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えんとつ町のプペル 映画 感想 作品→作者はわかるが、作者→作品とはならない不思議

お笑い芸人キングコングの西野亮廣さん作、絵本が原作の映画「えんとつ町のプペル」をアマプラで見ました!

作品→作者はわかるが、作者→作品とはならない不思議

すみません。感想の前に思ったことを少し。

作者が著名人だとどうしても作品よりも作者が前に出てしまい、あまり見る気が起らなかったのですが、妹に勧められて見ました!
私は西野は好きなのですが、ああいう理屈タイプの作品ってどうせ説教くさい(メッセージ性ばかりが強い)、作者の知名度で売っている作品なのだろうなという偏見がありまして、作品に興味が持てないでいました。

これ、不思議だなあと思いませんか?
たとえば、作品から入った場合、私は神作品に出会ったら、漫画や小説ならば著者、映画やドラマならば監督・脚本家を必ず調べます。
しかし、すでに有名な芸能人の作品を見ますか?と言われれば今回のプペルのようにあまり見る気がおきないんですよね。
まあプペルはもともと絵本だというのもあり、私好みそうな感じでなかったというのももちろんあります。
しかしやはり、芸能人の副業チックな作品を摂取したいかというとそうではない。餅は餅屋。つまり漫画や映画で有名人になった人の作品の方が優れているに決まっている。だからかなり重度のファンでないと芸能人の作品までチェックしようとは思えません。あくまで私は、ですが。

西野は有名だし、好きだし、YouTubeも観ているけど、プペルを見たいと思えるほどのファンでもない、というのが見る前の私の印象でした。

しかし好きになった漫画の作者はWikiで調べ、過去作品もろともなめるように購入するので、まあつまり、繰り返しますが、結論、餅は餅屋ってことでしょう。

いい意味で期待を裏切るほどの面白さでした。

さて、感想を述べます。
そもそも期待値が低かったためかもしれませんが、私の持った印象は面白いやん。でした。そして、

「えっ西野ってアーティスト系なんだ」

って思いましたね。
作者の主張ゴリゴリのメッセージ性強め感動系ストーリーかと思いきやそんなこと全然ない。
確か舞台?(ミュージカル?)化もしているんですよね?
わたしミュージカル好きじゃないんですが、冒頭ハロウィンのゴミの仮装部分のダンスシーン、正直そこで引き込まれました。
音楽とあのハロウィンのおどろおどろしい、けれどどこかポジティブで奇怪な雰囲気が素晴らしい。作品に引き込むためのポイントだと思います。

私は頭で理解する系なので、西野の語りには「まあ言いたいことはわかるよ」と常々思っていて、私みたいな理系タイプかと思っていました。
しかしこの「えんとつ町のプペル」、この作品を見て私は西野は文系、しかもアーティスト寄りだなあという印象を受けました。あとサイコパスだと思います。感受性はゼロだと思う。
私は理系・理屈系ですが感受性カンストタイプなので、西野とは作品においては真逆かもなあと思いました。
そしてこのアーティスト寄り作品というのは、どういうことかと言いますと、

なんか言葉でうまく理論立てて説明できないんだけど、感動した。

ってやつです。
この手の作品、私はあんまり好まないんですが、映画プペルは非常に演出・音楽が素晴らしく引き込む力がありました。なので秀作だと思っています。
好みじゃないのに面白かったということは、好みの人が見たら傑作なのだと思います。

子供向けと侮るな。と思いましたね。

じゃあなんで感受性ゼロのサイコパスだったかというと、確かにこのストーリー、感動的につづられているし、あるメッセージも込められています。

なのに、

作者の主張が一切見えない。
キャラクターに一ミリも感情移入できない。

ことから、西野のサイコパスみを感じずにはいられないんですよね~。
感動するのに、感情移入しないんです。自分がサイコパスなだけでなく、サイコパス製造機かよって話だよね。

キャラクターの行動心理なんてもうまるで共感できない。

(まあ元は絵本だし、子供向けだからそんなにこだわらなくてはいいと思うんだけど)

ぺらっぺらの紙芝居の登場人物のようで、まだアンパンマンの方が人間味がある、まである。

キャラに魅力がない分、デザイン、音楽、演出が素晴らしいので、カバーしているイメージですね。

メッセージも普段の西野をイメージしていると、ほとんどないくらい。まあ普遍的なメッセージなので、そう思うだけかもしれませんが。

ただ、単純なストーリーで、全く捻っていないというわけでもないのが憎い。

あらすじはこんな感じ。

えんとつ町はいつも煙がいっぱいですが、主人公の父は大人の癖に夢を語り、煙の先には星があるとみんなに説いていた。そして父は失踪する。その夢を信じた主人公は友達もできず変わり者扱いされていたが、そんな主人公のもとにごみ人間のプペルが現れる。プペルと友達になる主人公だったが、このプペル=死んでしまった父だった。主人公とプペルは力を合わせて煙を払い、その向こうに星があることを町のみんなに証明する。

あらすじ

あらすじを読んでいただくとわかる通り、王道のストーリーかと思います。
ここから私が少し憎いな~うまいな~と思ってしまったのは、

死んでしまった父=星になった父

と考えられるわけで、えんとつ町に残してしまった息子(主人公)は、星からは煙が邪魔で見えないわけです。だから地上に戻ってきて、もちろん夢は現実だと証明するのがメインストーリーですが、星になった父から息子の成長が見えるようにするために煙を払ったのかな…というダブルミーニングなのかなと思いました。

こういう賢さも見せてくるところが憎いね!アーティストではなく地頭もありますよってか!?くそやろう!完敗だ!

そしてこれは西野本人の解説を読んでうまいな~と感心してしまったのは、プペルはごみ人間なのですが、 西野はキャラデザを次のように語っています。

「夢を見る」「夢を語る」「行動する」といった、大人になる過程で皆が折り合いをつけて捨てたモノをまだ持ち続けているという意味で、主人公を《ゴミ人間》にしてみました。

引用元:大ヒット中の絵本『えんとつ町のプペル』を全ページ無料公開します

これは私好みですなあ~~。

わし、こういう皮肉の効いたミーニングだいすきでっしゃろ~?

頭が良くて芸術センスがあるなんて、マジサイコパス。

西野が嫌いな人もプペルの思想は灰汁が強くないので見て損はないと思いますよ。これほど作者が前に出て損してる作品もないわ!

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