言うこと自体(どんなアイドル番組だよと)面白かったことがきっかけですが、よくよく考えると皆様方に心理学について知ってもらえる切り口になり得るぞと考えまして、いそいそと書き始めた次第です。催眠は一切関係ありません。
なぜか日向坂に関係すると長くなりがちなので、今回はできるだけ短めに。
(心理学用語は太字にしておりますので、気になった方は是非調べてみて下さい。)


推すことの定義

素直にこれについては応援したり幸せを願ったりすることとします。
推すことって(健全の範疇であれば)楽しいよね。

この理由は沢山あれど、人間の所属(社会的)欲求(あるいは承認欲求)を満たしてくれるからだと考えるのが個人的に一番お気に入りです。
具体的には番組やアイドルの発信をSNSで共有したり、ライブ参加=空間の共有などでしょうか。

推しを通じてファン同士の(良い)交流が増えることも社会性の生き物である我々にとって喜びの大きな部分を占めるということですね。
(現にかくいう私もSNSアカウントを載せてみたりしています。)

もちろん、推しの活躍する姿や頑張る姿勢を見て元気をもらう(同一視)のもひとつです。推すことのきっかけとしてはこちらが多いかもしれません。

(引用:https://theory.work/terms-maslows-five-step-desire/

かの有名なマズローの欲求5段階説の図です。
ちなみに、①下の階層の欲求が満たされない限り上には進まず、②下の階層の欲求の享受が危ぶまれるとその階層まで欲求段階が下がる、とされています。
①飯が食えないと健康にはなれないし、②いくら人のためにずっと動きたくても危険な水準で眠ければ普通睡眠を優先する、というのがそれぞれの例として分かりやすいかと思います。

推される側の欲求について

上図を参照しシンプルに考えれば、推される側(ここではアイドル)は我々により承認欲求、あるいは自己実現欲求を満たすことになるでしょう。
最近はお互いに距離が近づいていることもあり、所属欲求も満たされているかも知れません。

これだけ見られる機会が多いにも関わらず承認欲求を完全に制御している(=ナルシズム:行き過ぎた承認欲求 を表さない)「アイドル」や、通常ではナルシズムとみなしがちな承認欲求をアイドルの場合は見過ごす(むしろもっと出しなさいと言ったりする時もある)「ファン」といった特異な存在についても調査したくなりますね。
どちらも「分かった上でそうしている」というメタ認知的な側面があるのが面白いです。
定量化して尺度に盛り込むと異常に高く出そうな気がします。

(アイドルのナルシズムに関してはファンが見ないようにしているか、ナルシズムと感じるまでの容積をアイドルという職が変数となって通常よりかなり増やしているかも。認知心理か社会心理を専攻しているアイドル好きな心理学生、卒論で調査して教えてください。)

ともあれ、推すことと推されることは人間にとって切っても切り離せない欲求に紐づいおり、それ即ち推すことは人間として至極当然の営みのひとつと捉えられるわけです。

とは言え、それに託けて度が過ぎてしまうと、逆にファンによってアイドルの生理的欲求安全欲求が満たされなくなってしまうことも十分にあり得ます。
推しへののめり込みはほどほどに。


余談の極みな私見ですが、某坂道・AKBグループの御大はここまでの視点をもグループ内の競争や商売にうまく組み込み、推し活を恥ずかしくないこととしてコンテンツ化したことが本当にすごいと思います。
あえてこの言葉を使いますが、特に男性の(こういったアイドルグループの)オタクに対する世間の概念をかなり変容させたのではないでしょうか。
その功罪たるや、はかり知れません。



丹生ちゃんの発言に関する一考察とひいきへの所感

昨今はアイドルとファンが互いに欲求を満たしながら、良いか悪いかその距離の近接化が進んでいるように感じます。

しかしながら、彼女たちにとってオードリーという存在はファンよりも近く、特異であり特別ということは言うまでもないでしょう。
冠番組のMC、業界の大先輩、以前からテレビで見ていた芸人、生粋のラジオスター、親、クラスメイト、ひいきするいちファン―――。
いくつか比喩も混じっていますが、オードリーのご両名は実際これ以上に色々な側面を抱えた存在として彼女たちの瞳に映っていることと思います。

サリーとアンの課題ではありませんが、仮にそんな人からひいきを受けたら、と彼女たちの立場になって考えるとたまらなく嬉しいですし、ちょっと現を抜かされたと感じると、複雑な気持ちを抱えながらボールを投げ「ホンマは推しじゃないやろ!」と言いたくなるのも頷けます。

あのノリだから伝えられた、存外に魂の叫びだったんじゃないでしょうか。

個人の感想としては、ひいきに関するひと悶着が最近また増えてきて嬉しいです。
何というか、こういう思考センサーに引っかかる適度なスパイスになっていてありがたいんですよね。単純にひいきされた/されなかったの反応やくだりも可愛らしくおもしろいですし。

四期生が入ってからは「これこれ!」みたいな反応をしている彼女たちもひいきシーンの愉快さに一役買ってくれています。
無論、バラエティーでのメタ認知能力も高い面々が揃っているゆえの安心感という大きな土壌があるのが前提ですね。
すごいな、日向坂。
※ひいきに関して快く思っていない方がいらっしゃれば申し訳ありません。

心理学に興味が湧いた方はこちらへ

日本心理臨床学会発刊の電子冊子に推しについてのことが記載されていますので是非ご覧ください。
毎号めちゃくちゃ面白いです。
ちなみに個人的なバックナンバー内のお気に入りはこちら↓です。


以上、駄文にお付き合いいただきありがとうございました。
来週のひなあいはおなじみ成人企画。これまた楽しみですね。何か書けるといいな。
ひなあいや日向坂トークなどについてやかましく発言しているX(旧Twitter)アカウント、もしよろしければフォローと交流の方よろしくお願いいたします。↓
https://twitter.com/6669kt


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