見出し画像

介護とはなんでしょう?

それでは長いので曲を聴きながらどうぞ。おっきしちゃダメだぞ

介護保険制度の仕組みから教えてたり、

障害者施設のはしり、養老院から教わったり、ノーマライゼーション、福祉三法、QOLなどなど入口はどうあれだいたい同じ書き方つーんですか?




介護とは『契約』でありますな。

社会生活=群れは弱きを守るモノです。野生の獣も魚ですらそうやって種を残そうとします。

人間の場合は税を納め、隣人を愛し、罪を犯さない代わりに自由や利益を得られる。

その中に『殺人』と『老い』に対する事もなければ群れとは言えないわけです。

昔『野生の王国』で見たでしょう?死にそうな我が子から離れない母や死体を抱いて移動する獣を。

死が分かつまでも助け合うのが社会生活=群れです。


子供の「どおしてひとおころしてわいけないのですか?」にどう答えるかってのはしばしば話題になりますが人は人を殺すものです。生き物は殺すものです。しかし本能に従って殺していたら社会生活は成り立たないので『法律で罰する』だけであって『殺すことの否定』ではないんですね。


介護も『こまったなー、うちのばあちゃんボケて寝たきりだ。1週間も放置すりゃ死ぬだろ』では済まないんです。

いつか自分も老いるからあなたの老いを守りましょう、という群れの契約、最低限の約束事だと思うのです。


つまり、制度が充実していないとか、存在しないとかってのは『獣以下』と言われてもしょうがないのです。


自分は反出生主義に近い考えです。人類の理想の人口は『0』だと考えます。産まれた事は苦痛であり、子供に選択の自由もなく『生の苦痛』を与えるのは

子供好きな自分にはとてもじゃないけどできません。


あうあうあーな障害者は天使ではありません。疲弊した家族の現実もあります。

機能の低下した老人は他人事ではありませんが、

「わしらは偉いんだ!」なんて梅沢富雄みたいな福島県の老害JJIみたいなのが寝たきりになってウ〇コ投げてきたりしたらぶっ飛ばしたくなりますわ。


ちょっと残酷な言い方ですが「親子ですら他人」ではありますが

「産んだ責任」はあります。

たとえば未成年で出産してあっという間に離婚して漫画のような転落人生を送るヤンママの子供に努力という他人が評価するのがおかしいスケールをおしつけますか?

ヤンママが避妊してたらそもそもその子の不幸は存在しなかった。

悲惨な老老介護は地方ではもう日常です。軽トラでボケじいさんが暴走してます。でも乗るなと言ったらそのじいさんがばあさんを病院に連れていけないんです。しかし息子孫はよそで暮らしている。


これは正しい『群れ』ですか?

たくさん宗教があり、屁理屈があり、主義主張、天才、資本、人間がいるはずなのに、

なぜ『群れ』られないのか!?


『人間がバカ』だからじゃないですかね?


理想論ではなく、このきったねぇ排水溝のカビみたいな現実から

スタートしないとそれこそハンセン病の隔離みたいなんなりまっせと。

この国の官僚は悪しき事も前例に従うので

『とても優秀だから』

心配です




投げ銭を旅費にして旅をしてレポートしたり、リクエストを受け付けて作曲をしたりしています。