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私はいい子でもなんでもない

「あなたがええ子やからやよ」

そんな言葉を、いただいた。
それも、1人からではなく、2人から。
職場の先輩から。

嬉しさと同時に、苦しさが押し寄せる。
ありがたいけれど、罪悪感に溺れる。





「皆さん本当にめちゃくちゃ優しくしてくださって。」
という私の言葉に対して。

「本当に皆さん良くしてくださって、どうして皆さんそんなに優しくしてくださるのか、疑問なんです」
という会話の中で。

「あなたがええ子やからやよ」と。




違う。違う。違う。
私はいい子なんかじゃない。

いい子に見えるだけなんです。
本当はいい子でもなんでもないんです。





誰かが放置したゴミを捨てに行ったり、
なくなりそうな物品を補充したり、
片付けや整理整頓をしたり、
掃除しなくてもいい場所まで掃除するようにしたり、
誰かが物を倒してしまったり困っていそうだったら、自分の作業に支障が出てでも手伝いに行ったり、
1分でも手があけば他の方の手伝いをしに行ったり、
できることを増やしたくて、教えてくださいって自分からお願いしに行ったり、、

このような、
“誰がやるか決まっていないこと”
“誰がやってもいいこと”
“絶対にやらなきゃいけないことではないこと”
“どちらかというと、やらなくてもいいことかもしれないこと”
を私は日常的にやっている。

そんな私の言動を見てくださっていたら、
確かに、“いい子”に見えるかもしれない。
“いい子”だと認識してくださる方もいるかもしれない。

でも、違う。違うんです。
これらは全部、自分のためにやってることだから。




“やらなきゃいけないこと”をやるのは当たり前。
“やってはいけないこと”をやらないのも当たり前。
この2つが守れている時点で、
私の中の点数はまだマイナス。
そりゃだって当たり前のことだから。

“やってもやらなくてもどっちでもいいこと”を、日常的に、当たり前にやれることが続けられた時点で、
点数はプラスマイナス0。

ミスをしたり、他人に不必要に迷惑をかけたりした時点で、点数はダダ下がり。
マイナスなんて当たり前。

プラスマイナス0の条件を満たして、その上で、想定外に良い結果を出せた場合に、プラスになる。
私は人間の失敗作だから、プラスにできるほどの結果なんて出せないに等しい。

わかりやすく点数で表したけれど、これは自分の中の“自分のこと承認度合い”的なもので、あくまで感覚。

この感覚が、自身の精神状態の上下に関わってくる要因の一つでもある。

だから、“いい子”に見える言動は、
あくまで“自分の精神状態を保つための言動”である、ということ。
自分のための言動でしかない。
だからいい子でもなんでもない。


それに対して“いい子”という言葉をいただくと、相手を騙している気がして、罪悪感がすごい。

たしかに、精神状態を保つためという理由以外にも、
「いつも良くしてくださる先輩方に少しでも恩返しできれば」
「いつも助けてくださる先輩方の負担を少しでも減らせれば」
と本気で思っているけれど、
でもこれも、素直にそう思わせてくださる先輩方のおかげで湧き上がってくる気持ちだから、別にいい子でもなんでもない。
恩返ししたいと思えるほど普段から助けていただきまくっているから。
むしろ私が悪いじゃないか。


先輩方、いつもいつも本当にごめんなさい。

迷惑かけて、心配かけて、仕事を増やして、負担を増やして、
その上で、騙してしまっていて。

私は、いい子でもなんでもないんです。

自己中でワガママなだけの人間で、ただの失敗作なんです。

ごめんなさい。













最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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